阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

川崎市の生田緑地ばら苑はバラの香りにつつまれていた。 その1

2023年05月19日 | 関東あちこち

Oh散歩かい、のメンバーで5月期間限定の「ばら苑」を生田緑地に見に行きました。広いばら苑は我々のような年配者で賑わっていました。

2023年5月向ヶ丘遊園・バラ園

2023年5月向ヶ丘遊園の生田緑地バラ園

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三渓園の帰り、友人との集合時間まで 横浜中華街をぶらぶらした。    三渓園シリーズ その5/完

2022年11月22日 | 関東あちこち

この30年ほどで、横浜の中華街を歩くのは4,5回になるが 来るたびに街の雰囲気は変わっていく。

 10分の一ほどの規模の神戸の中華街もそうだが 中華料理店の経営者が 戦前から日本に住んでいる旧華僑から、

ここ20年ほどの間に中国から来た新華僑(今流にいえば旧華人から新華人へ)へ変わっているからのようだ。

 雰囲気が何となくガサガサして 以前の落ち着いた中華街が懐かしい。 

 歩いていても❝チャイナタウン❞というエンターテイメント映画のロケの現場にいるような感じがして 早々に落合場所の横浜駅西口の交番に向った。

それはそれとして 中華街を沢山の人が訪れているのには驚いた。

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三渓園の展望台から横浜港を見た。白川郷の合掌造りの豪邸が凄い。    三渓園シリーズ その4/全5編

2022年11月16日 | 関東あちこち

港の向こうに天気が良ければ富士山や三浦半島がみえるそうだ。

 旧矢箆原家住宅は:『飛騨白川郷の一部、現在の高山市荘川町にあった、江戸時代後期の入母屋合掌造りの民家で、御母衣ダム建設の水没地域にあったため、昭和35年・1960年に三溪園に移築されました。農民の家ながら、式台玄関や書院造の座敷など立派な接客の空間を備え、火灯窓が付けられるなど、飛騨の三長者の一人といわれた矢箆原家の格式の高さを伝える、現存する合掌造りでは最大級の建物です。』サイトから引用。

大池を回って帰途についた。

 

 

 

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1475年に京都木津川で建築され、三渓園に移築された 燈明寺の三重塔にも登った     三渓園シリーズ その3/全5編

2022年11月13日 | 関東あちこち

三重塔のある場所から見た三渓園

 

 

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 江戸時代以前の建物も、 各地から移設された日本家屋が庭園内に佇む   三渓園シリーズ その2

2022年11月09日 | 関東あちこち

 

 

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快晴の「横浜・三渓園」を訪ねた。        三渓園シリーズ その1

2022年11月08日 | 関東あちこち

某日 大阪・富田林市の友人が横浜のお孫さん宅を訪ねて来るので 横浜駅で17時に会って一杯やることになった。

 横浜に出かけることは滅多にないので 午前中に家を出て 彼に会う前に 以前から行って観たかった三渓園を訪ねることにした。

錦糸町駅で横須賀・総武快速線に乗り換えて40分後には横浜駅についた。

JR横浜駅で改札を出て、みなとみらい線の乗り場を探した。

みなとみらい線の終点 元町・中華街駅で降りて 横浜市営バスの乗り場を探し、15分間の乗車で三渓園前で下車。そこから5分歩いて目的の三渓園に到着した。

この日は快晴でびっくりするくらいの数の来園者がいた。スケッチ愛好会のメンバーが100人ほどあちこちの場所で絵筆を走らせていた。

約175,000㎡(53,000 坪)の広さの園を隈なく歩いた。(この日の万歩計 13836歩)

 

 

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外房線・内房線シリーズ その8 完    「天気がよければ洲崎神社から富士山が見える」 洲崎神社 その3

2022年08月02日 | 関東あちこち

養老寺へ降りる神社の横の急な道の取っ掛かりの場所に、雲が晴れていれば富士山が見えると言う鳥居があった。

見える時はこんな感じだそうだ。画像をwebから借用。但し撮影スポットは海に近い違う場所にあるようで鳥居のカタチが違う。

洲崎神社を下るのは急階段を避けて神社の隣の「養老寺」へ降りるこれまた急な坂を滑らないように、転ばないように、ゆっくりゆっくり降りた。

 

坂の途中に山伏の山岳修行で知られる修験道役行者が開いたという洲崎観音があった。

ようやく道に出て しばらく一時間に一本のバスを待った。

 

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外房線・内房線シリーズ その7    「洲崎神社の147段の階段はきつかったが、境内には いにしえの清澄な気が流れていた」 洲崎神社 その2

2022年08月01日 | 関東あちこち

「洲崎神社は、東京湾の出入口を見下ろす場所であることから、古来、漁師にとっての漁業神、船乗りにとっての航海神でした。

祭神は天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)といい、安房開拓神話に出てくる(四国の阿波から移住した)忌部(いんべ)一族の

祖神天太玉命(あめのふとだまのみこと)の后神(きさきがみ)です。

標高110mの御手洗山中腹に鎮座し、太平洋を一望できるほか、浜鳥居(一の鳥居)から富士山を眺めることもできます。

8月21日に実施される例大祭では147段の急勾配の石段をもみ・さしを繰り返しながら下りる神輿渡御や、千葉県の文化財に指定されている「ミノコオドリノ」の奉納があります。

また、神社裏手の御手洗山自然林は千葉県指定の天然記念物です。」引用元。

バッグを同行の印旛沼の里山住人のKさんに持ってもらい、147段の階段を休み休み何とか上がり切った。80歳の老爺は滅多にない大苦行を無事やりとげていにしえの空気を吸った。

帰りは階段ではなく 横のお寺への急坂を降りた。

この147段の階段の登りで足の筋力を使い果たしたらしく、もう一つ参詣を予定した「安房神社」訪問は次の機会になった(笑)。

 

 

 

 

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外房線・内房線シリーズ その6     「安房館山の洲崎神社をお参り」 洲崎神社 その1

2022年07月29日 | 関東あちこち

「洲崎神社は、東京湾の出入口を見下ろす場所であることから、古来、漁師にとっての漁業神、船乗りにとっての航海神でした。

祭神は天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)といい、安房開拓神話に出てくる忌部(いんべ)一族の祖神天太玉命(あめのふとだまのみこと)の后神(きさきがみ)です。

標高110mの御手洗山中腹に鎮座し、太平洋を一望できるほか、浜鳥居(一の鳥居)から富士山を眺めることもできます」。引用元。

館山駅前から乗車したバスの車窓から

 

 

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外房線・内房線シリーズ その5     「和田浦海岸で胸いっぱい思い切りオゾンをたっぷり吸い込んだ」「もう一つの熊野神社」

2022年07月28日 | 関東あちこち

民宿[じんざ]で朝食を食べた後 予定した館山行の電車の時間まで朝の散歩をした。

民宿を出て内房線の踏切を渡ると5分ほどでビーチに出る。

波がしらから上がる空気のありようの違いは 吸った瞬間に分かった。胸いっぱいオゾンを吸い込み、何回も何回も深呼吸した。免疫力が上がったような気がした(笑)。

海岸まで降りる道すがらにみかけた会社。あたりの民家には吉野姓の表札が多かったが 紀州吉野からの移住者の子孫らしい。

民宿から歩いて3分のところに別の熊野神社あったが 随分寂れていた。

世話人の名に「吉野某」と刻まれていた。

細い若竹が参道のあちこちに伸びていたりして 氏子さんたちも最近はあまり訪れていないようだった。

町全体に人の気配が少なく人口が減る一方の日本がこの地にもあった。

 

 

 

 

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外房線・内房線シリーズ その4  和田浦駅前30秒にある民宿「じんざ」の鯨料理フルコースは期待以上の味だったが 量が多くて 勿体ないがかなり食べ残した。

2022年07月26日 | 関東あちこち

  

尾羽の辛子酢味噌和えは尾羽がなくてユッケになった。

 

 

 

80歳の老爺の腹の容量にはハナから無理なボリュームだったが、小学生時代の給食の憧れだった鯨の竜田揚げやカツもあって大満足の一夜だった(笑)。

 

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外房線・内房線シリーズ その3    和田浦にある「鯨資料館」の勇魚文庫コレクションを楽しんだ。   

2022年07月24日 | 関東あちこち

「クジラについて知りたい人に利用し続けてもらえる資料館にしたい」日本最高峰のクジラコレクター『勇魚文庫』細田徹さんinterview前編

⇒「日本最高峰のクジラコレクターである細田徹さんのコレクションの一部が千葉県南房総市の道の駅『和田浦WA・O!』に隣接する『和田地域センター』内の資料館に展示されています。

館内は1階と2階に分かれ、1階は一般公開されています。昭和・大正の時代に作られた玩具や捕鯨道具など、クジラ関連の幅広いアイテムが展示されているスペースは、

見ているだけで気分が上がります。クジラについての幅広い知識を吸収したいなら、ぜひ訪れてほしい場所です。全文

 

 

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外房線・内房線シリーズ その2     「和田町の熊野神社にお参りして和田浦漁港で海を見た」

2022年07月23日 | 関東あちこち

熊野神社【由緒・沿革】(参考文献:和田町史)引用元

創立年代は不明ですが、明治二十二年(1889年)に記された「熊野神社縁起」が残されています。

熊野神社は安房郡内に41社もあり、和田町内にも5社あります。安房郡内41社の中で社格(注1)が旧郷社にとなっているのは当社だけです。

安房郡内に熊野神社が多いのは、昔から紀州と房州は密接な関係にあり、漁業者を中心に紀州からの移住者が多く、

熊野信仰が海岸沿いから河川を遡行して伝播したことが裏づけられていると思われます。
 
神社の社務所には梵鐘が保存されていて「房州朝夷郡和田村 海邉山清願寺 施主浄観 宝暦六(1756年)十一月 江戸西村和泉守作」と刻されています。

参拝したあと熊野神社を下って和田浦漁港まで海を見に歩いた。

 

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外房線・内房線シリーズ その1   「曽我駅から和田浦駅へ 車窓の風景」

2022年07月22日 | 関東あちこち

房総半島・安房の「和田浦」へ鯨料理を食べに出かけました。千葉県は早ければ大化元年(645年)頃から令制国として命名が始まり、

大宝元年(701年)に最終制定された大宝律令の旧国名で言うと「下総」「上総」「安房」の三国から成り立っています。

 その千葉県の「安房」の地は 四国徳島の「阿波」の地から忌部氏職能一族の住民が黒潮に乗って移住してきた土地です。参考資料⇒こちら。

 古代から近海鯨業が盛んな安房の「和田」で鯨料理を楽しみ、紀州から移住してきた人たちがその昔に建立した熊野神社や洲崎神社を訪ねました。

蘇我駅で 友人の印旛沼の里山住人Kさんと合流し、外房線特急「わかしお」に乗りました。☟蘇我駅ホーム

特急の車両の乗客はがらがらかと想像していましたが 七割がた席が塞がっているのには驚きました。東京駅始発の外房線特急「わかしお」は人気路線のようです。

茂原という地名は近くにある城下町である恩師の出身地「大多喜」の地名と共に忘れられない。

 今は 故郷大多喜町の稲葉家の菩提寺に眠る稲葉襄先生は紀州和歌山でも学ばれ 長く多くの学生を育てられて神戸の地で亡くなられた。

御宿の駅

車窓から見た外房の海

和田浦駅の跨線橋の上から

和田浦駅は無人駅だった。降りた駅でのスイカでの清算運賃2310円。 車内で購入した自由席特急券 900円だった。

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参考資料の一部から引用

:◎『古語拾遺』には、天富命が天日鷲命の孫を率いて肥饒地を求めて阿波国に渡来し、榖・麻の種を植えたが故に麻殖郡と名付けられた。」とあり、

吉野川市の前身である麻植郡の名称は、阿波忌部が植えた麻に由来するものです。吉野川市山川町忌部山には「忌部神社」が祀られ、

市内全域に阿波忌部に纏わる伝承地や史跡が今もなお数多く残されています。また、徳島県の旧国名である「阿波」も阿波忌部に由来しています。

ヤマト王権の成立にも大きな役目を果たしたと見られる阿波忌部は、吉野川を出発し、黒潮ルートで房総半島に渡り、

関東一円を開拓していきました。その足跡は伝承によれば、伊勢・讃岐・出雲・石見など全国に及び、榖・麻・農業・織物・陶芸・音楽などを伝えた

産業技術集団及び海洋民として伝えられています。

◎忌部交流会実行委員会の委員長は、館山市相浜「楫取神社」氏子である鈴木馨氏が担当。
当日は、勝浦市から自動車で移動し、南房総市白浜町「下立松原神社」、
館山市「神余」「神戸」「布良崎神社」「楫取神社」「洲宮神社」「安房神社」「忌部塚」
を、実行委員会メンバーの方々に案内していただいた後、午後から忌部交流会に臨んだ。
交流会は、予想を遥かに上回る来場者があり、大盛況の中でイベントが終了した。
阿波忌部族が房総半島へ渡来後、その過去の業績を称えるために、その末裔が正式訪問するのは、
実に約1700年ぶりのことであると考えられ、開拓した先人に、感謝の意が捧げられた。などなど。

 

 

 

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和田浦駅の跨線橋から見た風景

2022年07月21日 | 関東あちこち

鯨博物館も見えます。

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