御茶ノ水のジャズ東京で、著者の名前を見て、びっくりして買い求めた本です。著者の一人の、岡田暁生さんは、クラシックを対象とする音楽学者で、彼の書いた「西洋音楽史」や「オペラの運命」(いずれも中公新書)は、読んだことがありました。切り口のいい本を書く学者(京都大学人文科学研究所教授)だと記憶にあったので、まさか、ジャズに関連した本を書いているとは思いもよりませんでした。
もう一人の著者は、岡田さんのジャズ・ピアノの先生で、ジョー・ヘンダーソンらと共演歴があり、多数のCDもリリースしているフィリップ・ストレンジさんです。この本は、岡田さんがストレンジさんに教えを乞うという形で、モダン・ジャズの巨匠たちの「すごさ」について、音楽そのものに即しつつ、少しでも具体的にその一端を明らかにしようとしたものです。
取り上げたジャズ・ジャイアントは、次のとおりです。目次を引用します。
1 アート・テイタム ”ザ・モダン・ミュージシャン”
2 チャーリー・パーカー モダン・ジャズの”父”
3 マイルズ・デイヴィス モティーフ的思考
4 オーネット・コールマン 自由(フリー)
5 ジョン・コルトレーン 自由とプロセスとしての音楽
6 ビル・エヴァンズ スコット・ラファロとの異次元のアンサンブル
終章 ジャズにはいつも Open Space がある
この本の特徴ですが、ストレンジさんによる解説と演奏が、インターネット上の動画として見ることができるので、実際の音を聴くことができ、理解がしやすくなっています。以下、かなり興味深かった記述を中心に記します。
【マイルズ・デイヴィスについて】
ストレンジさんは、『音楽家マイルズの偉大さのひとつは、わずかのモティーフの材料から多種多様なアドリブを引き出してくる、その一貫性とファンタジーにある』と述べて、アルバム「Kind of Blue」中の「All Blues」を例にとり、2つのモティーフだけからテーマが作られていることを明らかにしていきます。
マイルズは、スタイルを変えていきますが、モードとエレクトリックの間に、「ミックスト・モード」が入ると説明し、「Miles Smiles」中の「Circle」を例として挙げています。『モードを使いながらひんぱんにハーモニーを動かすというアイデアが使われていて、この技法をマイルズたちはどんどん発展させていく。』
【ビル・エヴァンズについて】
ストレンジさんは、エヴァンスの晩年の演奏のすごさについて、パリ・コンサート中の「My Romance」を例にとり解説をしています。『晩年の彼は本当にすごいですよ。モティーフの発展も複雑きわまりないし、あるテンポの中に別のテンポを一瞬挿入するテクニックもすごい。』また、エヴァンズの晩年のテクニックは、本当に完璧だと付け加え、エヴァンズの晩年(の業績)がなければキースもなかったと述べています。
【岡田さんの本音が出ていると思われる箇所について】
(ネフェルティティ)
『正直ショーターとハンコックが入ってからのマイルズは、「ネフェルティティ(Nefertiti)」なんかとくにそうですけど、ちょっとむずかしくてよくわからなかったんです。』
(至上の愛)
『クラシック音楽にたいするある種の反動として、とりわけクラシックの多くの作品がもつ形而上学性からの逃避として、ジャズに魅了された人間であって、この(ジョン・コルトレーンの)「至上の愛」の大仰さはどうにも苦手であった。』
この二つのアルバムに対する岡田さんの感想には、僕も全く同感です。「ネフェルティティ」をはじめとしたいわゆるミックスト・モードのアルバムも、ほとんど買って聴いていますが、ついぞ愛聴盤にはなりませんでした。しかし、今回、改めて聴き返してみようという気になっています。
「至上の愛」については、聴いていると緊張感がこちらにも伝わってくるようで、僕は息苦しくなってきます。学生時代に買って以降、何回か聴いてみたものの、敬遠しているアルバムです。
ただし、次の岡田さんの発言には異論を唱えたくなりました。
『日本の音楽界では、本当のクオリティの高さというより、ある種の「ジャズっぽさ」の有無が、評価の基準になっている傾向があるように思います。グルーヴ感とかある種のアングラ感とかブルースっぽさとか・・・・・要するに黒人っぽさ、ってことかな。』
黒人という言葉が出たので、ストレンジさんはそれに反応して、人種の論議になっていきます。僕は、ブルージー、グルーヴィーな演奏は大好きで、それは人種と直接の関係はないと思うのです。そういったグルーブ感と無縁のジャズばかりだったら、多くのジャズファンは、ジャズから離れていくのではないでしょうか。
【終章 ジャズにはいつも Open Space があるについて】
ストレンジさんは、ジャズの未来について希望を抱いていて、次のように述べています。『科学と同じで、ジャズにはいつも open space (直訳すると、空き地)がある。いつも変わりつづけている。伝統だけしかなかったら、その音楽はもう終わり。だけど、つねにつねに新しいものをみつける未知の領域が、ジャズにはまだ広がっている』
これは頼もしい言葉で、そうなっていくことを期待しています。全体を通じて、ストレンジさんの、理論と実技の一体化のすごさには目を見張りました。理論をしゃべったら、すぐにピアノで実例を示すことのできるミュージシャンは滅多にいるものではありません。僕の理解力ではよくわからない部分が多いのですが、アーティストの偉大さや音楽の仕組みを垣間見ることができました。
「すごいジャズには理由がある」は書店でパラパラと見た程度ですが、面白そうですね。じっくり読みたくなりました。
「ネフェルティティ」や「至上の愛」を初めて聴いたリスナーは概ね岡田さんと同じ感想を持ったと思われます。一部のジャズ評論家が持ち上げましたので、傑作と錯覚したのかも知れませんし、マイルスやコルトレーンの新しいスタイルを理解しているかのように見せることが格好良かった風潮もありましたね。今ならはっきり言える「面白くない」です(笑)
少し前に読んだのですが、とりあえず最も印象に残ったところを取り出してみました。
終わりの方で、ストレンジさんが、注目すべき現代のミュージシャンを挙げているのにも注目が集まると思います。僕は、新しいものを追いかける方ではないのですが、興味深いです。
昨日、彼らのヴィデオを視聴し、そこではじめて本の存在を知った者です。エヴァンスのリズムのアプローチの解説、パーカーの即興であるとともに構築性が実現されているソロ等面白かったのですが、そこでは「すごいジャズ」のすごさの「理由」が西欧近代の楽理、調からの説明に終始しており、それだとジャズは近代ヨーロッパの音楽史をトレースしてるだけに思え、結局「すご」くなくなるんじゃないか。(著書のほうは未読)
一方、旋法を軸にした60年代以降のマイルス、コルトレーンの音楽を聴くと、フォーレがヨーロッパ中世の教会音楽を再発見しドビュッシーが非西欧の伝統音楽を体験しそれらを西欧音楽に導入したことと類似の経緯をたどりながら、しかし彼らと対照的に、そこから西欧近代音楽を発想の源泉とする演奏法から逸脱し逃れる術を手繰り寄せはじめているように思えます。たとえばフリージャズはこのコンテクストから見ないと、また西欧中心主義的な楽理分析に回収されて20世紀初頭の無調の音楽の反復と見なされれば、それは無益だと思う。
個人的にはビバップ以降のジャズ史とくにモーダルな手法のジャズ以降は、やはり「黒っぽさ」の再発見そして再構築があるからこそ面白いんだと感じます。あの音楽の一聴するだけでわかるスカスカ感、風通しのよさ、繊細さはいわゆる黒っぽさとは異なるアフリカ的な黒っぽさだと思う。
拙ブログをご覧いただき、また、コメントありがとうございます。
ジャズの魅力を解き明かしたり、説明するのは、難しいですが、この本では、その一つの試みが行われていると思っています。おっしゃるように、クラシックの視点からの分析が行われているところがあります。僕が印象に残っているのは、マイルス・デイヴィスの演奏の分析で、ブラームスの交響曲第4番のモチーフを引用して説明がされています。
こういうのも一つのやり方だろうと思いますし、楽理に詳しい方にはいいのではないでしょうか。そのような観点とは別に、チャーリー・パーカーの魅力にぐっと迫ったのは、ジャズ喫茶イーグルの後藤雅洋さんが書いた文章にそういうものがあったと記憶しています。
どちらもあっていいように僕は思いますし、読む楽しみも広がります。ぜひ、この本もご覧ください。
また、拙ブログをご覧いただき、コメントいただくとありがたいです。よろしくお願いします。