36:岩井喜代太郎の二見屋娘お袖
この図は、寛政六年七月、河原崎座上演の二番目狂言「桂川月思出」に登場する二見屋という宿屋の娘役である。
この絵は写楽第二期作品の細判中では出色の出来である。
黄摺背色に、さらに黄八丈の縞を着物に描いたところに写楽の大胆な色彩感覚があるといっていい。
全体にこの黄っぽい色彩をかっきりと引きしめているのが、黒い襟と裾廻し、そして濃緑の帯である。
この二つの色の寸分の狂いのない位置の効果には素晴らしい写楽の芸術感が巧まずに現れている。
さらにこの絵を見事にしているものに、姿態の彎曲した歌舞伎の女形の女らしい描写がある。
しかもこれを助けるものとして、左手の位置、そのもつ長煙管と左手で煙草をつめている、その左手の位置がある。
この技巧は驚くべき写楽の芸術であって、写楽が歌舞伎を熟知し、歌舞伎を実際に描写したことを示すものである。
※東洲斎 写楽
東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく、旧字体:東洲齋 寫樂、生没年不詳)は、江戸時代中期の浮世絵師。
寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年3月にかけての約10ヶ月の期間内に約145点余の錦絵作品を出版し、忽然と浮世絵の分野から姿を消した正体不明の謎の浮世絵師として知られる。
本名、生没年、出生地などは長きにわたり不明であり、その正体については様々な研究がなされてきたが、現在では阿波の能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、1763年? - 1820年?)だとする説が有力となっている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この図は、寛政六年七月、河原崎座上演の二番目狂言「桂川月思出」に登場する二見屋という宿屋の娘役である。
この絵は写楽第二期作品の細判中では出色の出来である。
黄摺背色に、さらに黄八丈の縞を着物に描いたところに写楽の大胆な色彩感覚があるといっていい。
全体にこの黄っぽい色彩をかっきりと引きしめているのが、黒い襟と裾廻し、そして濃緑の帯である。
この二つの色の寸分の狂いのない位置の効果には素晴らしい写楽の芸術感が巧まずに現れている。
さらにこの絵を見事にしているものに、姿態の彎曲した歌舞伎の女形の女らしい描写がある。
しかもこれを助けるものとして、左手の位置、そのもつ長煙管と左手で煙草をつめている、その左手の位置がある。
この技巧は驚くべき写楽の芸術であって、写楽が歌舞伎を熟知し、歌舞伎を実際に描写したことを示すものである。
※東洲斎 写楽
東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく、旧字体:東洲齋 寫樂、生没年不詳)は、江戸時代中期の浮世絵師。
寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年3月にかけての約10ヶ月の期間内に約145点余の錦絵作品を出版し、忽然と浮世絵の分野から姿を消した正体不明の謎の浮世絵師として知られる。
本名、生没年、出生地などは長きにわたり不明であり、その正体については様々な研究がなされてきたが、現在では阿波の能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、1763年? - 1820年?)だとする説が有力となっている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』