沖縄本島およびその周辺の島々から宮古・八重山諸島には、城(グスク)や民家の石垣などの石積構造物 が多く残っている。その石積技法から、各島々の置かれた歴史的背景を若干なりともうかがい知ることが出来 る。最も古いタイプの石積み技法は、自然の石を組み合わせて積む「野面積み(のずらづみ)」である。これは 波照間島の民家の野面積みによる石垣です。当時の公共施設であるコート盛も野面積みによって作られてい る。ちなみに、波照間島は琉球王府の流人の島でした。
竹富島の石垣も技法としては野面積みであるが、波照間島よりは洗練されている。一時琉球王府の蔵元 (役所)が置かれていた島の地位が伺える。
沖縄本島でも、知念城などの古い城は野面積みであるが、これはまったくの自然石ではなく幾分かは加工 して積み上げてある。
最も高度な技法として「あいかた積み」または「亀甲乱積み」と呼ばれる石積み技法が有る。これは中城城 (なかじょうグスク)のあいかた積みであるが、その後民間の石垣でも一般的積み方として普及した。
あいかた積みと同時に普及したのが「布積み」である。此は方形に加工した石を積み上げるもので、見た目 には美しいが堅固さに欠ける。勝連城の例です。
では沖縄本島の離島である久高島の石垣とは、本島の城ほど精密な造りではないが、一種のあいかた積 みである。また布積みとの中間様式的な物もある。同じ離島でも神の島としての特別の立場を思わせる。
与那国行きの船の中ではお世話になりました。
おかげさまでとても居心地のいいゲストハウスに泊まることができました。
私は与那国から南大東島へ一気に飛んでしまいました。
ではまた、何処かの旅の空の下でお会いしましょう。