新しいパソコンを、壊れたパソコン同様に使える状態にする復旧工事、遅々として進んでいます。
脳みその配線が、アナログ仕様に成っている年寄には辛い作業です。
それにしても、使用中いきなりブチッと壊れるなんて、高速道路を走行中の車のエンジンが止まって二度と動かなくなる様なもので、こんなことが今や普及品としてのパソコンに許されることでしょうか。
自己診断ソフトで「このパソコンはそろそろ壊れるので、データーのバックアップをしてください」なんて表示が出てもよいはずです。
食品には「消費期限」や「賞味期限」が表示されているのと同様に「このパソコンの耐与年数はおおよそ何年です」と表記すべきです。
今回私の場合は8年で壊れた。
先日19年間使用した電子レンジが壊れた。ほぼ同時期に購入した冷蔵庫と洗濯機はまだ元気に動いている。
値段の割にパソコンの耐与年数は短いと思う。でも10年前のパソコンなんて骨董品以下だがね。
さて今日の作業は、壊れたパソコンから取り出したハードデスクからデーターを回収することであるが、特定のソフトで作成したデーターは回収不可能かも、と電気屋の店員に言われた。
今まで使っていた富士通のデスクパワーFMVが死んでしまいました。
新規購入したNECのバリュースター、なんとかブログ更新できるまで立ち上げました。
でもまだ写真の貼り付けできません。ボチボチと元の設定までもどします。
今回の旅もまた、鹿児島からフェリーとしまに乗って島づたいに南下します。
フェリーとしまの鹿児島出港は23時50分、待合室に北海道出身の某島旅作家が入ってきた。
この写真に後ろ姿が写っているよ。
現在のトカラ列島十島村は、口之島・中之島・平島・諏訪之瀬島・悪石島・小宝島・宝島の
有人7島からなっているが、かっては臥蛇島(がじゃじま)にも人が住んでいた。
手前が元々無人島の小臥蛇島で奥が臥蛇島。
10月21日出港のフェリーとしまは、臥蛇島離島40周年事業の特別便だったので、
中之島出港後普段は立ち寄ることのない臥蛇島を一周してから平島へ入港した。
臥蛇島は面積4.07k㎡周囲9.0km、1970年(昭和45年)に4世帯16人にまで減少したため、
集落としては維持出来なくなったため、全員が離島して無人島となった。
某島旅作家も「よくもまあ、こんな所に人が住んでいたものだ」と驚いていた。
これは今回の目的地である宝島の北約15kmに位置する小宝島。
面積1.0k㎡周囲3.2km人口57人、隆起珊瑚礁の島としては日本で最も北にある小島です。
小宝島近景、小高い島の周りを隆起珊瑚礁が取り巻いている。
人が住んでいる所は標高10mにも満たない、津波が来たら一飲みだ。
地形図で見るとこんな感じ、よくもまあこんな小さな島に人が住んでいるものだ。
でも本州からの移住者が何人か居るそうだ。
何処の島でもフェリーが入港すると人が集まってくる。
出迎えや荷物の受け取りの人も居るが、だいたいは唯の見物人だ。
今日はどんな人と荷物が島へやって来たのか見に来ているらしい。
フェリーとしまが唯一つの外界との接点なのだ。