阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

昭和50年代の海外あちこち記 その18   インド・ムンバイの昼時の弁当配達やパーシーのこと 

2023年04月24日 | 昭和50年代の海外あちこち記

2002年、2003年ごろメールで知人友人に発信した「海外あちこち記」から。

昭和50年代中頃、港湾荷役設備の商談でムンバイ当時のボンベイへ3、4回行きました。

日本から出るとボンベイには夜中の3時頃到着します。大きなビルが立ち並ぶ海岸線をホテルまで車で走るのですが、

街灯の下ごとに新聞をかぶった人達がえんえんと寝ています。同行したM商事の長谷さんに聞くと最下層のカーストの家族だということでした。

一年中、零度以下になることはないのですが、時々温度が下がることもあり、そんな日の朝はボンベイ市の清掃局のトラックが一家全員の凍死者の死体を回収に回るんだと。

「そんなアホな」と言うと「連中はいつも生存ぎりぎりの物しか食べられないので、いつも栄養失調であり、冬期にはよくあること」と言います。
 
街並みはヨーロッパの大都会並ですが、通りは子供の乞食が群れていて、彼らに付きまとわれて歩くことも出来ません。

インドに行くと人間も動物の一つの種類だと実感するとは聞いていましたが何日か過ごすと凍死者の話もほんとかなと思えるようになりました。
 
同時代にこの地球に生まれて、命の価値がこんなに違う・・・。インドに行くと人は皆、哲学者になるといいますが、

インドに生まれると輪廻の思想でもなければ日々生きていけないかも知れません。
 
一国にしてそのまま一つの宇宙であるインド・・、零の概念を人類で初めて考えついたインド人、今、世界のIT関連のソフト開発を支えている優秀なインド人達。そして仏陀の生まれた国。
 
大好きなインド料理を堪能した後、無思想の日本人サラリーマンであるボクは混乱したまま数日後、神田の雀荘「椿」でポン・チーに興じるのでした。




1)ムンバイでは昼前になると毎日、筒型をしたスズ製の容器の吊り輪に棒に通して、肩に沢山容器を担いだ人達がビルに入ってきます。

大きなビルにも小さなビルにも続々とやってきます。これはサラリーマンの弁当です。各人の家で作られたばかりの暖かい弁当を、

運び屋が契約した家ごとに回って集め、それをご主人の勤め先の会社まで届けると言う仕組みです。よくはわからないそうですが、

ボンベイは人口が1200万人の大都会ですから(そのうちスラムに500万人が住む)沢山のサラリーマンや大きな店の店員がおり、

ここに届けるのと食べた後の容器の回収で昼時は大混雑でした。2段重ねの入れ物の一つはライスやナンでもう一つはカレーなどの汁物だとのことでした。

何と贅沢な人達でしょう。会社で家と同じ物を毎日食べるなんて・・・その一方、昼食の運び屋という仕事をする人達があんなにいるなんて思いもよりませんでした。


2)ホテルを一歩出るとあっと言う間に30人位の子供の乞食に取り囲まれます。男の子も女の子もいます。

口々にテンパイ、テンパイ??と言いながら手を出してきます。とっくに忘れていたけれど、子供の時の自分と同じ年頃の戦災孤児の姿を思い出しました。

東京から同行したM商事の長谷さんから可哀相と思うだろうけど、この乞食集団の一人に一ルピーでも渡すと、

明日から集中的に狙われて囲まれるからみんなも困る。

絶対に渡さないでくれと言われていたので早足で通りを渡りましたが、私にとっては毎朝のストレスでした。

それぞれの集団に親方がいて、朝、乞食衣装を貸して夜鵜匠のように金を取り上げると言っていましたが真偽のほどはわかりません。

このカーストの子供は生きるために、五体満足に生まれながら、同情を買う為に親に不具にされることもあるなどという話も聞きましたが、

当地にいる間はそうかも知れんなと思っていました。

今思い出しても見た瞬間にこちらの身体が固まるような姿の乞食が沢山いましたので。



3)郊外に大きな洗濯場があるというので見に連れていってもらいました。

橋の欄干から下を見ると広大な広さのエリアに、段々に水が流れる洗濯場があって、屈強な男達が何百人も、

白い布に石鹸をつけて石に叩き付けて洗っていました。こういう場所がいくつもあり、商売は繁昌していると聞き、

この暑さだから毎日着替えるとなると膨大な仕事量だろうと納得しました。


4)大きな敷地を取った豪壮な屋敷がいくつも並ぶところを車で通りすぎたので、聞くとそこは「パーシー」が住む住宅街でした。

「パーシー」は昔のペルシャ、今のイランから ある時期にインドに移住した当時の貴族階級でいまだにインド人とは通婚せず、

純血を維持しているとのことです。インドの有力財閥「タタ」(タタ製鉄などのオーナー)はこのパーシーの一族です。

 ところで日産の社長のゴーンさんの両親はレバノン人でブラジルへ移民で行き、ゴーンさんはブラジル国籍ですが、

彼は学校はフランスの最高学府の一つの理工科学院?を出てルノーに入社しました。 レバノン、シリア、イランなどはインドアーリア族で、

広くいえばアングロサクソンやラテン系民族と親戚みたいなものです。 インドの最高カーストのバラモンもその一つの集団ですが

ボンベイの町で見かけるずんぐりむっくりの庶民の体つきや顔つきは、原住系の非アーリア系ドラビタ族の血を引いているのか、

ボクによく似ており何とも言えない不可思議な思いをしました。

   この日本列島では昔のボートピープルで大陸や半島各地から、流れついた当時の先進文化を持ったと言うか、人殺しに効率のいい鉄製の武器を持った連中に、

原住系の親玉クラスは蹂躪、虐殺され、大半の原住民は下層に取り込まれましたが、歴史というのは勝者の歴史ですから、

いつのまにか血塗られた歴史は人の記憶から消され、古来から単一民族の国という事になってしまいました。


(ただ最近、古事記や日本書紀の文間から、抹殺出来なかったもう一つの歴史が沢山見つかってきています。

また、埋められた銅鐸が人の住まない谷間から道路工事や造成地工事でブルドーザーの歯先にひっかかって、襲撃されてあわてて隠されたままの形で1500年後に

あちこちで見つかったりしていますが)

それに比べ、陸続きの地域というのは、次から次へとニューエントリーして来た連中を止められずに、先祖の生きるか死ぬかの戦いの記憶を持ちながら、

いま同じ時空で異民族どうしで折り合いをつけたり、つけられなかったりしながら息をしながら生きているということでしょうか。

ほんま大陸に住む連中は、えらいことやと思いませんか。


* 画像は全てインターネットから借用。阿智胡地亭がムンバイに行った当時に撮影したものではありません。

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2011年03月19日(土)のブログ     東日本大震災が起こった後「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから

2023年04月24日 | 東日本大震災ブログ
2011年03月19日(土)
恐怖を煽らない、異なった立場の人を攻撃しない
♪糸井重里のブログで頭の整理が出来ました。

一部引用・・

いまのぼくの個人的な傾向としては、
「脱原発の立場なのだけれど、恐怖を煽らない」
という考え方の人と、
「異なった立場の人を攻撃しない」
というような姿勢の人の意見を重視しています。
「ほらみたことか!」という人の意見については、
あとでその人の言う通りになったとしても、
ぼくは選びません。
こういうときには、今回一貫してとっている
「右往左往するのではなく、右往で判断を止める」
という考え方です。

ですから、もちろん、
「わたしは納得できない」「おおいに反対です」
という考えがあることも承知しています。
何度も言っているように、
「じぶんのリーダーは、じぶん」ですから、
危険をともなうことについても、
最後はじぶんがジャッジしてください。

全文はこちら


福島・双葉病院「患者置き去り」報道の悪意

☆NHKや朝日新聞など大手メディアの報道とは真っ向から食い違う。東京のオフィスにいる大手メディアの「正義の味方」であるデスクたちにとって、

連日の災害報道の中で、この出来事がいかに毛色の変わったおいしい食材だったかが透けて見える。

地震と津波と東京電力に蹂躙され、双葉病院のスタッフは大手新聞とテレビに存在の最後の止めを刺されそうだ。

こんな報道をするくらいなら東京電力の会長社長とロングインタビューをして、この事態をどう解決する積りかを聞き、それを掲載・報道したらどうかと思う。

 また、報道するネタがないなら、こんな時だから新聞の一部が白紙のまま、テレビの画面がざーっと白く流れていいのではないだろうか。


医師・看護師は患者を見捨てたりしていなかった。

福島県大熊町の「双葉病院」で、医師・看護師が患者を見捨てて逃げていた、という報道がなされていたが、実際には現場の状況は大きく異なることがわかった。

これは、病院関係者の家族によるツイートもあり、また後発の報道でも(見出しは悪意あるものの)内容的には「患者を置き去りにして職員だけが逃げた」と

いうような悪評を完全に否定するものとなっている。

現地での直接取材はかなわないが、当事者のツイートなどを「Togetter - 「福島・双葉病院「患者置き去り」報道に関する情報」」にもまとめてみた。

若い人なので表現が至らないところもあるようだが、その趣旨を酌んで以下、簡潔に状況をまとめてみたい。

少なくともマスメディアは名誉回復を全力で行なうべきだと思う。
•asahi.com(朝日新聞社):患者避難、医師ら付き添わず 21人死亡の双葉病院 - 社会
•東日本大震災:福島・避難の高齢者14人死亡 救助時、患者のみ82人--入院の病院 - 毎日jp(毎日新聞)「医師、職員らは不在」


もともと福島県による発表を受けて横並びの報道がなされたものだが、福島県の訂正発表を受けて、一部の報道は現在削除されている。
•時事ドットコム:「避難時に院長いた」=福島県が訂正発表
しかし、訂正後も病院関係者を非難する論調が残っているものが多い。読売の報道では、本文で事実が明らかになっているものの、タイトルが名誉を損なうものとなっている。

また、河北新報は古い情報のまま、非難口調をさらに強めている。


•福島・双葉病院、患者だけ残される : 医療ニュース : yomiDr./ヨミドクター(読売新聞)
•河北新報 東北のニュース/院内に高齢者128人 医師ら置き去り?避難指示の双葉病院:3月18日の訂正後の報道にも関わらず「県の担当者は「なぜ入院患者だけがいたか、

現段階では分からない。避難する中で混乱が起きることはあるが、もし高齢者だけを置いて避難したとしたら許せない」と話している」とさらに煽る文章となっている。


このような状況の中、最初の報道をそのまま受けて双葉病院の職員が逃げたかのように思ったままの人も少なくないと思われるので、簡潔にまとめておきたい。


双葉病院で起こったことのタイムライン


以上、報道ならびに関係者のツイートに基づくまとめにすぎないことはご了承いただきたい。(@supergirl5jrhさんの追加ツイートに基づき15:50追加・修正あり)
•2011年3月11日14時46分:大地震発生。
◦福島県大熊町・双葉町にある福島第一原発が緊急停止。
◦福島県大熊町の双葉病院と介護老人保健施設ドーヴィル双葉で患者・職員が孤立。福島第一原発から約3キロ離れている。
•3月12日5時44分:福島第一原発の避難指示の区域を、これまでの半径10キロメートルに拡大。双葉病院・ドーヴィル双葉が避難区域に含まれることとなった。
◦午前:大熊町役場まで双葉病院スタッフが患者を搬送したが10分後には双葉病院に戻された(理由は不明)。
◦昼休み:外出した双葉病院スタッフが、防護服を着た誘導者に対して「なぜ双葉病院は誘導しないのか」ときいたところ、「いやもう誘導したはずです」と回答。

そこで初めて双葉病院の患者が避難していないことが判明した。そこで急遽バスが派遣されることとなった。


◦14時すぎ:大熊町役場が福島交通の大型バス5台を派遣したが、患者・搬送者・護送者を乗せることができなかった。

また、救援に来たバスは普通の大型バスであったため、車いすや寝たきりの患者は搬送できなかった。
◦15時36分:福島第一原発第1号機で水素爆発。残された人たちは被爆した。
•3月14日昼前:自衛隊が同病院への救助に到着。患者・施設入所者130人を救出。その他、自力で脱出した人もいた。

患者98人と院長ら職員4名、警察官が残り、自衛隊が再び救援に来るのを待つ。
◦二度目に自衛隊が来るという時間になっても来なかった。
•3月15日午前1時ごろ:一緒に残っていた警察官から避難するよう求められ、院長ら職員4人は患者を置いて、警察官とともに隣の川内村に避難した。

そこで合流した自衛隊と共に病院に向かおうとしたが、避難指示の対象地域のため、自衛隊だけで向かうことになった。院長は「日付が変わり、警察官から避難を求められた。どうすることもできなかった」と述べている。
◦午前7時:中野寛成国家公安委員長は15日の閣議後会見で、午前7時現在「(退避指示が出されている)20キロ圏内では、

15日午前7時現在で、病院にいる96人を除いてほとんど完了している」と述べた。 防衛省によると、陸上自衛隊が陸路で96人をいわき市の避難所に移送する予定。

(人数が食い違っているが報道ママ)
◦午前から午後:自衛隊が残された患者を搬送(第2回・第3回)。この際「病院関係者の付き添いはなかった」と福島県が発表し、

「患者を見捨てて置き去りにして逃げた」という趣旨の報道が流れる原因となる(各報道機関横並びで福島県発表のみを報道)。

搬送中・搬送後に計21人の患者が亡くなった。
•3月17日:双葉病院主任が父だという@supergirl5jrhさんがツイッターで報道に反論するツイートを開始。夜、福島県が「避難時に院長いた」と訂正発表。
•3月18日:院長への取材内容が報道され始める。
(報道の数字が混乱していて、合計数がなかなか合わないが、これらは追って整理されるものと思う)

以上の流れをもう少し簡単にまとめると、「自衛隊が来るが、寝たきりや車いすの患者が搬送できず、一旦戻る」→「2度目の救援が来ない」→

「一緒に残っていた警察の指示で職員が川内村に避難」→「自衛隊と一緒に病院に戻ろうとする」→「避難地域なので一緒に行けない」→

「自衛隊だけが救援に」→「2・3回目の搬送の際、病院関係者は誰も現場に居なかった」→「職員が患者置き去りで逃げたと報道」という流れになる。

これでは「職員が患者を見捨てて逃げた」とは絶対に言えない(警察の指示でやむなく避難させられたのであって、再び)。

こんな報道をされたら、一生懸命がんばっていた職員に対する名誉毀損にしかならないと思う。

このような報道被害が繰り返されないよう強く願う。

本文はこちらから引用。

 


茨城県にも避難民がいる

長塚智広:競輪選手・アテネオリンピック銀メダリスト

 東日本大地震から1週間が経ちました。被災者の皆さまには心からお見舞いを申し上げます。

 東北地方の被害状況はとてつもないものであり、メディアでも沢山報道されています。しかし、福島県に隣接する茨城県北部の情報はほとんど報じられていません。

知り合いから、県北がひどい状況である事を聞き、何とか状態を知りたいと、県北の市議に地震直後から連絡を試みていました。

17日になって、やっと高萩市議に連絡が通じ、街の状況を知ることができました。議員の名前は伏せます。

 高萩市はいわき市から約50キロ南下したところにあり、福島との県境は北茨城市、その下が高萩市です。

 被災直後の高萩市の避難民は5000人いましたが、大勢は家に戻り現在では500人まで減っているそうです。

 避難所では市の手厚い保護で食料等は足りているものの、自宅に待機している人には食料、水、燃料が全く供給されない状態です。

 北茨城に公立病院はあるものの、かねてよりの医者不足もあり、患者が殺到して医者には疲労の色が濃く見えるそうです。

 特にインスリンと、透析の設備がないために、患者は遠く離れた日立、水戸まで行かなくてはならないとの事でした。

しかし、街では燃料が枯渇しています。日立までは20キロ、水戸までは50キロもあり、そこまで歩いていくことは困難です。

「町のガソリンスタンドにガソリンが入った!」の情報が流れても、あっという間に売り切れ、店まで行ったものの帰るガソリンがなく車を捨てて帰る人もいるらしいです。

 国にも支援を要請しているものの、茨城県北の情報が少ないために、市議から情報を上げてほしいと言われ、上げても進展がないとのことです。

道路が寸断され、燃料がなく公用車も動かないから、町の情報を知らせることが出来ません。ホームページは更新できるものの、高齢者でネットを使える人は多くありません。

町には自衛隊も来ているそうですが、町の情報を流してくれないので、住民は今どういう状態にあるのか? 今後の展望はどうなるのか? 

ということについて何も分からず絶望の中にいます。自衛隊もどういう状況にあるのか把握できていないのかもしれません。

 高萩市には、いわき市や北茨城市からも避難民が来ているようですが、受け入れ態勢は整っていません。

茨城県の避難所はつくば市にある洞峰公園ですが、県北から100キロ以上離れています。

 携帯電話はソフトバンクが1日前に復旧。ドコモ、AUも移動車が来るので間もなく復旧するそうです。

 住民は、「とにかく燃料と水が欲しい」と言うそうです。電気は復旧しているので電気を使う暖房器具のある家庭は何とかなっているようですが、

石油ストーブしかいない家庭はこの寒さで大変です。高齢者は特に大変です。

 町の商店は昨日でほぼ在庫がなくなり、営業もできず、商品がいつ入るかも分からないそうです。

 市では緊急災害用の備蓄食料を今配ろうか、数日あけて配ろうかを検討中だそうです。それが切れたら食料もなくなります。。。

 茨城にも避難民がいることを皆さんに知っていただきたい。少しでも早く支援の手が差し伸べられることを心から願っています。

from MRIC

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【行動力警報】外国人になぜ海外挑戦してるのか聞いたらこうなった

2023年04月24日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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04月23日に目に留まったSNS・メディアの記事

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