いまここに在ることの恥毎日新聞社このアイテムの詳細を見る |
【一口紹介】
■出版社/著者からの内容紹介■
『自分自身への審問』につづく極限の思索。
恥辱にまみれた「憲法」「マスメディア」「言葉」「記憶」…を捨て身で書き抜く。
瞠目の書き下ろし「炎熱の広場にて」を収録!問う―恥なき国の恥なき時代に、「人間」でありつづけることは可能か。
炎熱の広場にて―痛み、ないしただ見ることの汚辱
口中の闇あるいは罪と恥辱について
邂逅―紅紫色の木槿のかげ
名残の桜、流れる花
書く場と時間と死―『自分自身への審問』の場合
一犬虚に吠え、万犬それに倣う―小泉劇場と観客の五年間
いまここに在ることの恥―諾うことのできぬもの
【読んだ理由】
題名にひかれて。
【印象に残った一行】
『テレビのバラエティショーかなにかを、口を半びらきにして見ている。すると突然。ほんの一刹那、「ああ恥ずかしいなあ」と思う。一瞬の人間的な蘇生。一刹那の覚醒。それはおそらくわれわれが人間だからなのです。恥の感覚というのは、そういうものです。
でもすぐに数秒にして周りの空気に打ちまかされる。同化してしまいます。そしてまた、テレビからもれるあの含み笑い。グルメ番組。くだらない解説。CM。みんながテーブルに一列に並んで、世の中についてこもごも喋る。弁護士が、よくこんな暇があるなというくらい登場する。国会議員が朝から晩まででている。あれも恥だと思います。口を開けて見ているぼくも恥だと思うのです。恥辱というものは、そういうものです。それにとりまかれれば、恥ずかしくもなんともなくなってしまう。日常のなにげないルーティンは、仔細に見れば、恥辱に満ちています。それを養分にして、今風のファシズムが着実に育っている。』
『ソマリアで、飢え死にする少年や少女を見ました。しかし、たくさんの人が死んでいる。でも私はなにもできない。なにもしない。なにもしようとしない。ただ突っ立って見るだけ。そして空調のきいたホテルに引き返すと、パソコンに必死で原稿を打ち込んでいる自分がいる。危険を冒してここまできたのだぞ。という心もちもどこかにあったかもしれません。いい調子で原稿を書く。新聞もよろこんで使う。大きく載る。読んだ人は感動してくれる。本になるとまた売れる。何度も重版する。賞までもらう。めでたし、めでたし、です。が、心は晴れません。屍臭が躰の芯に染みついて、消えることがありません。私は人にはあまり話したことがありませんが、とてつもなく恥ずかしくなりました。だれに対して?わかりません。たぶん、自分自身に対してでしょう。自分の内奥の眼に恥と罪が誘(そび)きだされ、暴かれたのでしょう。記者であることの恥辱。あるいは作家であることの恥辱。そして人間であるがゆえの恥辱。ただ見ることの罪と恥。これがそもそも何に由来しする罪と恥か。その深淵を私はしばらく考えなければなりません。だから、可能であればいましばらく生きたほうがいいと思うのです。醜く生きればいい。ナマコのように、ウミウシのように生きる。地べたをズルズル這いずっても生きる。』
【コメント】
題名も重いが、内容も少し難解で重い。