日本男道記

ある日本男子の生き様

45:石薬師(石薬師寺)

2010年08月29日 | 広重東海道五十三次
45:石薬師(石薬師寺)
四日市を出て日永の追分があり、ここで東海道は右へ、参宮道と分かれる。そして11里で石薬師に達する。この追分には伊勢神宮の一の鳥居がある。石薬師はもとは参宮道であったが、元和元年(1615)から東海道の宿駅となった。
広重の絵は画題を「石薬師寺」とあり、林の中の寺を正面に描いた写実性のある佳作である。この寺は西福寺というが、ここにある石薬師仏が有名なのでこの名がある。静かに林の中にある西福寺、それに連なる寒村が山懐に抱かれている全体の構図が実にいい。裏山が三段にぼかされているのも効果的で、寺の門前の馬上の旅人、小路を歩む二人の百姓、田を耕す百姓などの添景人物が、冬の村景として興趣つきないものとなっている。
この絵で、藍色の遠山を欠くものがあるが、これは後摺である。

絵の出典:食るり愉るり知多半島

※歌川 広重(うたがわ ひろしげ、寛政9年(1797年) - 安政5年9月6日(1858年10月12日)
浮世絵師。江戸の町火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となったが 現代広く呼ばれる安藤広重(あんどう ひろしげ)なる名前は使用しておらず、浮世絵師としては歌川広重が正しいと言える。
天保3年(1832年)秋、広重は幕府の行列(御馬進献の使)に加わって上洛(京都まで東海道往復の旅)する機会を得たとされる。天保4年(1833年)には傑作といわれる『東海道五十三次絵』が生まれた。この作品は遠近法が用いられ、風や雨を感じさせる立体的な描写など、絵そのものの良さに加えて、当時の人々があこがれた外の世界を垣間見る手段としても、大変好評を博した。
なお、つてを頼って幕府の行列に加えてもらったとの伝承が伝わるが、実際には旅行をしていないのではないかという説もある[2]。 また、司馬江漢の洋画を換骨奪胎して制作したという説もある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Daily Vocabulary(2010/08/29)

2010年08月29日 | Daily Vocabulary
9851.forward(転送する、促進する、前衛、全部の、前方へ)
Please forward my bill to my new address.
9852.blast(爆破する、非難する、攻撃)
With a blast of jet engines,the airliner took off.
9853.straight(まっすぐ、正常な人、直立した人、正しい、一直線)
Draw a straight line on a piece of paper.
9854.institute(設立する、研究機関、協会、原則)
The company instituted it's own welfare system.
9855.deputy(代理人、代表者、代議士)
I am appointing you as my deputy in charge of shipping.
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四国八十八ヶ所 第七番光明山十楽寺/徳島県阿波市(2010/05/04)

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