(1日、パリのシャンゼリゼ通りで警官隊に追われ逃げる人たち(ロイター=共同)【7月2日 産経】)
【北アフリカ系の17歳の少年が警察官に射殺された事件への抗議行動が暴動へと激化】
フランスでは、6月27日朝、北アフリカ系の17歳の少年が停車命令に従わなかったとして警察官に射殺された事件への抗議行動が暴動へと激化する状況が続いています。
事態の方は、ようやく沈静化に向かっていますが、パリやリヨンなどの都市や郊外で警察署や役所が打ち上げ花火で攻撃されたり、商店が略奪したりなどの被害が広がり、多くの若者(その多くが10代)が逮捕されています。
きっかけとなった事件については、下記のとおり
****フランスで大規模な暴動が起きた理由は? 17歳少年を警察官が射殺したことへの怒りが発端だった****
(中略)
17歳のナエル・Mさんの死
ナエルさんは27日朝、パリ北西に位置するナンテールで、検問中の警察から車で逃走しようとして、至近距離から撃たれた。
事件の様子を撮影した映像によれば、2人の警察官が黄色い車を停止させ、そのうち1人が運転手に銃を向けて、走り去ろうとする車の中に銃を発砲した。
車はその後、ナンテールにあるネルソン・マンデラ広場の近くの歩道に衝突し、運転していたナエルさんが死亡した。車には他にも2人の人物が乗っていたが、そのうち1人は警察に逮捕され、もう1人は逃走した。
映像の前に何があったのか、ナエルさんと警察官の間でどのような会話を交わされたかは明らかになっていないものの、17歳の少年の死は多くの人々の怒りに火をつけ、フランス全土に抗議活動が広がった。
警察側の主張
警察によると、警察官はポーランドナンバーのメルセデスベンツの車両がバス優先車線を走っており、運転手が非常に若かったために停車させたとしている。車は停車するまでの間、信号を無視して走ったという。
さらに警察は、運転手は警察官に危害を加えようとして車を発進させたと主張している。
しかし映像には、警察官が運転手に向かって窓越しに武器を向け、走り去ろうとする車に発砲する様子が映っていた。
AFP通信によると、映像では誰かが「頭を撃つぞ」と言っているのが聞こえるが、それが誰の発言なのかは明らかになっていない。
フランス全土で抗議活動
フランスでは2023年、警察の銃撃でナエルさんを含めて3人が死亡している。2022年の死者数は13人だった。
2017年の法改正で、フランスでは警察官がより幅広い状況での銃使用が可能になった。ル・モンドによると、この改正以降、走行している車両に対する警察の発砲件数が増加している。
また、ロイター通信によると、2017年以降に警察の銃撃で死亡した人のほとんどが黒人やアラブ系だった。今回亡くなったナエルさんは、北アフリカにルーツがあった。(後略)【7月1日 HUFFPOST】
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【背景に移民系若者に対する人種差別が】
背景には北アフリカからの移民が多いフランスにおける人種差別をめぐる対立があって、問題は根深いものがあります。
****揺れるフランス 各地で若者ら暴動、人種差別の分断浮き彫りに****
フランスが各地で続く若者らの暴動に揺れている。パリ西郊ナンテールで警察官が車の停止命令を拒んだ北アフリカ系の17歳の少年を射殺し、これに反発した人々が暴徒化したためだ。暴動は沈静化しつつあるが、人種差別を巡るこの国の分断が改めて浮き彫りになり、社会不安が広がっている。
6月27日に射殺事件が起きて以降、仏各地では警察署や役所、学校などの破壊・放火や商店の略奪などが相次いでいる。3日までに3000人以上が逮捕された。多くが10代の若者だった。
複数の自治体は先週末、夜間の外出禁止令を発令した。パリ近郊ライレローズでは7月2日、市長の自宅が襲撃された。仏紙ルモンドによると、市長宅に車が突入。市長本人は不在だったが、妻や子供が逃げる際に負傷した。
マクロン大統領は2〜4日に予定されていたドイツへの国賓訪問を中止し、外交への影響も出ている。
仏内務省によると、2日に逮捕されたのは160人弱で、前日の約720人から大きく減少し、暴動は収束に向かっている模様だ。ただ、一連の混乱は、仏社会に根深い人種差別を巡る対立を再燃させている。
射殺された少年はアルジェリアとモロッコにルーツを持つ移民系のフランス人だった。仏警察はこれまでも、移民系住民らへの過剰な取り締まりなどが問題視されてきた。2005年にはパリ東郊で警官に追われた移民系の少年2人が変電所に逃げ込み感電死し、この時も全土で警察への抗議、暴動が広がった。
仏社会学者のエマニュエル・ブランシャール氏はルモンドに「フランスは(北アフリカなどに)植民地を保有していた時代から、警察が人種差別的な(手法で社会の)統制をしてきた歴史がある」と指摘。今回の暴動では、そうした仏社会に対する移民系や貧困層の若者らの怒りが噴出したとみられる。
SNS(ネット交流サービス)では放火や略奪の動画が投稿、拡散されている。マクロン氏はSNSが若者に暴動を促していると訴えるが、一方で、こうしたマクロン氏の主張を「問題のすり替えだ」と非難する声も多い。
サッカーのフランス代表で、両親がアフリカ出身のエムバペ選手は、ツイッターで「この受け入れがたい死が起きた状況に無関心でいることはできない」と少年の射殺に対する憤りを示しつつ、「暴力は何も解決しない」と強調した。【7月4日 毎日】
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フランスでは、今回のような移民系若者と警察の対立を繰り返しきました。
よく取り上げられるのが2005年の事件です。
****2005年パリ郊外暴動事件****
2005年パリ郊外暴動事件とは、2005年10月27日にフランス・パリ郊外で北アフリカ出身の3人の若者が警察に追われ逃げ込んだ変電所で感電し、死傷したことをきっかけにフランスの若者たちが起こした暴動。最終的にフランス全土の都市郊外へ拡大した。
事件の発端
10月27日夜にパリの東に位置するセーヌ=サン=ドニ県クリシー=ス=ボワにおいて、強盗事件を捜査していた警官が北アフリカ出身の若者3人を追跡したところ、逃げ込んだ変電所において若者2人が感電死し、1人が重傷を負った。
この事件をきっかけに、同夜、数十人の若者が消防や警察に投石したり、車に放火するなどして暴動へと拡大した。警官隊の撃った催涙弾がモスクに転がり込んだことも火に油を注ぎ、大騒動となった。
背景
発端となる事件の起きたクリシー=ス=ボワなどフランス語で「バンリュー」と呼ばれる郊外部は貧困層の住む団地が多くスラム化しており、失業、差別、将来への絶望など積もり積もった不満が一気に噴出したものとみられている。
これらの地域では犯罪が多発しており、機動隊の導入など強硬な治安対策がとられていたが、これによって若者たちとの緊張も高まっていた。
当時フランスの若年層(18~24歳)の失業率は23.1%、移民人口は431万人(1999年国勢調査)。移民の多い地区では、失業率は全国平均よりも高く、40%に達する地区もあった。
(中略)
移民
フランスは、1960年代ころ高度経済成長を支える労働力として、100万人を超える移民を導入した。 彼らは、都市郊外にある中・低所得者向け公営集合住宅(HLM)などに多く住む。その2世・3世にあたる若者が、この暴動へ多数加わったとされる。
フランスの国籍法は変遷を経て出生地主義的になっており、移民の子孫はフランス国籍をもつ。しかし、貧困、高等教育の機会、就職差別などをめぐって不満が鬱積している。(後略)
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問題の背景は、上記2005年当時と変わっていません。
2005年以降もパリの車に火がつけられるなどの暴力行為が絶えず、車への放火は若者らの鬱積した不満によって年越しの「年中行事」化しているような面もあります。
2005年の暴動時、当時のサルコジ内相はこのような移民若者を“クズ”と罵り、それは一部世間の喝采を浴びたとか。下記は2007年12月8日ブログからの抜粋です。
****フランス なお残る植民地問題と移民問題*****
(中略)
植民地の痕跡が移民問題に姿を変えてフランス社会に大きな負担を課しています。
もともとフランスは、人種、民族、血統というもので国家・国民が自動的に形成されるのではなく、「自由・平等・博愛」の理念を共有する国民の共同体として国家があるという考え方で、これまで難民や亡命者を含め、多くの外国人をフランスは受け入れてきました。
しかし、アルジェリアなど北アフリカ諸国からの大量のアラブ・イスラム移民については、これを社会的に十分に消化できなかったようです。
特に9.11以降のテロリズムに対する不信感、経済不況・失業問題がイスラム移民に対する厳しい視線を招いています。
移民の問題は二世の段階で本格化します。
フランスで生まれ、フランス的価値観を受け入れた、フランスでしか生活したことのない二世にとって、自分たちに向けられる不信感・差別の目は耐えがたく、就職・住宅環境などの面での格差は理不尽なものに移ります。
もともとフランスは、人種、民族、血統というもので国家・国民が自動的に形成されるのではなく、「自由・平等・博愛」の理念を共有する国民の共同体として国家があるという考え方で、これまで難民や亡命者を含め、多くの外国人をフランスは受け入れてきました。
しかし、アルジェリアなど北アフリカ諸国からの大量のアラブ・イスラム移民については、これを社会的に十分に消化できなかったようです。
特に9.11以降のテロリズムに対する不信感、経済不況・失業問題がイスラム移民に対する厳しい視線を招いています。
移民の問題は二世の段階で本格化します。
フランスで生まれ、フランス的価値観を受け入れた、フランスでしか生活したことのない二世にとって、自分たちに向けられる不信感・差別の目は耐えがたく、就職・住宅環境などの面での格差は理不尽なものに移ります。
結果、アウトローの世界に走る者も多くなります。
治安悪化の問題は、移民を排除したい側にとっては好都合な理由になりえます。
05年の暴動時、当時のサルコジ内相はこのような移民若者を“クズ”と罵り、それは一部世間の喝采を浴びたようです。
サルコジ大統領は自分自身がハンガリー移民2世であり、そのような環境でも現在の地位を得たことに対する強烈な自負があるのでしょう。逆に、“境遇を理由にして努力が足りない”思われる者は“クズ”ということになるのでしょう。
サルコジ大統領は“自分が移民や少数派に偏見を持っていないことを示す”がごとく、新内閣にも何人かの"minorite visible"(黒人、アラブ人あるいは東洋人といった、欧州人種とは明らかに外見が異なる人たち)を投入しています。(後略)【2007年12月8日ブログからの抜粋】
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【移民に「開放的」であると同時に「閉鎖的」なフランス社会】
フランスは民族的血統に拘らずに移民を受け入れる「開放的」側面と、フランス的価値観を求める「閉鎖的」側面の両方があります。
下記は2005年暴動に関する論説ですが、現在にもそのままあてはまります。
****フランスの暴動 ―欧州の移民社会とフランスのジレンマ―****
(中略)
■「普遍性の共和国」フランス:開放性と閉鎖性
この一連の暴動自体は突発的な契機で始まったものだが、この事件の背景には「普遍性の共和国」フランスの根深い社会問題がある。
元々ガリアとローマの混淆の歴史に始まるフランスは、革命を経て国民国家の嚆矢となってからも、フランス国民の定義を民族的血統に求めたことは一度もない。フランス語を話し、フランス共和国市民たる意思を示せば基本的にフランス人たりうる。
その点ではアメリカと同様、フランスのナショナリティーは開放されており、人種・民族を問わずフランスで出生した人はフランス国籍の取得が可能である。
したがって移民の二世・三世も容易にフランス国民となりうる。近年では、フランスの旧植民地であるアフリカ地域、特にマグレブと呼ばれるアルジェリアやモロッコなどの北アフリカ地域からの移民が急増しており、とりわけ今回の暴動の発端となったパリ郊外やマルセイユなどでは、移民が住民の多数を占めてコミュニティを形成している地区が点在している。
その一方で、フランスには国是としての政教分離(ライシテ)の原則が厳然と存在する。フランスで政教分離を徹底する法律が制定され、公共の場でスカーフを被ることが禁じられたことは内外で大きな議論を引き起こした。
政教分離の原則を徹底することは、(中略)元々個人の信仰と社会的行為が不可分であるイスラム教を信仰する人々にとっては、ともすれば強制的な同化主義のように映ってしまい、信仰を否定されたように感じ国家に対して疎外感を抱くイスラム系移民が増えるという現象がある。
また、フランスの社会は、門戸は開かれているとはいえ、芸術やスポーツなどの特定の分野を除けば、移民にとって社会的な上昇の経路は少ない。
フランスはある意味では日本よりも遥かに明確な学歴社会である。学歴によって就業の機会や昇進の度合いは全く異なる。
高校卒業・大学入学資格のための試験(バカロレア)で哲学の小論文が課されるようなフランスの教育にあっては、知識の詰め込みだけで大学に入れるという仕組みではなく、高等教育を受けられる機会は経済事情によっては左右されないものの初等・中等教育段階の学習環境によって大きく左右される。
そして初等・中等教育の環境は居住地区によってある程度決まってしまう。その点でフランスにおける社会階層の再生産、固定化の傾向は否定できず、特に移民のコミュニティに暮らす若者にとってフランスの社会は将来に希望が持ちにくい社会であるかもしれない。
そしてフランスの景気の低迷によって最も影響を蒙っているのも彼らである。フランスの失業率は約10%であるが、移民の多い地域では倍の20%近くに及ぶ。若者だけで統計を取ればその率はさらに高くなるであろう。
社会に疎外感を抱き、将来に希望の持てないそうした若者たちの鬱積した不満は、既に治安の悪化などに表れており、移民のコミュニティがパリの郊外に多いことから「郊外問題」という現象が指摘されていた。今回の暴動も、こうした若者たちの鬱積した不満が暴発してしまった結果であると言えよう。(後略)【2005年11月9日 小窪千早氏 日本国際問題研究所】
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【極右勢力の反発を惹起】
近年、フランスではルペン氏に代表される極右勢力が大統領の座をうかがうほどに台頭していますが(ルペン氏自身は極右色を薄めていますが)、移民系若者の暴動は、これに対する激しい反発を惹起し、両者は激しく対立することにもなります。
****発砲警官に支援2億円=極右呼び掛けで物議―フランス暴動****
フランス全土に拡大した暴動の発端となったパリ郊外での北アフリカ系少年(17)射殺事件を巡り、発砲した警官の家族を支援する動きが極右主義者の提唱で広がり、物議を醸している。クラウドファンディングで集まった資金は3日、計129万ユーロ(約2億円)に達した。事件に対する抗議は放火、略奪といった破壊行為に変質しており、治安強化を求める人々が賛同しているとみられる。
支援を呼び掛けたのはジャン・メシア氏。昨年の仏大統領選で「反イスラム」を掲げ落選した極右候補陣営の報道官を務めた。発砲した警官について「自分の仕事をして高い代償を払う」ことになったと同情。「警察を支えよう」と訴えた。(後略)【7月4日 時事】
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【警察官の差別的「体質」への指摘も】
また、移民系若者の暴力が多いことやテロの脅威もあって、警官側の対応にも問題がある面も。国連人権高等弁務官事務所が治安当局による人種差別を指摘する事態にもなっています、
****「従わなければ逮捕だ!」警察から受けた不条理な脅しの実体験 暴動に揺れるフランスは本当に自由・平等・友愛の国?****
(中略)果たしてフランスは自由・平等・友愛の国なのか。筆者がフランスで取材中に体験した、治安当局とのエピソードを紹介する。
ロックダウン下での出来事
新型コロナの蔓延を受けて、フランスが初めてのロックダウンに踏み切った2020年3月。外出禁止令が発出されていたものの、外出の理由を記載した「外出証明書」を携帯している場合、問題なく通行できるとされていた。(中略)
フランスはジャーナリズムの国である。ジャーナリストに税制上の優遇措置を講じるほど、国民の「知る権利」に応えるこの仕事を重視している。以下は、そのフランスで起きたことだ。
同僚の記者がシャンゼリゼ通りで日本と中継をつないでリポートをしようとした時のこと。直前に数人の警察官が近寄ってきた。「ここからすぐに立ち去れ!」
日本メディアであることを説明し、外出証明書も提示したが、「立ち去らなければ逮捕する」とまで言われた。仕方なく、屋外でのリポートを断念した。この際の警察官による恫喝が原因で、この記者は後までトラウマを抱えることになった。
翌日、今度は筆者が取材のためカメラマンと共にシャンゼリゼ通りを歩いていたところ、数人の警察官らに呼び止められた。歩いていただけで、威圧的な言葉で立ち退くよう言われた。
日本のメディアであり、取材中であることを話してもその姿勢は変わらなかった。我々が理由について説明を求めたところ、彼らが発したのは「これ以上従わなければ逮捕する」という言葉だった。
カメラマンはすぐに、「あなたたちが言うことが本当かどうかパリ警視庁に確認する」と電話を取り出した。すると突然、「もういいから、もう分かったからどうぞ行って!」と、手のひらを返したように態度を変えたのだ。一連のやりとりから見て、ある種の嫌がらせのようなものであることが分かった。
カメラマンは、「差別だ」とつぶやいた。フランスで育った彼は、警察官による人種差別をよく知っている。
これは取材中の一幕にすぎない。この他、生活必需品を買いに行くために外出した際にも、他にも歩いているフランス人がいるにも関わらず、呼び止められるのはなぜかアジア系の筆者。一度や二度ではない。こうした声は、パリ在住の日本人の知人たちからも多く聞かれた。
「フランスは人種差別に真剣に対処を」
2023年6月27日、パリ近郊ナンテールで、交通取り締まりの検問を逃れようとした17歳の少年を警察官が射殺した事件をきっかけに、フランス全土で暴動が起きている。少年はアルジェリア系の移民2世だった。
事態を受けて国連人権高等弁務官事務所は6月30日、「フランスは人種差別主義や治安当局による人種差別の根深い問題に真剣に対処する時だ」と指摘した。フランスは、「自由・平等・友愛」を掲げる国。人種差別を指摘されるなど、大変な不名誉である。
フランス政府はすぐに、「根拠がない。フランスとフランスの治安当局は人種差別やあらゆる差別と断固として闘っている」と反論した。(後略)【7月4日 FNNプライムオンライン】
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