古宇利島一周道路を行くと、道端に「スルル洞(ガマ)入り口」の石碑が有る。古宇利島では有名な「拝所」である ことは知っていたので行って見ることとする。洞(ガマ)と言うからには、鍾乳洞でも有るかも知れないと期待しつつ。
こんな藪道を、ハブの恐怖に怯えつつ進む。なお道は途中で二手に分かれるので、左側を進むこと。右手を行け ば、海岸に出るだけ。
ハブには出会わなかったが、天然記念物のオカヤドカリに会った。たしかに後ろ姿は「道をサザエが歩いている」 そのもの。正面から撮りたかったが、僅かの足音や振動で殻の中へ引っ込んでしまうので、これが限界。
海岸の突き当たりにはこんな物が。「海と島の思想」野本三吉著・・・の一文を借りれば「以前は、こういうものは なかったんですよ。沖縄では自然そのものが神様ですから、岩や海、樹木、川や土が神様です。ですから何も建てた り囲ったりすることはありませんでした。これは本土(日本・ヤマト)の方々が作られたものでしょうね。」
沖縄の宗教観には、アミニズムやシャーマニズムの原型が色濃く残っている。母系社会から男性優位の中央集 権国家へ推移する中で、宗教観の有りようも必然的に変化して行く過程をうかがい知ることが出来ます。この辺り のことは、岡本太郎が「沖縄文化論・・・忘れられた日本」の中で見事に看破しているのです。近代国家の宗教観 は「権威主義・形式主義(たとえばこの様に龍の置物を置いたり)」で、一言で言うならば「いやらしい」のです。そ の行き着くところが戦前の「国家神道」だったんでしょうね。私みたいな完璧な無神論者が言うのもなんですが、こ のあたりから人間と神(自然)との乖離が始まったのでしょう。
人間も地球自然環境の中から必然的に進化してきた生物の一員に過ぎないのに、今や「人間圏」を作ってしま い、「地球圏」や「生物圏」とどの様に折り合いを付けて行くかで右往左往している。沖縄の青い海を見ながら、アホな 地球環境問題を考えてみたりするのです。
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