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(ラッド首相の謝罪を聞く被害者 “flickr”より By jthommo101
http://www.flickr.com/photos/jthommo101/4108188847/)
【二つの公式謝罪】
今日、時期を同じくして、過去の自国の歴史に対する二つの公式謝罪が報じられています。
ひとつは、イギリスが行った児童の棄民政策。
もうひとつ、オーストラリアでの施設における児童虐待。
この両者は、イギリスからの児童棄民をオーストラリアの施設で受け入れ、これを虐待したという形で連動したものです。
おそらく、謝罪にあたっても、両国の間で調整がなされているのでしょう。
****子供を豪州に棄民=英首相が謝罪へ*****
英スカイ・テレビ(電子版)は15日、白人移民の増加を望んでいたかつてのオーストラリアに対し1940~50年代、英政府が児童施設の子供を選抜しては国策として送り込んでいたとして、ブラウン首相が近く公式に謝罪すると伝えた。
当時の英政府は、児童施設の予算確保に苦しんでおり、豪州の要望は「渡りに船」だった。総勢1万人近い子供がだまされて送り込まれたとみられている。【11月16日 時事】
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子ども時代に英国の貧困家庭や児童施設から「豊かな生活」を約束されてオーストラリアへ渡った移民は、「忘れられたオーストラリア人」と呼ばれています。彼らは国営施設や孤児院に収容され、劣悪な環境の中で肉体的・精神的・性的に虐待を受けたり、農場での労働を強制されたりしたと訴えてきました。
また、食事や教育も十分に与えられなかったと言われています。
なお、イギリスはオーストラリアのほか、旧植民地のカナダや南アフリカにも子供を送っています。
****豪児童施設の虐待でラッド首相が謝罪、被害者50万人*****
オーストラリアのケビン・ラッド首相は15日、1930年~70年ごろに同国内の複数の児童養護施設で子どもたちに対する虐待や強制労働が行われていたとして、この期間に入所していた約50万人に、国家として公式に謝罪した。
「われわれは今日、国家として皆さんに謝罪します。『忘れられたオーストラリア人』である皆さんは、幼少時に何の了承もなく、家族と引き離されてオーストラリアに送られた。申し訳ない」
ラッド首相は、議会に招かれた約1000人の被害者らを前にこのように述べ、肉体的、精神的苦痛、愛や優しさの欠落した「感情的な飢え」について謝罪。「疑問の余地のない悲劇である子ども時代の喪失を謝罪する」と語った。
2004年に上院が行った調査などによると、家庭崩壊や母子家庭などの理由で公営や教会運営の児童施設に送られた子どもたちは、外部の監視のほとんどない国営や教会運営の施設で、体罰や精神的虐待、性的虐待、養育放棄、強制的な下働きなど心身両面での虐待を受けていた。中には、英国から移民として送られてきた子ども7000人も含まれるという。
子どもたちには、食事や教育、医療ケアも満足に与えられなかったという。また、多くは両親や兄弟の顔も知らず、施設間をたらい回しにされていた。自分の名前さえ知らない孤児もおり、子どもたちを番号呼んでいた施設もあったという。【11月16日 AFP】
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【「時計の針を戻して過去の苦しみを消し去ることはできない」】
オーストラリアでは、連邦議会上院調査委員会が、過去の「忘れられたオーストラリア人」や「児童移民」問題を調査した一連の報告書を作成しており、これに基づき、8月30日、連邦政府のジェニー・マクリン家族問題担当大臣が、「年内にケビン・ラッド首相が、施設虐待被害者への公式謝罪と被害者福祉の予算を発表する」と声明を出していました。
この際、マクリン大臣は、施設における児童虐待の事実のほか、「孤児は、実際には母親から強制的に引き離され、養親のもとに送られたもので、政府の行為は不適切かつ非倫理的なものだった。政府は、被害者だけでなく、子供を連れ去られた母親達の苦しみを認める」と述べています。【8月30日 日豪プレスより】
ラッド首相は議会で被害者らを前に演説、「わが国の歴史の醜い一章に向き合わねばならない。幼少時代を奪った悲劇に対し、心から謝罪する」「この国を代表して、皆さん全員に向けて語られなかったことを語り、心から謝罪したい」と演説し、数万人から数十万人に上るとされる被害者に「皆さんが苦しみ、適正なケアを受けられず、助けを求める声に先人たちが耳を傾けなかったことをおわびする」と述べています。
首相はさらに、「私が今何を言っても、皆さんの子ども時代を取り返し、時計の針を戻して過去の苦しみを消し去ることはできない」と認めたうえで、「私にできることは、何十年もの間、苦難に負けまいと立派に生き抜いてきた皆さんの精神を称賛することです」と語りかけたそうです。【11月16日 CNNより】
【歴史の醜い一章】
イギリスの棄民政策、「忘れられたオーストラリア人」の問題については、報じられていることしか知りません。
ただ、ラッド首相の自国の“歴史の醜い一章”に向き合う姿勢には感銘を受けるところがあります。
どこの国にも、そして日本にも“歴史の醜い一章”は存在します。
人権とか、自由・平等の理念とか、今では普遍的なものとして受け入れられている価値観が重視されるようになったのはそう古い話ではありません。
また、そうした価値観が適応される範囲も、国家・民族のなかの、更に一部の人々といったように、極めて狭いものでした。
ですから、過去の歴史を現在の価値観から振り返ると、“醜い”面も多々あります。
その歴史と正面から向き合うことはときに困難なことでもあります。
細かく木々1本1本を見ていけば、多くの事象の中には、決して“醜い”とは言えないものも含まれます。中には良い結果をもたらした事例もあるでしょう。また、当時としてはやむを得なかったという側面もあるでしょう。
そうした面に目を向けると、ときに自己弁護的な主張も出てきます。
しかし、大きく森全体を俯瞰すれば、自らの行いに反省すべきところがあったのか、なかったのかはおのずから明らかになります。
ラッド首相は政権交代後、帝国植民地時代とその後の連邦時代を通じての先住民族アボリジニに対する非人道的政策に対する「公式謝罪」も行い、人々の共感を得ました。
政権交代というものが、どういう効果を生むものかを示してくれたとも言えます。
日本の政権交代にあっても、個々の政策にとどまらず、こうした政治の基本姿勢の変化を感じさせるものであってほしいものです。