阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

沢木耕太郎さんの「天路の旅人」を読みおわったら胸が一杯になった。

2023年04月12日 | 乱読は楽しい

このノンフィクションに描かれている 「西川一三」という人は蒙古人のラマ僧になりきって日本政府の「密偵」として現地情報を集めながら

八年間中国大陸の奥深くを単独で歩き、生き抜いた人である。彼は山口県で生まれ、帰国してからは盛岡で生涯をすごしその地で亡くなった。

 西川さんは自分の体験を3年間の執筆で旅行記の原稿にまとめたあとは、理美容材卸業を営む市井の一商人として生きて盛岡の地で89歳で死んだ。

◎ 500頁を越える厚い本を読みだしてすぐに 人間にはここまで好奇心の強い、気力体力知力に秀でた人がいるのだとただただ驚いた。

勿論西川さんと言う人の存在を今回初めて知ったが、2008年に亡くなった彼とはこの地球上で同じ期間をかなり長い間共有していたことになる。

 人が持つ歩くという能力は本当にすごいものだ。彼は北海道の稚内から九州の南端に至る距離に相当する地をいくつも何度も我が足で渡っていく。

何のために? ただ自分がそうしたいから??

 この本を読み終わった時 何分かの間、理由なく胸がいっぱいになり、涙が出そうになった。

   576ページの本を二晩で読んでしまったのもひさしぶりの経験だった。

阪神淡路大震災を体験したあとからは 「小説ってどうせ作り物の話だよな」と思ってしまうようになってしまった。

  ただ作中にユーモアや諧謔があればなんとか読める。

ノンフィクションは違う。事実の圧倒的な積み重ねの記録は あさはかな自分の想像力をはるかに超える時がある。

 沢木さんありがとう。いい人間の日本人がいたことを教えてくれて。

 余談ながら西川さんが出会った各地の民族や村人の中に日本人そっくりに見える集団がいた描写がいくつか出て来る。

最近の人類学のDNA研究の成果ではある意味当然のことながらそのエビデンスの一つとしてなんか嬉しい。

 また西川さんの新規の場に向かっていく気概と行動力は、ホモサピエンスがアフリカ大陸を出てから日本列島にたどりついた

その過酷な旅もこの西川さんのような人がいて意外とたんたんと実現したのかもと妄想が浮かんだ。

ホモサピエンスの「グレートジャーニー」をおこなった遺伝子が西川さんの体内に強く存在していた。

 

西川一三1918年、山口県に生まれる。1936年、福岡県立中学修猷館卒業後、満鉄大連本社に入社。41年、満鉄を退社し、張家口駐蒙大使館が主宰する興亜義塾に入塾。43年、同塾を卒業後、駐蒙大使館調査部勤務となり、中国西北部潜入を命ぜられ、内蒙古、寧夏、甘粛、青海、チベット、ブータン、西康、シッキム、インド、ネパール各地を潜行。50年、インドより帰国(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
秘境西域八年の潜行 抄 中公文庫BIBLIO』より

沢木耕太郎インタビュー かっこいい人

 インタビューの中で 印象に残る箇所

──沢木さんご自身は、西川さんの旅のどこがすごいと思いましたか。

沢木 ラマ僧に扮してラクダを引いて中国の奥地を旅するというのは、僕も彼と同じ状況だったらできたかもしれない、と思うんです。絶対に不可能ではないなと。

 でも日本の敗戦を知った後、2つ目の旅が始まるんですよね。密偵という使命から解き放たれて自由になるものの、国家という土台や頼るべきものを失ってしまい、お金もないし、頼る人もいない。そこから彼はまた旅を始めた。その何もない状態で僕は旅を続けただろうかと自問すると、やっぱり帰ることを考えただろうと思うんですね。けれども彼は旅を続けて、現地の人々の中に入り、言葉を覚え、そして最も下層の生活に身を浸して生きていった。それはたぶん僕にはできなかったでしょうね。

──敗戦を知った後も旅を続けたのがすごいと。

沢木 そこからの旅が、彼にとって本当の旅になる気がするんです。どのように生きてもいいという自由を手に入れてから、旅がどんどん純粋なものになっていく。ただ、知らないところ、見たことのないところに行きたいというのが目的になって、純化された豊かな旅を生きていくんですね。そこが本当にすごいと思います。

──敗戦を知ってからの旅は、沢木さんから見て理想的な旅に映りますか。

沢木 彼は、いろいろなものをどんどんそぎ落として移動していきました。人に頼らず、旅に必要なものすべてを自分で手に入れコントロールするというのは素晴らしいと思います。純粋で、理想的な旅の形なのではないでしょうか。

単調な日々を苦痛と思わない人

──『天路の旅人』を読んで、旅と同じぐらいすごいなと思ったのが、西川さんの人生の落差というんでしょうか、旅をしているときの予想外の出来事だらけのドラマチックな日々と、日本に帰国して盛岡で理美容材卸業を営むようになってからの何もなさ過ぎる日々の落差がすごいですよね。

沢木 確かに大きな落差がありますよね。その落差を生み出すキーになるのは、彼が「自己認証」を必要としない人だったということなんですよね。誰かに認めてもらいたいとか、周りからすごい人間だと思われたいとか、そういう欲求をほとんど持っていなかった。外部の目線、視線によって自分を認証してもらい、それを喜びとするようなことがまったくない人だったと思うんです。

──『天路の旅人』には、毎日、毎日、ずっと同じことを繰り返すのがラマ僧の一生だという記述がありました。西川さんの盛岡での生活は、まるで宗教的な修業のようですね。元旦以外364日働き、毎日の行動も食べるものもルーティン通りです。

沢木 確かにお寺で修業しているのとほとんど変わらないですよね。でも彼は、日々の同じことの繰り返しがそんなに嫌いではなかったんじゃないかと思います。無限に繰り返される単調な日々というのが、そんなに苦痛ではない人だったと思う。

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映画「英国王のスピーチ」を観ました。

2023年04月12日 | 音楽・絵画・映画・文芸
2011年03月05日(土)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 

シネコンで映画を観だしてから、立ち見が出るという体験を初めてしました。

☆ 人が人に思いを伝える「言葉-母国語」をこれほど大切にしている国があるのかと思いました。

一国のリーダーがその国の全ての階層の老若男女にヒトラードイツとのやむを得ない開戦の詔をラジオで語りかける。

その言葉は特別な王室語ではなく、普通の国語でした。

耳で聞いても子供でもわかる国語。そこには難しい漢文調(ラテン語)は一切なく、初めて耳にする難しい語彙は全くありません。

使う用語で権威を保ち、特別な人と思わせるのではなく、喋る中身で「戦争に勝つべく」国をまとめる。

それが王の役割だと王自身も知り、まわりの高官もそう思っている。

  この連中はやはり恐ろしい。

 人前で喋らないといけない・・と思うだけでもう喉がつまり息苦しくなる。

しかも必死でやろうとすればするほど事態は悪化する一方だ。

強い父親は怒り、我が子をなじり倒す。

なんという情けない息子だ、しっかり演説せんかい、と。

ったく他人ごとではない映画だ。

本人も苦しいが奥さんはもっと苦しい。
そしてその苦しいスピーチを聞かされる国民もやるせなく辛い。

 ここからの奥さん、と言っても現在のエリザベス女王のお母さんの働きが大きくて凄い。

彼女が見捨てていたら現在のエリザベス女王の父親である英国王ジョージ六世は誕生していなかったと思える勢いだ。

ロンドンの町中に住むオーストラリア人の舞台俳優崩れの一くにたみ。
当然彼はただの平民に過ぎない。

彼がいなかったらやはり英国王ジョージ六世は誕生していなかった。

 王家の人間と平民が治療の場で向き合うまでのプロセスも、
ユーラシア大陸の東側の島国ではありえないプロセスだ。

1対1で向き合う二人。息詰まる互いの応酬。こいつは本当にオレを助けてくれる力量のあるタマか。

この皇太子は自分を人間扱いする度量があり、本当に自分で直したいと思っているのか。それはまさに真剣勝負だ。

そして互いに理解できる相手に巡り合った。それでも紆余曲折は多々あり、それがこの映画のホンセンだ。

 イギリスの高貴な身分に対する概念と日本の高貴な身分の概念の違いがわかるのも面白い。

父の英国王が息子にこう言う。

「我々はこの国で一番卑しい職業についているのだ。我々王室の者は役者だ。役者としてしっかり王を演じるしかないのだ」

王もそう思い、くにたみも王様、あなた様は王の役割をしっかり我々が尊敬できるように演じてくださいと。

う~ん! 日本とイギリスはユーラシア大陸の両サイドの同じ島国で同じように王室、皇室制度を持っているのに、

どうして向こうの王さんはここまで現実の世界を生身で生きているのか。

 最初の自信なさげな皇太子は最後のシーンでは、威厳ある完全なる王に変身していた。思わずジーンときた。この俳優の力量を痛感するシーンだった。

義務を果たすために渾身の努力をする男。そして渾身の努力でその手助けをする男。これはそういう二人の男が作った物語でもある。

 これまでアカデミー賞は結構いい加減なもんだと思っていたがこの映画自身は、主演男優賞、脚本賞、監督賞、作品賞をもらって当然かもと思った。

  映画「クイーン」を観たときに感じたことを今回も思った。
つまり、次の英国を担うチャールス皇太子はん、しっかり修行してエリザベス女王の後を継いでや・・そういう大英帝国の全臣民の思いがこの映画を作らせたと。

(映画「クイーン」の感想文)。


この映画のロンドンの街には当然ながら、黒人やうちらアジア人などの有色人種はただの一人も登場しない。現代のロンドンの街を歩けば、

わずか70年ほど前は、そんな時代だったととても想像も出来ない。

想像も出来ないことが起こりうるんですね、きっとこれからも。

この映画も笑ってしまうシーンが本当に多い。この「お笑い」を自然に映画に入れる彼らの余裕は、日本やアジア映画にはなかなかない。

       やはり彼らは恐ろしい。

 余談ながら、満席の観客は4,5人を除いてエンドクレジットが終わって場内が明るくなるまで誰も席を立たなかった。みな余韻を楽しんでいるようでもあり、

製作したスタッフ、キャストへリスペクトの気持ちを表しているようにも思った。

いつものようにエンドロールを見ていくと、スタッフの中に「ローグ家の描写コンサルタント」という文字があった。


コンサルの名前を見るとローグという苗字だった。正確を期すために矯正士(彼は後に騎士号を授与された)の子孫を雇ったようだ。 



 ☆ 王と平民が真剣勝負でサシで渡り合う。

その全ては、豪州人(ロンドンで暮らしている)の吃音矯正者の息子が、皇太子のラジオ放送を聞いて、そのあまりの吃音の凄さに、

「お父さん、あの人を何とかしてあげて」と言ったことから始まった。

 こんな王様とクニタミの関わり合いの映画を作ることが許される英国という社会集団。

アングロサクソンが作った英国の社会は、カタチだけではない血の通った、弱くて強い生身の人間が国を率いている(いた)。

アングロサクソンと言う人間集団が、地球の土地の半分以上を制覇した理由の一端がわかる映画でもありました。

  この連中はやはり恐ろしい。

いずれにせよ、この映画ほど近頃いろんな考えるネタを
くれた映画はありません。

  ☆14時10分開演に間に合うように13時40分に三宮のシネ・リーブルについたら映画館が人であふれていました。

もう立見席しか残っていないというので止む無く次の16時半のチケットを買いました。


 開演20分前に列に並んでいたら、京都から来たんやけどエライ仰山なお人ですなと言う声が聞こえました。もう京都・大阪では上映が終わったのでしょうか。

2時間以上空き時間が出来たので、ジュンク堂へ行き、買おうと思っていた「新潮45 3月号--原節子特集号」、「組織の思考が止まるとき--郷原信郎」、「雑文集--村上春樹」を購入。

・原節子さんの15歳の映像がDVDでついている!


これを買いそびれると悔いが残るので買えて良かったです。

・元検事の郷原さんは民間企業に勤務したあと検事任官し、花の特捜にも在籍した経歴のあるご仁。

彼の書いている著作は下手なミステリーより面白い。まさに事実は小説より奇なりをいつも実感する。

 つまり、いくら権威を装ったところで検察や警察も普通のクニタミがやっていることがわかるのと、だからこそ組織は透明性とチエックが働かないと、

野放図に腐っていく恐ろしさを書き、彼なりの改良改善の具体策を提案していると期待して購入。

・村上春樹の小説は一回も面白いと思ったことがないが、彼のエッセイは週刊朝日に連載された30年ほど前から熱烈なフアンです。

この人は、阪神間の空気とTokio無国籍ゾーンが作ったシティボーイそのものだと思う。

地方都市を渡り歩いて育った自分とは、っとも遠いところにあるから、遊びの余裕がエッセイ中の諧謔に醸し出される彼に憧れるのだと思います。

 

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