七福神は室町時代の末期頃、農民や漁民の民間信仰として成立しました。
七福は「仁王経」の七難七福という言葉が語源とされ、七つの福徳をそれぞれの神に配しています。
大黒天(財福と徳望を象徴)、毘沙門天(威厳を象徴)、弁才天(愛敬を象徴)は仏教から、寿老人(長寿と健康を象徴)、福禄寿(福禄寿を象徴)、布袋(大量を象徴)は中国道教、恵比寿神(清廉と繁盛を象徴)が神道から来ています。
七福神信仰は江戸時代に盛んとなり、七福神詣、宝船に乗った七福神の絵を枕の下に敷いたり、床の間に飾ったり、商売繁盛の縁起物としても喜ばれるようになりました。
私が東京での単身赴任時代に巡った七福神を紹介していきます。
第二陣は「柴又七福神」です。
・名称 柴又七福神
・寺社名 真勝院
・七福神 弁財天
・所在地 東京都葛飾区柴又7丁目5-28地図
・最寄駅 京成金町線柴又駅
・参拝日 1998(平成10年)/01/10
・コメント
創建年は大同元年(806)。葛飾区内でも古い歴史のある真言宗の寺。
弁財天は愛敬をしめし、芸術と商売繁盛を司るインドの女神。
山門を入ってすぐ右に並んでいる五つの石仏、五智如来像が並ぶ。
江戸時代初期、葛西の地に土地の開墾を目的に多くの人が移住してきた。
造立碑には、万治3年(1660)柴又村の名主済藤次良衛門、相模伊勢原の鳥居九良左右により逆修供養のため建立されたとある。
仏の持つ五つの智を、阿閃(あしゅく)如来、宝生如来、大日如来、阿弥陀如来、不空成就如来五仏にあてはめている。
大日如来を真言宗では最高の仏として寺院の本尊としている。
京成金町線「柴又」駅から徒歩4分。 題経寺(帝釈天)から1分。
・マップ 柴又七福神
七福は「仁王経」の七難七福という言葉が語源とされ、七つの福徳をそれぞれの神に配しています。
大黒天(財福と徳望を象徴)、毘沙門天(威厳を象徴)、弁才天(愛敬を象徴)は仏教から、寿老人(長寿と健康を象徴)、福禄寿(福禄寿を象徴)、布袋(大量を象徴)は中国道教、恵比寿神(清廉と繁盛を象徴)が神道から来ています。
七福神信仰は江戸時代に盛んとなり、七福神詣、宝船に乗った七福神の絵を枕の下に敷いたり、床の間に飾ったり、商売繁盛の縁起物としても喜ばれるようになりました。
私が東京での単身赴任時代に巡った七福神を紹介していきます。
第二陣は「柴又七福神」です。
・名称 柴又七福神
・寺社名 真勝院
・七福神 弁財天
・所在地 東京都葛飾区柴又7丁目5-28地図
・最寄駅 京成金町線柴又駅
・参拝日 1998(平成10年)/01/10
・コメント
創建年は大同元年(806)。葛飾区内でも古い歴史のある真言宗の寺。
弁財天は愛敬をしめし、芸術と商売繁盛を司るインドの女神。
山門を入ってすぐ右に並んでいる五つの石仏、五智如来像が並ぶ。
江戸時代初期、葛西の地に土地の開墾を目的に多くの人が移住してきた。
造立碑には、万治3年(1660)柴又村の名主済藤次良衛門、相模伊勢原の鳥居九良左右により逆修供養のため建立されたとある。
仏の持つ五つの智を、阿閃(あしゅく)如来、宝生如来、大日如来、阿弥陀如来、不空成就如来五仏にあてはめている。
大日如来を真言宗では最高の仏として寺院の本尊としている。
京成金町線「柴又」駅から徒歩4分。 題経寺(帝釈天)から1分。
・マップ 柴又七福神