阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

茨城県・藤代町 六郷小学校の『卒業記念 白梅』が咲きだしました。       10年前の今日 2013年2月16日の本ブログに掲載

2023年02月16日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

茨城県藤代町から神戸に移植して26年。白梅は貫禄の太さの木になりました。




新幹線で移動した白梅     2003.3.2記

 早朝、外に出ると雨の中を梅の花のいい香りがただよってきました。庭の隅をみると、梅ノ木が白い花を沢山つけているのが見えました。

匂いにつられて木の側まで行ってみると幹が結構太くなっているのに驚きました。

この梅は長女の通った小学校が、卒業記念に卒業生全員に送った梅ノ木が大きくなったものです。

彼女が卒業した茨城県北相馬郡藤代町立六郷小学校は六つの郷(村落)から生徒が通学している小学校で、

うちの子は田んぼの中に新しく造成された八百戸ほどの戸建てで出来ている新興住宅地から通いました。

どの家にも庭がある農家中心の地域に茨城都民(新住民の99%の戸主は都内に通勤していた)が混入したことになります。

  あたりは利根川の支流である小貝川の流域に広がる豊かな農村地区で、JR取手駅からバスで15分から20分くらいのところにありました。

ところが、この記念の梅ノ木は、彼女が中学へ行き出してすぐに私が大阪へ転勤になったため、ボーナスのたびに少しづつ買い増した

植栽類と共に残さざるを得なくなりました。雑草だけしかなかった空地も七年住んで、なんとか庭らしくなってきたところで、

家を売る事になったので家族全員なんとなく寂しい思いになり、梅ノ木だけは引越先の神戸の家に植え替えしようという事になりました。

先行して赴任することになった私が植木屋さんの助言で植え替えは梅雨どきがいいと聞き、6月のある日曜日庭から掘り出し、

根の養生をして手で下げ、常磐線と新幹線で神戸に移動しました。この移植した梅が無事活着し、80cmほどの大きさながら

翌年から花をつけるようになり、それから16年たった今は2m近くに成長し、震災も凌いで毎年花と香りで楽しませてくれます。

わずかに取れる梅の実は梅ジュースになります。

この梅の花が咲くと藤代町で過ごした7年間の生活を、あいかたや子供たちは毎年懐かしく振返るようです。

注)住所は当時の表記で、藤代町は現在は取手市に合併されている。

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佐野洋子とシズコさん

2023年02月16日 | 音楽・絵画・映画・文芸
2010年11月27日(土)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 

佐野洋子さんは「百万回生きたねこ」の作者だ。子供が小さいとき相方がこの絵本を買ったので、そのとき佐野洋子という名前を覚えた。



それから彼女のエッセイを読むようになった。

  女はいくつになっても一身に少女と天女と般若が同居しているものだが、佐野洋子の場合はそれぞれの純度が高いと思った。

2010年11月5日に彼女が乳がんで亡くなった。

彼女の書いたもので最後に読んだのは「シズコさん」だった。

母親と娘のもうすさまじいエンドレスの戦い。

 これを書かないでは彼女は死ねなかったのだろう。書くことで彼女の中で浄化作用が起こったような気がする。

本の紹介文とプロフィル(webから引用)

『死なない人はいない。私もいつかは死ぬ。母さんごめんね、ありがとう――。

私は、母の手をさわったことがなかった。抱きしめられたこともない。あの頃、私は母さんがいつかおばあさんになるなんて、思いもしなかった――。

シズコさんは洋子さんのお母さん。結婚して北京で暮し、終戦、引揚げの間に三人の子供を亡くし、波瀾の人生を送る。

 ずっと母親を好きではなかった娘が、はじめて書いた母との愛憎』

1938(昭和13)年、北京生れ。武蔵野美術大学デザイン科卒業。ベルリン造形大学でリトグラフを学ぶ。

創作絵本に『100万回生きたねこ』『わたしのぼうし』『ねえ とうさん』(日本絵本賞、小学館児童出版文化賞)など、

創作童話として『わたしが妹だったとき』などがあり、そのほかにエッセイ集『ふつうがえらい』『神も仏もありませぬ』(小林秀雄賞)『覚えていない』

『シズコさん』『役にたたない日々』、小説『あの庭の扉をあけたとき』『クク氏の結婚、キキ夫人の幸福』などを発表している。

   佐野洋子さん、生き切った人。   合掌

シズコさん サイトから引用

 四歳の頃、つなごうとした手をふりはらわれた時から、母と私のきつい関係がはじまった。終戦後、五人の子を抱えて中国から引き揚げ、その後三人の子を亡くした母。

父の死後、女手一つで家を建て、子供を大学までやったたくましい母。それでも私は母が嫌いだった。やがて老いた母に呆けのきざしが──。

母を愛せなかった自責、母を見捨てた罪悪感、そして訪れたゆるしを見つめる物語。

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没後10年『100万回生きたねこ』佐野洋子を息子が語る「最後までわがままで、意地っ張りだった母」こちら

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02月15日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年02月16日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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浅草橋の「友安製作所カフェ」でゆっくりお茶と白ワインを楽しんだ。

2023年02月15日 | 東京あちこち

蔵前の町中華でランチを楽しんだ後JR浅草橋駅まで戻り、駅のすぐ近くのカフェで一休みした。

相方はケーキとコーヒーのセットを、私は白ワインを頼んだ。

店のウリのフレーズから引用。

インテリアにこだわったおしゃれカフェ

インテリア商品販売会社がプロデュースした店内は、お洒落な家具や内装などのインテリアも楽しめるのが特徴。

壁には友安製作所が販売しているファブリックボードやインテリア雑貨が飾られていたり、輸入壁紙やタイルシールでDIYを施しています。

おしゃれな空間でゆったりと贅沢なひと時をお過ごしいただけます。

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『きらきらアフロ』というテレビ東京の番組  関西弁から遠ざからないために毎週収録している鶴瓶と松嶋の即興掛け合い番組

2023年02月15日 | 音楽・絵画・映画・文芸

きらきらアフロ』『きらきらアフロ™』は、テレビ大阪テレビ東京制作で2001年4月6日から放送されているトークバラエティ番組である。

 笑福亭鶴瓶松嶋尚美即興の掛け合いを展開する。

開始当初はテレビ大阪制作であったが、2012年4月改編で『きらきらアフロ™[1]』と改題、テレビ東京制作(テレビ大阪制作協力)に変更して実質第2シリーズとなった。

日常の出来事やお題(質問に対する観覧者の返答)を中心にトークを繰り広げる。松嶋の鶴瓶に対する態度、言葉遣いは、番組開始当初こそ敬語で話していたものの、

一年も経たないうちにお互い友達感覚(いわゆるタメ口同士)、近所のおっさん感覚で話すようになった。その点に関する不満を時折鶴瓶が口にするが、松嶋は取り合わない。

番組台本は無く、収録現場で即興のトークを収録したものを放送している。収録初回、松嶋の単なる主観に基づいたオチの無い雑談にスタッフの間から

トーク番組として成立するのか不安視する声が出るが鶴瓶はその声を制し、松嶋が自由闊達に喋れるように放任する。結果、松嶋のあけすけなトークから

迷言、珍言が飛び出しキャラクターを際立たせる事になり、しばしば『鶴瓶上岡パペポTV』との類似性が指摘される。

              Wikipediaから引用

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◎ 阿智胡地亭は関西アクセントの言葉の世間から離れて関東アクセントの世間に住みだして丸5年になる。

 九州や四国を含めて西国地方の各地で通算ほぼ62年暮らした身にとっては、関西アクセントは西国言葉の中でも一番付き合いが長い。

阿智胡地亭の両親は信州出の関東者だったから親二人は西国のどこに住んでいても、関東アクセントでしか話せず、

自然 阿智胡地亭も家の中では 生まれた時からいままで関東アクセントもどきで話して暮らしている。

 しかし家を一歩出れば関西アクセントそのもので通算45年暮らして来たから、今も時々大阪弁や神戸弁、京都弁のアクセントの世間がとても懐かしくなる。

そこで毎週見ている番組がある。真夜中の番組なのでビデオ収録してみている。それが「きらきらアフロ」だ。

 この二人が喋っている関西弁は関西でも河内弁の世界なので 耳にそのままなじんだ言葉では全くないが、それでも関東で聞けば

ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく 」の気分をテレビの画面上で味わうことが出来る。

  ネットから引用:

大阪弁(おおさかべん)は、大阪とその周辺で話される日本語の方言で、近畿方言(上方語、関西弁)の一種。

大阪市を中心に大阪府北部(北摂)から兵庫県南東部(阪神間)にかけての旧摂津国の方言だが、旧摂津国のうち神戸市とその周辺の方言は「神戸弁」を参照。

また、大阪府のうち、旧河内国の方言は「河内弁」、旧和泉国の方言は「泉州弁」を参照。

 

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海上保安官の画像流失問題・・「その行動を咎めるべき」という佐藤優は本質を押さえている

2023年02月15日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

2010年11月25日(木)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

 
♪尖閣諸島の動画を海上保安官がYouTubeに流失させた行動が咎められないとなると、二・二六事件のような国内クーデターの再現につながる恐れがあると指摘したのは、目下のところ「佐藤優」氏だけだ。

一部引用開始・・

 第1に、この保安官が流した映像が国民の知る権利に真に応えているとはいえないからだ。この映像は、海上保安庁によって編集されたものだ。意図的もしくは無意識のうちに海上保安庁の利益を反映する構成になっていることが、当然、考えられる。例えば、中国漁船の船長を逮捕する過程の映像が欠落している。「ユーチューブ」に投稿された映像のみで、事件を判断することは危険だ。

 第2は、官僚の規律違反を容認することが、最終的に国民の利益に相反すると考えるからだ。海上保安庁が機関砲をもつ国際基準では軍隊に準じると見なされる「力の省庁」だ。官僚には上司の命令に従う義務がある。武器をもつ「力の省庁」の職員には、特に強い秩序感覚が求められる。この点から見て、保安官の行為は、官僚の服務規律の基本中の基本に反した行為で、厳しく弾呵されるべきだ。

 仮に保安官が、尖閣諸島沖中国漁船衝突事件に関する日本政府の処理に不満をもち、思い詰めていたならば、まず上司に「映像を公開すべきだ」という意見具申を行うべきだった。上司が意見具申を却下し、どうしても「義挙」したいならば、海上保安庁に辞表を提出し、一私人の立場として行動すべきだと思う。いかなる状況においても、軍隊に準じる「力の省庁」の現役職員による下剋上を認めてはならない。

 「力の省庁」に属する官僚の下剋上について、われわれは苦い経験をもっている。1932年5月15日、政界と財界の腐敗に義憤を感じた海軍と陸軍の青年将校が決起し、犬養毅首相らを殺害した。「方法はよくないが、動機は正しい」と五・一五事件の犯人たちへの同情論が世論でわき起こり、公判には多くの除名嘆願書が届けられた。本来、死刑もしくは無期禁錮が言い渡されるべき事件であったにもかかわらず、裁判所は世論に流され、被告人に対して温情判決を言い渡し、五・一五事件の首謀者、実行犯は数年で娑婆にでてくることになった。この様子を見た陸軍青年将校がクーデターを起こしても世論に支持されればたいしたことにはならないという見通しで、1936年2月26日に1400名の下士官・兵士を動員しクーデターを起こした。二・二六事件は、昭和天皇の逆鱗に触れ、徹底的に鎮圧された。しかし、二・二六事件後、政治家、財界人、論壇人などは軍事官僚の威力に怯えるようになり、日本は破滅への道を歩んでいくことになった。

 海上保安官のような「力の省庁」の職員による下剋上の動きを入り口で封じ込めておくことが国益に適うと筆者は確信する。
 引用終わり

全文はこちら 
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02月14日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年02月15日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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昭和50年代の海外あちこち記    その12  インド・ムンバイでお世話になった商社駐在員の家族

2023年02月14日 | 昭和50年代の海外あちこち記

ボンベイ(ムンバイ)によく行った昭和55年頃は中印紛争の余韻が残っている時期でした。

中印紛争のあおりでボンベイ市内に数多くあったという中華料理屋はみんな店を閉めてしまい、

オーナーの中国人は国外に出てしまっていました。そのため、中華メシは海外のどこに行っても食えるという

安心感がこの都市では無くなっていました。

 これで困ったのが日本からメーカーの人間を印度の商談に呼ぶ日本の商社です。日本メシ屋は当然ない、中華メシ屋もなくなった。

ホテルの西洋料理屋では牛肉を使ったメニューはハムステーキくらい。メーカーの出張者に一日三食何を食べさせたらいいのか。

 インド料理のスパイシーなおいしさに、その日からはまった私などは例外中の例外らしく、殆どの日本人はインド料理=カレー料理=辛い→とても口に合わない、

というイメージが強く、はなから敬遠してしまいます。実際は辛いといっても、辛さそれ自身は知れているし、

辛いというのではなくスパイスの旨みであり、スパイスも種類が豊富で野菜の使用量も多く健康食の一つなのですが、日本人に長年CMなどで刷り込まれた

<インド料理は、辛い料理>という既成観念は凄いものだと驚きます。


 ボンベイのオベロイホテル滞在も何日か過ぎ、毎食、果物とパンとコーヒーだけしか口にしない人も出て来たある朝、

東京から同行した商社・M商事の長谷さんが「皆さん、今晩は楽しみにしてください。カツドンと味噌汁と漬物を食べてもらいます。」と言いました。

「おおーっ」と皆どよめきましたが、雰囲気はどこでそんなもん食えるんやと半信半疑でした。その夜、機械担当駐在員の車でオフィスを出ました。

5人のメンバーは結局、彼の自宅のアパートに招待されたのです。


 ダイニングキッチンのテーブルにはもう日本の家庭料理の皿が沢山並んでおり、奥さんに挨拶して全員ニコニコ顔で、席につき次々おいしい日本食を堪能しました。

狭い台所の横のテーブルですから奥さんとインド人の料理人が大車輪でコロッケやポテトサラダなどを作っているのが見えます。


 さすがに日本酒はなかったけど、インドでいいものが出来るジンやスコッチ類は飲み放題で、久しぶりにゆっくりとした頃、家の中を見るとも無く見ると

前に住んでいた千葉県南柏の3DKの社宅のアパートとよく似た間取りで、時々小学生くらいの娘さんが台所の隅を通ってトイレに行っているのが見えます。


 大阪支店から数年前にボンベイ勤務になったと聞いていましたが、旦那も奥さんも大阪出身の「ジュンカン」

 (純粋の関西弁を喋る人を表す言葉)で、ボンベイで聞く大阪弁は耳に心地よく響きました。

奥さんにも話の輪に入ってもらい、日頃の生活ぶりを伺いました。

料理をしているインド人は代々の機械担当駐在員が引き継いでいる料理人だそうです。

彼は日本の家庭料理は何でも出来ます。私よりレパートリーは凄いンですと笑っておられた。

彼の家はここから半日ほどバスで行く町で、半年に一度休みで帰るくらい。普段は住み込み。

見た目50歳くらいの温和な白髪交じりの人で、恥ずかしそうに少し日本語をしゃべりました。

 買物などにもついてきてもらう。最初のうちはとても一人で買物は出来ない。

お嬢さんは小学5年と中学一年の二人、確かアメリカンスクールへ通っていると言われたような記憶。

 二人は、はにかみながらも最初にきちんと挨拶してくれた。

奥さんは「商社やからどこへ行け言われても、いかなあかんけどボンベイとは思いませんでした。

まだしばらく帰してもらわれへんと思うから、もう少しここで頑張らんとネ、ハハハ」と笑って言われた。


 こうして旦那の会社の仕事のためとは言いながら、夜、自宅を取引先のいろんな会社の人に提供して

(担当者だから決して広いアパートではなかった)

酔っ払って遅くまで帰らぬ客の為、子供さんも影響されながら頑張っておられる日本人商社マンの家族。

申し訳ないがお名前を忘れてしまったけど、こうするのは当然の事という感じで自然体で遇してくださった

奥さんとあのご家族のことは忘れられません。


 後で長谷さんに聞くと、インドの華僑がインドを出てしまい中華料理屋がなくなってから、

ボンベイの駐在員の家族には悪いけど、ああして自宅での接待を頼んでいると。

 外人が住めるような住まいが少なく、家賃が恐ろしく高いので狭いアパートしか会社も借りてくれない。

コックの給料と食事の材料費と酒代は当然会社持ちだが、奥さんと家族の貢献代は給料のうちで会社は持ってくれない。

機械担当は商談数が一番多く、納入業務も多くいろんなメーカーからいろんな人間がボンベイに来ます。

エライさんからペイペイまで、グループ各社のVIPも含めて。

ウ~ンできんこっちゃと正直思いました。あのクーラーも効きかねる暑さのボンベイの日本飯、感謝感激でありました。

 ついでながら、いま、神戸に生まれ神戸で育った人たちに神戸に数おおいインド料理屋を紹介したり、

(代々の神戸人は意外に保守的で、新しいものに手を出さない人も多い)

正月の初詣の後はインドレストランで飯を食う事を習慣にしている我が家は、やはりこの私のボンベイ出張がインド料理好きの初めの始めです。


    ◎オベロイホテルのロビーで。3回目?くらいのボンベイ出張で。

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   阿智胡地亭便り#91<ボンベイから出した手紙> 2005年9月6日 記

自分の子供時代の品物を整理していた長女が、「お父さんがインドから送ってくれた手紙が出てきたよ」と言って、その手紙を私の所へ持ってきました。

 読んでみると、長女の小学校の入学式のことが書いてありました。それからすると昭和55年(1980年)の4月ごろに、インドのボンベイから、

当時住んでいた茨城県北相馬郡藤代町(現取手市藤代町)の自宅に出した手紙です。(当時のボンベイは今はムンバイという名になっています。)


     泊まったホテルはオベロイホテル。

「Y子へ

 おとうさんは おしごとで たいわんから また べつのひこうきにのって いんどの ぼんべいというところへ きています。

ままに ちづでどこか みせてもらいなさい。いんどの人ひとはいろが みなくろく にほんじんとは かおやからだつきが ちがっています。

 Y子のにゅうがくしき おめでとう。おとうさんが いえへかえってから にゅうがくしきのときの ようすを

おはなししてください。おとうさんの にゅうがくしきのときは きゅうしゅうの わかまつ ふたじま というところに いました。

がっこうのさくらのはなが まんかいで きれいでした。

これから あたらしいことを たくさん べんきょうして よくかんがえるこどもになってください。そしてじぶんのかんがえを はっきり いえるようにしよう。

 M子と なかよくしていますか。ときどきはけんかしてもいいけど(M子がわがまましたりするとき) ままと M子と みなで なかよく

ぱぱのかえりを まっていてください。では げんきで まいにちがっこうへ かよってください。 ぱぱより。」



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神戸の南京町は春節の彩り             10年前の今日 2013年2月14日の本ブログに掲載

2023年02月14日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

湊川神社・楠公会館の午餐会の講話を聞いてから、乗り物に乗らずに歩いて元町商店街まで行きました。
 商店街の東端にある南京町を覗いてみました。
ウィークデイの午後で、いつもよりわずかに人が多いかなという感じでした。


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川柳パワーは嬉しい!

2023年02月14日 | 俳句、川柳
2010年11月20日(土)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 
親は無理だけど夫は選べたが          半田 さらはな

仕方なくたまに落語もやる師匠         八尾 立地骨炎

「無理しない」「努力しない」は紙一重     奈良 サクラモチ

そのうちになんとかなるで古希になる      神奈川 カトンボ

結婚し嫁さんしだいになる息子         宮崎 十河三和子

同窓会「ジイさんばかり」言うバアさん     いすみ 野原咲子

検察官にも弁護士が付くんだね         さいたま 館野志穂

    いずれも「毎日新聞 万能川柳」から引用。
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02月13日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年02月14日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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少数異見  聞いても聞かない、見えても見ない     No.211(2023.2.14)から引用

 ★縁故は続くよどこまでも

電通には東大卒も多いがそれは同期の官僚がしかるべきポストに就いた時に対応させるため。大企業各社経営者の御曹司も多い。

新聞各紙幹部子弟も。変わったところでは、かつて福沢諭吉の孫(曾孫?)、松本清張の息子、任天堂の息子も居た。

安倍昭恵も、巨人軍を辞めた時の長嶋茂雄も籍を置いていたことがある。元「嵐」の桜井翔君の父親は総務省事務次官から電通の副社長。

翔の兄弟は妹がテレビ局、弟は大手広告代理店とのこと。

電通幹部の子弟はテレビ局に。新聞社は人気が無いようだ。安倍晋三君は裏口入学裏口卒業(成蹊大教授の表現)の後、神戸製鋼に入社している。

弟の息子・岸信千代は慶応卒でフジテレビ。

どの電力会社にも地元県市町の首長議員子弟がごろごろ居る。

高級官僚は退職後、系列の公団、公社、事業団、財団に天下ったり、関連業界に入ったり(禁止されたはず?)、国会議員になって関連業界との密接な関係を保持する。

企業は業界団体を通じて、あるいは直接に政治献金を提供し、見返りに各種補助金、税制優遇などを享受する。

また若いうちに企業経営者の子女との婚姻を斡旋されたりもする。これって「越後屋」と「お代官様」が親戚になるということなのだが。

また法律はおおかた官僚が作り、また運用もする。予算も同様にさまざまな仕掛けを作り込む。

例えば泥棒の手先が大工に居て塀や壁に細工をして置くようなものではないか。インサイド情報もダダ漏れる。

ある代議士が大臣になるとその担当する省では、新大臣の地元選挙区にお土産として特別に補助金や、特別の政策を割り当てるということをする。

首相が出た県ではそこの地方紙が潤うほど、地元への予算の投入があるという。

安倍晋三は親しい人たちには大変親切だったと言われている。官僚も政治家も、基本的にお仲間にはとことん親切なのだろう。

どうせ自分の腹の痛むことではない。

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蔵前の老舗の町中華の店「珍満茶楼」で担々麵と五目焼きそばを味わった。

2023年02月13日 | 食べる飲む

何となく落ち着きを感じる店構えの中華の店は「町中華」の店だった。相方は五目焼きそばを頼み、私は担々麺をオーダーした。

店は当地で40年ほど前からやっているそうで、初老の夫婦と青年の3人でやっている。

両方ともに丁寧に作られていておいしかった。中国人が作り中国の調味料が使われる日本でも普通になった「中華料理」と「日本のいわゆる❝町中華❞料理」は

もはやちがう概念の食べ物だと実感しながらおいしく頂いた。

 

 

 

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厳冬の札幌から『雪と木のコラボアート』の便り        10年前の今日 2013年2月13日の本ブログに掲載   

2023年02月13日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

船橋社中札幌支社長のCKKさんとA.Iさんから今年も札幌の冬の便りが届きました。白く光る対象を捉えるのは本当に難しいですが、

樹木への着雪を見事に手の内に納められました。もうそのまま墨絵ですね。




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自ら変わることができる人とは

2023年02月13日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2010年11月17日(水)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 

♪人をわける物差しは何百とある。

[変わることが出来るタイプと変わらないタイプ]はその一つだ。

 何がタイプを二つに分けるのか? ナルホドという文章を読んだ。

引用開始・・


「学ぶ」という行為は次のような単純なセンテンスに還元される。

  「私には知らないこと、できないことがあります」

  「教えてください」

  「お願いします」

れだけ。

これが「学び」のマジックワードである。

これが言えない人間は永遠に学び始めることができない。

引用終わり。

本文は「物差し」の趣旨とは違う「階層化する社会について」というタイトルの

文章(クリック)だが、私にはこの[学び]のマジックワードがずしんと響いた。

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02月12日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年02月13日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

☝の記事から一部引用 「停戦の道はあるのか。この戦争が事実上の米ロ代理戦争である以上、米国が動かなければ停戦はない。

米国にとってこの戦争は、ウクライナを「人柱」とすることでロシアの弱体化を図ると同時に、西にも東にも武器供給を増やせることで

軍産複合体周辺を潤わせ、経済制裁によってロシアがヨーロッパに持つ天然ガス供給のシェアを奪い取れる好機ともなっている。

 作家の佐藤優氏が指摘するように、これは「管理された戦争」だ。「ウクライナへの支援は続けるが、その支援によって戦争がロシアに拡大し、

ロシアによって米国が交戦国認定をされるということは避けたい」(22年7月23日、朝日新聞デジタル)と佐藤氏は見ている。

この戦争を終わらせるには、米国が実力でウクライナからロシアを追い出すか、プーチン氏がのめる条件を提示するかのどちらかだ。

だが、前者は現実的にはありえない。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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