![]() | ぐれる! (新潮新書) |
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新潮社 |
【一口紹介】
◆出版社からのコメント◆
担当編集者より 2003/04/02
著者の中島義道氏は、『哲学の教科書』(1995年、講談社。現在、講談社学術文庫)や『うるさい日本の私』(1996年、洋泉社。現在、新潮文庫)で注目を集めて以来、旺盛な執筆ぶりで多くの著書を上梓してきました。
今年になってからも『怒る技術』(PHPエディターズ・グループ)が刊行されています。コラムニストの山崎浩一氏が同書の書評(朝日新聞)で「せいぜい私も怒らせる技術ばかりでなく怒る技術にも磨きをかけ、善意の大海原に豊かな波風を立てられる偏屈オヤジを目指そう。著者の隣人ではなく、読者でいられる幸運をかみしめつつ」と書いたように、世間的善意の欺瞞に怒り戦っている中島氏の「記録」に読者として接し続けることができるのはまさに幸運であり、あるいは喜びでもあり、ある人たちにとっては癒しでさえあるのです。
そして、このたびの新刊『ぐれる!』で、中島氏は、これまでにはない新しい“提案”をしています。
この世の中には、政治・経済・環境・民族など、あらゆる面で社会的問題が山積しています。戦争も、市民運動も、社会を変革しようという意志のもとに行われているに違いありません。
社会を変えれば改善・解決できる問題も、たしかにあります。しかし、個人にとって最も重たい問題は社会をいくら変革してもいささかも解決されることはありません。著者いわく「盲人が目が見えるようになるわけでもなく、鈍才が秀才になるわけでもなく、ブスが美人になるわけでもない」のです。とりわけ、「死すべきあなたが死なないようになるわけでもない」のです。
志が高い人ほどこうした壁に打ち当たるのであり、たまたま自分が恵まれた立場にあったとしてもその恵まれ方に釈然としないはずです。劣った者の目線から不平等を告発するのなら単なるルサンチマンですが、優れた者の視点からも、つまり誰の視点からも、人生の理不尽は明らかです。
著者は、こういう理不尽を噛みしめて生きることが「ぐれる」ことであり、徹底的にぐれることこそが「正しい」生き方だということを、本書『ぐれる!』で説いています。この世界を生きるためのひとつの武器として「ぐれる」ことを勧めているところに本書の新しさがあるのです。
◆内容(「BOOK」データベースより)◆
善良な市民たちの欺瞞に満ちた価値観が蔓延する社会が、イヤでたまらない。
その価値観から外れている自分のことも、イヤなのだ。といって、犯罪に走ることも、自殺することもできない―。
そういう人は、真剣に「ぐれる」しかない。自分の置かれている理不尽をまっこうから見据えて、それを噛み締めながら生きていくしかないのです。
「ぐれる」ことこそが正しい生き方だということを、初めて、かつ徹底的に説いた書。
◆著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)◆
中島/義道
1946(昭和21)年福岡県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ウィーン大学基礎総合学部修了。哲学博士。電気通信大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
【読んだ理由】
題名にひかれて。
【印象に残った一行】
ぐれる理由の語要素
(一)もうじき、どうせ死んでしまうこと。
(ニ)ひとは不平等に生まれついていること。
(三)人生は偶然に翻弄されること。
(四)それにもかかわらず、「明るい顔」をすることが要求されrこと。
(五)犯罪をなして社会から葬り去られるだけの勇気はないこと。
ブスはどういう顔をして公共の場に出るべきか
では、ブスはどういう顔をして公共の場に出てくれば許されるのか?
(一)何気ない風を装っている。
(ニ)ブスですんませんという顔をしている。
(三)自分がブスだなんて思ったことないの、という顔をしている。
(四)自分がブスだとわかっているけどしかたないと思っているの、という顔をしている。
結論から言いましょう。すべて許されません。残念がら全部許されません。特に(三)と(四)は「身の程知らずの態度」が態度がひどい仕打ちを受ける。
平成十五年の日本、どこもかしこも「失敗したほうがいいんだ」「ひきこもっていいんだ」「不器用なほうが成功するんだ」「そのままの自分でいいんだ」という嘘・嘘・嘘の大合唱。こんなの全部嘘八百です。人生、若いほうが、健康なほうが、美形のほうが、学歴があるほうが、仕事において成功しているほうが、カネのあるほうが・・・いいに決まっている。しかしおれ(私)には与えられず、一生与えられない、という真実がしらしらと広がっているだけ。ブスはブスのまま死ぬのです。ブスにも「個性的な美」があるなどと信じるのはやめましょう。もてない男は老衰するまでずっと持てないのです。自分には「人間的魅力」があるなどとほざくのはやめましょう。アホは死ぬまでアホなのです。アホなりに「生きる価値」があるなどど話をそらすのはやめましょう。アホはただひたすらアホなんです。みんな真実を見ていさぎよく絶望しましょう。それが正しくぐれるということ。どうですか?なかなかすがすがしくていいでしょう。
【コメント】
充分ぐれる要素がある。これからは私もぐれて生きよう、否、既にぐれた老人か。