2005年11月03日(木) ブログ「阿智胡地亭の非日乗」に掲載。
遊びの人生 石毛直道さんに聞く、
「おもろいこと優先」から抜粋
「60代も半ばを過ぎて思うのは、人生に目的なんかないし、その時々を遊びに生きるのもいいもんだということ」
「若い頃は勤勉や禁欲を大切にしなければと思っていたこともありますが、40代になって自分は本質的に遊び好きで享楽的な人間だということにきづきました。ならば遊びに生きよう。官能や肉体的な喜びに生きよう。その方が幸せな人生ではないかと考えるようになりました。」
仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教といった世界宗教はどれも、人間として生まれてきた意味を説く。そして戒律を課し、生きる道を教える。
仏教も、キリスト教も性や食におぼれるのは動物的本能に従うことであり、宗教が考える人間像から離れること、神から遠ざかることとされる。それを認めないというのではなく、石毛さん個人の生き方として「遊びこそ人生」と思い至たった。遊びは目的を持った行為ではない。人生に不可欠でもない。だからこそ、そんなことにうつつを抜かすのが人間的ではないかと思っている。
人生を何かの達成のための「生産の時間」ではなく、面白いことをするための「消費の時間」と考え、結果として何かが残ればいいというのだ。
食について・・・
石毛さんは考古学や比較文化論の蓄積から「人間だけが食べ物を料理し、みんなで共に食べる生き物」と定義した。動物は分けあって食べないが、人間は家族や友人たちと同じ食卓で一緒に食べるのが基本。
「料理と共食の織り成す人間行動」を見つめようという研究が本格化していった。
食べることに夢中になるのをいやしい、けしからんと言うのは武士の文化です」
「大食漢酩酊」の号は友人の作家、小松左京さんの命名。いまもその号そのままの日々を送る。
「休肝日なんてとんでもない。子供が自立するまでは親としての使命があります。でもその後は結果を引き受ける覚悟さえあれば、好きに暮らしたらいい」。石毛さんは商人の論理が生きる自己責任の町大阪を気に入っている。
石毛直道;民族学者。1937年千葉市生まれ。97年から6年間、国立民族博物館館長。それまでの食物史、栄養学、調理学とは違う人類の食事行動に焦点を絞った研究領域を開拓した。日経夕刊 '05/10/14 19面
1937年千葉県生まれ。京都大学卒業。農学博士。1997年より国立民族学博物館館長。アフリカ、東アジア、東南アジアなどで食文化の調査・研究に従事。著書に『リビア砂漠探検記』『食卓の文化誌』『食いしん坊の民族学』『鉄の胃袋中国漫遊』『食事の文明論』『文化麺類学ことはじめ』など。
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人生とは・・と言えば人それぞれの思いや、定義があるでしょうが、最近、「人生とは死ぬまでの暇つぶしだ」と言う言葉を知ってウーンと思いました。
12世紀後半の「梁塵秘抄」にある(遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。 )の解釈もいろいろあるようですが、人の思うことに時空の差はないのでしょう。
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