このノンフィクションに描かれている 「西川一三」という人は蒙古人のラマ僧になりきって日本政府の「密偵」として現地情報を集めながら
八年間中国大陸の奥深くを単独で歩き、生き抜いた人である。彼は山口県で生まれ、帰国してからは盛岡で生涯をすごしその地で亡くなった。
西川さんは自分の体験を3年間の執筆で旅行記の原稿にまとめたあとは、理美容材卸業を営む市井の一商人として生きて盛岡の地で89歳で死んだ。
◎ 500頁を越える厚い本を読みだしてすぐに 人間にはここまで好奇心の強い、気力体力知力に秀でた人がいるのだとただただ驚いた。
勿論西川さんと言う人の存在を今回初めて知ったが、2008年に亡くなった彼とはこの地球上で同じ期間をかなり長い間共有していたことになる。
人が持つ歩くという能力は本当にすごいものだ。彼は北海道の稚内から九州の南端に至る距離に相当する地をいくつも何度も我が足で渡っていく。
何のために? ただ自分がそうしたいから??
この本を読み終わった時 何分かの間、理由なく胸がいっぱいになり、涙が出そうになった。
576ページの本を二晩で読んでしまったのもひさしぶりの経験だった。
阪神淡路大震災を体験したあとからは 「小説ってどうせ作り物の話だよな」と思ってしまうようになってしまった。
ただ作中にユーモアや諧謔があればなんとか読める。
ノンフィクションは違う。事実の圧倒的な積み重ねの記録は あさはかな自分の想像力をはるかに超える時がある。
沢木さんありがとう。いい人間の日本人がいたことを教えてくれて。
余談ながら西川さんが出会った各地の民族や村人の中に日本人そっくりに見える集団がいた描写がいくつか出て来る。
最近の人類学のDNA研究の成果ではある意味当然のことながらそのエビデンスの一つとしてなんか嬉しい。
また西川さんの新規の場に向かっていく気概と行動力は、ホモサピエンスがアフリカ大陸を出てから日本列島にたどりついた
その過酷な旅もこの西川さんのような人がいて意外とたんたんと実現したのかもと妄想が浮かんだ。
ホモサピエンスの「グレートジャーニー」をおこなった遺伝子が西川さんの体内に強く存在していた。
「西川一三」1918年、山口県に生まれる。1936年、福岡県立中学修猷館卒業後、満鉄大連本社に入社。41年、満鉄を退社し、張家口駐蒙大使館が主宰する興亜義塾に入塾。43年、同塾を卒業後、駐蒙大使館調査部勤務となり、中国西北部潜入を命ぜられ、内蒙古、寧夏、甘粛、青海、チベット、ブータン、西康、シッキム、インド、ネパール各地を潜行。50年、インドより帰国(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
『秘境西域八年の潜行 抄 中公文庫BIBLIO』より
沢木耕太郎インタビュー かっこいい人
インタビューの中で 印象に残る箇所
──沢木さんご自身は、西川さんの旅のどこがすごいと思いましたか。
沢木 ラマ僧に扮してラクダを引いて中国の奥地を旅するというのは、僕も彼と同じ状況だったらできたかもしれない、と思うんです。絶対に不可能ではないなと。
でも日本の敗戦を知った後、2つ目の旅が始まるんですよね。密偵という使命から解き放たれて自由になるものの、国家という土台や頼るべきものを失ってしまい、お金もないし、頼る人もいない。そこから彼はまた旅を始めた。その何もない状態で僕は旅を続けただろうかと自問すると、やっぱり帰ることを考えただろうと思うんですね。けれども彼は旅を続けて、現地の人々の中に入り、言葉を覚え、そして最も下層の生活に身を浸して生きていった。それはたぶん僕にはできなかったでしょうね。
──敗戦を知った後も旅を続けたのがすごいと。
沢木 そこからの旅が、彼にとって本当の旅になる気がするんです。どのように生きてもいいという自由を手に入れてから、旅がどんどん純粋なものになっていく。ただ、知らないところ、見たことのないところに行きたいというのが目的になって、純化された豊かな旅を生きていくんですね。そこが本当にすごいと思います。
──敗戦を知ってからの旅は、沢木さんから見て理想的な旅に映りますか。
沢木 彼は、いろいろなものをどんどんそぎ落として移動していきました。人に頼らず、旅に必要なものすべてを自分で手に入れコントロールするというのは素晴らしいと思います。純粋で、理想的な旅の形なのではないでしょうか。
単調な日々を苦痛と思わない人
──『天路の旅人』を読んで、旅と同じぐらいすごいなと思ったのが、西川さんの人生の落差というんでしょうか、旅をしているときの予想外の出来事だらけのドラマチックな日々と、日本に帰国して盛岡で理美容材卸業を営むようになってからの何もなさ過ぎる日々の落差がすごいですよね。
沢木 確かに大きな落差がありますよね。その落差を生み出すキーになるのは、彼が「自己認証」を必要としない人だったということなんですよね。誰かに認めてもらいたいとか、周りからすごい人間だと思われたいとか、そういう欲求をほとんど持っていなかった。外部の目線、視線によって自分を認証してもらい、それを喜びとするようなことがまったくない人だったと思うんです。
──『天路の旅人』には、毎日、毎日、ずっと同じことを繰り返すのがラマ僧の一生だという記述がありました。西川さんの盛岡での生活は、まるで宗教的な修業のようですね。元旦以外364日働き、毎日の行動も食べるものもルーティン通りです。
沢木 確かにお寺で修業しているのとほとんど変わらないですよね。でも彼は、日々の同じことの繰り返しがそんなに嫌いではなかったんじゃないかと思います。無限に繰り返される単調な日々というのが、そんなに苦痛ではない人だったと思う。