阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

本日 御頭祭(狩猟民族の祭?)が諏訪大社上社の前宮 で行われる   4月16日追記あり   

2023年04月15日 | 諏訪便り

 2007年4月の本ブログに掲載

今年も4月15日に諏訪大社上社の前宮で御頭祭が執り行われました。この祭りは3000年前に遡る縄文人の狩猟神信仰が今に連綿と伝わっているものです。

「春告げる諏訪大社「御頭祭」 五穀豊じょう祈願     (長野日報)

 神前にシカの頭をささげて五穀豊じょうを祈る諏訪大社の御頭祭が15日、行われた。諏訪市神宮寺の上社本宮と茅野市安国寺の前宮の間を行列が往復し、諏訪地方に農耕の春を告げた。
 神職や大総代、御頭郷の諏訪市中洲、湖南地区関係者ら約200人が行列を整えて本宮を出発。茅野市中道、槻木の氏子が「黄丁」と呼ばれる鮮やかな色の装束に身を包んで御霊代(みたましろ)を乗せたみこしを担ぎ、到着した前宮では神事で豊作を祈った。
 かつては3月の酉(とり)の日に行われていたため、「酉の祭り」とも呼ばれ、大社の重要な祭りの1つ。好天の日曜日とあって、境内や沿道は例年以上に多くの人でにぎわい、行列の後について歩く観光客らの姿も目立った。」

祭りの詳細はこちらにあります。2021年に実際に御頭祭りを見学した方のレポートはこちらです。

(上2枚の画像は数年前の新聞から)

茅野市にある神長官守矢資料館に往時の祭りの模様のレプリカが展示されています。


狩猟神と諏訪信仰について   こちら

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農作物の豊穣祈る 諏訪大社上社前宮で御頭祭

2023年4月16日 6時00分    長野日報

農作物の豊穣を祈る諏訪大社上社の例大祭「御頭祭(酉の祭り)」が15日、御霊代を諏訪市中洲の本宮から茅野市宮川の前宮に移して行われた。前宮の十間廊で神前に鹿の頭部(剥製)をささげ、北島和孝宮司が奏上した。

御霊代を乗せたみこしは、諏訪大社の諸行事に奉仕する御頭郷を務める落合・富士見・金沢地区の氏子に担がれ、行列を伴って本宮から前宮に運ばれ、十間廊の上段の間に安置された。鮮やかな黄色の衣装姿の氏子たちは、あいにくの雨の中、前宮、本宮間約1.5キロを往復した。

沿道には傘を差したり、雨具を着たりした見物客が多く見られた。カメラやスマートフォンで行列の様子を撮影し、神事を見守っていた。

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戦争に熱狂した日本の新聞とラジオ  田原総一朗

2023年04月15日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

2011年03月10日「阿智胡地亭の非日乗」掲載

田原総一朗のメールマガジン2011.3.4から全文引用・・

日中戦争や、太平洋戦争で
新聞やラジオが戦争を煽るように書き立てた事が、
今問題になっている。

新聞が戦争を礼賛し始めた最初は
日露戦争である。
日露戦争の始まる前、
実はほとんどの新聞が戦争反対だった。
ところが戦争が近づくと
戦争反対の新聞はどんどん売れなくなった。
経営が危なくなった。
そこで、どの新聞も戦争礼賛に転向した。
特に萬朝報は最後まで戦争に反対したが、
倒産の危機を迎えて結局戦争賛成に変わった。

これをきっかけに戦争が近づくと、
日本の新聞は戦争を賛美するようになった。
満州事変、日中戦争の時も
メディアは戦争礼賛になってしまった。
戦争を礼賛すればするほど、よく売れるのである。
そこで大新聞がみんな戦争礼賛になると、
雑誌や小新聞に対して
政府は過酷な弾圧を加えるようになった。
それでも反対すると、監獄にぶちこむ。
こういう状態で太平洋戦争を迎えるのである。

もちろん新聞社の中にも、或いは雑誌社にも
戦争に反対する記者達はいた。
だが、彼らは書く機会が与えられないか、
警察に逮捕された。

実は、太平洋戦争で敗れて
連合国から日本が侵略国、侵略戦争を繰り返した、
と決め付けられるまで、
日本には戦争が悪い、と言う空気はほとんどなかった。
戦争には勝てばいいのだと言う思いが強かった。
これは日本だけの現象ではない。
イギリス、アメリカ、フランス、オランダなどを始め、
先進国とは侵略戦争を重ねて戦争に勝ち、
負けた国を植民地にする、
その歴史を繰り返してきたのである。

先進国とは、すなわち侵略国なのである。
明治維新で開国して以来、日本は侵略国になるか、
植民地にされるかの戦いを繰り返してきたのである。
侵略戦争がダメだと言う事になったのは、
第一次大戦が終って結ばれたパリ条約によってであった。
しかし、これまでに行った侵略、
そして植民地作りは認められたのである。

日本で言えば侵略戦争と言えるのは、
満州事変と日中戦争だが
実は満州事変はイギリスやフランスが
絶対に支持してくれる事を前提で行ったのであった。
日中戦争については、
政府の幹部、軍の幹部の中にも
早く止めるべきだ、と言う声が強かった。
ところが、連戦連勝で、
しかも景気がどんどん良くなって
止められなかったのだ。
これは失敗だったと思う。
そして、太平洋戦争は
日本が世界で孤立して
踏み切らざる得ない戦争だった。


太平洋戦争の最も反省すべき点は、
世界で孤立し、負けるに決まっている戦争に
踏み切った事だ。
実は、政府の首脳も軍の幹部も誰一人、
この戦争に勝てると思っていた人間はいなかった。
無責任に煽っていたのは、
マスメディアだった。

戦後、アメリカが
「日本は侵略国で連合軍は正しい」と主張し続け、
僕を含め多くの日本人が
その押し付けに洗脳されていた。
だから、僕は再びこんな馬鹿げた戦争を
繰り返さない為に、
戦争に至る歴史を正確に伝えたいのである。

馬鹿げた戦争が起きる可能性は
これからもある。
そうなるとマスメディアは
戦争礼賛になる。
だから戦争を知らない若い人達に、常に考え、
話し合って欲しいと願っている。

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04月14日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年04月15日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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