今年の1月中旬、愛知県の渥美半島を車で一周 、一足早く春を満喫
してきました。
特に半島の東側、遠州灘に面した街道の風景に魅了されます。
特産のシラスなどの魚介類を食したいところですが、腎臓病のため、
それは諦めて、かねてから尊敬していた " みんぺーさん " の蔵書が
あるという田原市の渥美図書館へ行ってみました。
杉浦明平 ( 1913 ~ 2001 )は、田原市の生まれ 。
地元にしっかり根を下ろし、小説家、随筆家として、独自の見解を発信
し続けました。
また、町会議員を務めたり、畑仕事をするなど常に行動する人でもあり
ました。
明平さんからの寄贈を受けて、渥美図書館の2階には特別の部屋があり、
約9000部が、また1 階の閲覧室にも約8000部 と 合わせ1万7000部
を公開、閲覧できるようになっています。
夏目漱石、森鴎外、萩原朔太郎らの初版本から群書類従などの歴史書と
多岐にわたっています
明平さんが残した業績が広範囲に及ぶため、私が読んだ「 ノリソダ騒動記 」
( 未來社 )、「レオナルド・ダ ・ヴィンチの手記 」( 岩波文庫 )だけに
ついて、触れておきます。
私は昭和39年から44年にかけて、テレビ草創期のドキュメンタリー番組
「 カメラルポルタージュ 」 ( 30分 TBS 系 )で計 18作品を手がけました。
様々な話題を取り上げましたが、いつも、そのネタ探しに苦労しました。
そんな折、読んだのが ルポルタージュ文学の先駆けともいうべき「 ノリソダ騒動記 」
ノリ養殖の利権をめぐって 「 地方ボス 」と明平さんら共産党の地区細胞
との闘争を時には、ユーモラスに描いた作品でした。
この手法をテレビに取り入れるてみようと思いました。
昭和41年放送の「 密漁 ~ かなしき沿岸漁民 ~ 」は、漁場を失った愛知県の漁民が
三重県の漁場に入り込み、密漁で捕まるまでを追いながら、なぜ、隣同士の同じ漁民が
争わなければいけないのか、追われいく姿を描いた作品です 。
明平さんの作品をヒントに企画 、制作したものでした。
また、昭和 43年、列車トイレのタレ流しによる黄害をルポした「 列車糞尿譚 」
( 日本民間放送連盟 金賞 )も意識はしていませんでしたが、今から思えば、
明平さんの作品の影響を受けていました。
平成7年、愛知県美術館で開かれた 「 レオナルド・ダ ・ヴィンチ人体解剖図 」展に
合わせて、テレビ番組制作の際は、杉浦明平の翻訳 「 レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 」
( 岩波文庫 )を参考にさせてもらいました。
杉浦明平の履歴 ( 田原市博物館 ) によると、東大文学部を卒業後、昭和13年、
原典によるルネサンス研究を志し、東京外国語学校 ( 東京外大 )に一年間
通ってイタリア語を取得。戦時下でダ・ヴィンチやミケランジェロなどルネサンス文学
の翻訳、研究に取り組む中で 「 レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 」を翻訳 しています。
昭和29年 岩波文庫として 上巻、4年後に下巻を出版しています。
この中に人体解剖のことも書かれていています。
愛知県美術館で展覧会が開かれた当時、ダ・ヴィンチの人体解剖図に関して、日本語で
書かれた美術書は見当たりませんでした。
明平さん訳の 「 レオナルド・ダ ・ヴィンチの手記 」だけが手がかりでした。
何しろ、ダ・ヴィンチはモナリザなど絵画で有名であるばかりでなく、建築家、天文学、
解剖学などにも詳しく、万能の天才と言われているだけに、その全体像を知ることは
難しいようで、それぞれの分野で専門家がいます。
人体解剖図については 、これを所蔵している英 ウインザー城 王立図書館で医学博士の
称号を持つ学芸員の方に解説してもらいました。
ダ・ヴィンチが残した様々な業績について研究するには、今でも明平さん訳の
「 レオナルド・ダ ・ヴィンチの手記 」が役立っていることと思います。
写真は愛知県南部の渥美半島、 半島の東側 遠州灘に面した所から撮る 。