阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

イタリア一人旅行中の友人からのメール 第六報  「シラクーサ」

2019年06月13日 | ゲストルーム
一人で20日間のイタリア自由自在旅行をしている友人のHTnkさんからの第六報メールです。現地時間6月12日23:35発信です。
⇒ギリシア劇場、現存する最大のものとの事です、夏は古代演劇を上演するために観客席が9割方木の座席で覆われ何とも興ざめですが。☝
実はシラクーサは私も名前のみで、その耳に残っている響きの良さからシチリアにゆくなら寄ってみようと2泊したものです。
来てみてここは古代ギリシャ、ローマ、ビザンチン、アラブ、ノルマンーーーと3000年以上それぞれの拠点として栄え、遺構も残っている
歴史的なまちでした。古代ギリシャの紀元前200年代にかのアルキメデスがここで生誕し、亡くなった地でもありました。
記憶力減退は嘆かわしいですがそう言えば歴史で習ったはずと思います。墓があるとのことで探し回りましたが猛暑に負け諦めました。
シチリア州立考古学博物館は素養なき私でも凄いと思います。先史時代からのコレクションが整っていますがアフロディーテのヴィーナスもありました。

旧市街、オルティージャ島の先端部と城塞。

当地は食事も美味しいです。今晩の夕食、いつもの事ながらまず飛びついてから思い出して撮影するパターンです(実物はもっと見栄えがします)。



最後はワインを写す振りをして周辺を写したもの。

あす朝はカターニアに立ち寄って、パレルモに向かいます。旅は終盤に向かいつつあり、まるで夏休が終わりかけた小学生の心持ちです。

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印旛沼の里山住人夫妻が中国湖南省 張家界市/武陵源の旅を楽しんだ   その3/全5回 [十里画廊]       

2019年06月13日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集
千葉県は印旛沼の近くの栄町に住むKさん夫妻の「中国湖南省 張家界市 武陵源ツアー」の3回目です
⇒観光2日目は世界遺産/武陵源風景区へ観光です。
広い風景区内はシャトルバス、トロッコ、エレベーター、ロープウェイで移動、観光です。
この山の中に昔から人が住んでいてシャトルバスの道路脇には民家が点在していて、石ころだらけの畑に
トウモロコシが植えられ、庭には洗濯物が干してあった。
まず向かったのは十里画廊という場所。
渓谷沿いに片道5Km(往復十里)にわたって奇岩が続いていて遊歩道とトロッコ電車が並行している。
時間節約のためトロッコ電車での往復だったが真っ青な空のもとゆっくりと歩きたい場所だった。
十里画廊

















終点駅前広場はお決まりの土産物屋、小吃屋があり野生の猿が現れた。
他の場所でも猿が現れ観光客の持っている食べ物を横取りしていた。
 野生の猿


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居酒屋で焼魚定食

2019年06月13日 | ある日のランチ
6月某日、歯医者の予約日だった。全ての歯のクリーニングが終わったら午後一時半になっていた。帰り道の途中にある居酒屋がランチ定食をやっているので寄った。
メニューは豊富で、その中から焼き赤魚定食にした。材料が新しくおいしかった。



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「田辺聖子展ーおせいさんの神戸交遊録」@神戸文学館

2019年06月13日 | 音楽・絵画・映画・文芸
2012年12月22日に掲載。再投稿します。
気がついたら12月25日に終わってしまう「田辺聖子展」。92号線のバスの「王子公園」で降りると神戸文学館が見えています。




















長い間、田辺さんの世界に助けられてきた。会話は関西言葉、地の文は共通語。彼女が作り上げたこの文体は、今も西加奈子などの若い関西の小説家に引き継がれている。たなべさんの小説は、会話が楽しい。男性中心社会で働くおなごたちの勁さ、弱さ、辛さ、仲間たち、そして恋愛と生活を描いてきた。田辺さんの本に登場する女性はみな魅力的だ。家の中に彼女の本は数えきれなくある。姥シリーズも全部買って読んだ。

〇コーベの町というのは、私にいわせれば、完全重装備、ギリギリにしめ上げた下着なんかつけて気取って歩く町じゃないのだ。
肌に風を、太陽を、海の匂いを受けて「ほっつきあるく」町なのだから。(『ダンスと空想』)
〇トシなんてねえ、三十五から先はなくなるのよ。その人の持っている味だけになるのよ。(『魚は水に女は家に』)
〇ケチと人に思われることを気にする人は、本質、ケチだからである。(『孤独な夜のココア』)

 会場で展示されている田辺聖子のアフォリズムから抜粋。
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追悼・田辺聖子さん「人生の喜びは、一人でも多く、話の合う人を獲得すること」   AERA

2019年06月13日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・・・「小説はどんなふうにでも書けるけれど、『かくあらまほしい』ものを書きたいという気持ちが、心の底にあるのね」

 初めてお目にかかった時、田辺さんはそう言った。

「恋愛」「大阪弁」「終わった恋」など、テーマごとに編み直したコレクションを出したいという希望を、田辺さんは鈴のような声で笑って、喜んでくれた。

「私は会社の乗っ取りも知らないし、浮世をしのいでいく知恵もない。大きな話よりは家庭の中の小さなこと、ごく身近なことしか発想できないから、いつも細々としたお話になっちゃう」

「でも、人生って、結局はささやかなものから成り立っていると思うのね。人が生きていくうえで一番大事なことは、いつも横にいる人と上手くいく――ということ。私はもっぱら、家族構造専門ですけど、家庭の出来事にも、目には見えない人間の大きな意味があると思うんです。大きな事件が起こらない『ただごと小説』だからこそ、気をつけるべきは台詞がマンネリにならないことね。日常レベルの台詞でも、つまらなく書いてはだめ」


画像クリックで本文に飛びます。

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