(ベルリンの壁を越えようとして命を落とした人々のメモリアル 総数192名 写真の一番手前が最後の犠牲者Chris Gueffroy 死亡したのは1989年2月 “flickr”より By http2007
http://www.flickr.com/photos/http2007/1344875533/)
昨日11月9日ブログ「ベルリンの壁崩壊から20年 政治指導者の思惑を超えた時代の流れ」
(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20091109)に引き続き、ベルリンの壁崩壊の話。
壁崩壊の「主役」がだれだったかなど、当時の関係者の話がいろいろ報じられており、歴史を振るかえるとき興味深いものがあります。
【「彼は共産主義崩壊も壁崩壊も望まなかった」】
辛辣なのは、ワレサ元ポーランド大統領。
ワレサ元ポーランド大統領(66)は9日、ポーランドの民放テレビで、ゴルバチョフ旧ソ連大統領(78)を「彼は共産主義崩壊も壁崩壊も望まなかったのに、ウソがまかり通っている」とこき下ろしたそうです。【11月10日 毎日】
祝賀式典に同席するふたりですが、そこまで言って大丈夫なのでしょうか。
まあ、ふたりともすでに政治の表舞台にはいませんので、問題ないのでしょう。
【ソ連:市民の行動を「妨害しないよう」指示】
ソ連・ゴルバチョフ旧ソ連大統領が“壁崩壊を望まなかった”のは確かにそうでしょうが、ただ、崩壊の時点において、敢えてその動きに抗せず、事態を悪化させなかった・・・ということはあるのかも。
****ベルリンの壁:崩壊直後「ソ連軍の動員中止させた」元外相****
シェワルナゼ元ソ連外相(前グルジア大統領)はベルリンの壁崩壊から9日で20年になるのを前に、トビリシで毎日新聞の単独インタビューに応じた。
元外相は壁崩壊直後、東独駐留ソ連軍と市民が衝突し「第三次世界大戦の引き金になりかねない」と懸念。ゴルバチョフ最高会議議長(当時)と協力し、ソ連軍に市民の行動を「妨害しないよう」指示したことを明らかにした。事実上支配下にあった東独の危機にソ連が介入を自制、ドイツが平和裏に統一されたことが改めて裏付けられた。
元外相や旧ソ連外務省関係者によると、壁崩壊2日前の89年11月7日、在東独ソ連大使館から「情勢が悪化している」と当時外相のシェワルナゼ氏に連絡があった。東ベルリンでは100万人規模の民主化要求デモが起こっていた。壁崩壊後の10日、詳細な現地報告を受けた同氏は「ソ連軍が駐留しており、市民を攻撃すればソ連とドイツの戦争になり、第三次世界大戦の引き金になりかねない」と危機感を強めた。そこでゴルバチョフ議長とも協力、11日に駐東独ソ連大使に電話し「駐留軍司令官に軍の動員中止を命じよ」と伝えた。大使はこの内容を司令官に電話で伝えた。駐東独ソ連大使は10日、「未明に(ベルリン中心部の)ブランデンブルク門周辺に軍が動員された」とシェワルナゼ氏らに伝えた。大使は「東独軍」のつもりだったが同氏は「駐留ソ連軍」と勘違いしたとみられる。
実際には東独軍は動かず、ソ連軍もロシア革命記念日(11月7日)前後の6~13日、慣例で郊外の兵舎に引き揚げ、市内に入ることは禁じられていた。
ただ、当時、東独には約36万人のソ連軍が駐留しており、市民と衝突する危険は潜在的にあったとされる。【11月10日 毎日】
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後から公表される関係者の言動は、自分に都合のいいように脚色されることも多いので、必ずしも当時の正確な事実と一致しない場合もあります。
ただ、壁が崩壊した1989年という年は、中国北京で6月に天安門事件が起きた年でもあります。
天安門事件のような不幸な結果にならなかったことについては、東独政府やソ連の対応もある程度関係しているところでしょう。中国のような対応をとる力がすでになかった・・・というのが実際のところだとしても。
メドベージェフ露大統領は「壁崩壊と独統一に果たしたソ連の役割は決定的だった」と語っています。
【英仏:民主主義を守ってきた自負を強調】
一方、式典でサルコジ仏大統領やブラウン英首相は「あなた方が壁を崩した」などとドイツ国民を持ち上げる一方で、それぞれ仏英が欧州の民主主義を守ってきた自負を強調したとか。
それはそうなのでしょうが、当時の英仏指導者はサッチャー英首相にしても、ミッテラン仏大統領にしても、壁の崩壊、ドイツ統一を望んでいなかったというのも昨日ブログで触れたところです。
クリントン米国務長官は「ドイツの壁の両側の人々、特に勇敢に立ち上がり、自由と権利をつかみ取った人々を回想したい」と述べています。【11月10日 毎日】
なお、サルコジ大統領は「自らも20年前にベルリンに飛んでいって、市民と一緒に壁を崩した」との体験をネットで披露していますが、様々な矛盾が浮上、つくり話では、との疑惑を招いているとも報じられています。【11月10日 朝日】
【メルケル首相:旧東独の民主化運動を称賛】
一方、メルケル独首相は「危険を冒し、街に出て自由を求めた多くの人々の勇気をたたえる」と演説し、旧東独の民主化運動を壁崩壊の主役として称賛しています。
メルケル首相は式典に先立つ9日午後、旧東独の民主化運動指導者だった約100人を、東西通過地点だったベルリン北部ボーンホルマー橋でのイベントに招いています。
もちろんドイツだけでなしとげたものではなく、メルケル独首相も“英紙フィナンシャル・タイムズに、「ポーランドの結束が大きな推進力となった」と語り、自主管理労組「連帯」が東欧の民主化に向けて果たした役割を称賛。また、オーストリアとの国境を開き、多数の旧東独市民を西側に脱出させる機会を作ったハンガリーについても、「その貢献は決定的な意味を持った」と強調した。ルーマニアについても「劇的な大衆運動が展開された」などと述懐した。”【11月10日 産経】と、周辺国の関与の大きさに言及しています。
【主役は民衆】
上記産経記事は、冷戦終結に道を開いた84年のサッチャー元英首相とゴルバチョフ氏の初会談に同席したジェフリー・ハウ元英外相の「あの時誰一人として次に何が起きるかを予測することはできなかった。米英仏ソの首脳より大衆が主要な役割を果たした。」との発言を紹介しています。
昨日ブログでも書いたように、人々の思いが政治指導者の思惑を超えて時代を動かした・・・といったところでしょう。