家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

5分間の花火

2010-10-17 08:48:46 | Weblog

今年も春野のお祭りがあった。


地元民ではないが春野を愛する者として春野に感謝を込めてお祭りの寄付だけはさせてもらっている。


日が落ちると急に気温が下がった。


半袖から長袖に着替えた。


お囃子が聞こえてきた。


我が家の対岸の362号線に屋台の灯りが見えた。


ゆっくり移動しながらも威勢のよい掛け声と太鼓の音が聞こえる。


私は妻と組み立て式の椅子を持って外に出た。


涼しいというより寒いのでベストをさらに着た。


懐中電灯を持たないと道路が見えない。


街灯は1箇所しかないので、そこ以外は空の明るさが補助となるだけだ。


振り返ると我が家に灯っている電灯に暖かみを感じた。


いつも通っているものの夜の坂道は不気味な闇の世界だ。


夜間に行動するケモノとの遭遇が想定されて気を引き締める。


サルが散らかした栗のイガを退けて椅子をセットした。


懐中電灯を消して星を眺め飛んでいる飛行機の点滅灯を楽しんだ。


さきほど1発だけ上がった花火を期待していた。


まだ6時半だというのにジットしていると冷え込んでくる。


「去年は流星群が見られたね」と話していたら「ドーン」と上がった。


炸裂音は川面に響き渡り谷という谷を駆け巡って幾重にもこだました。


およそ1発の花火で、これほど余韻を楽しめる地域も少なかろう。


単純な花火であったが間近に見ると美しくて迫力満点だ。


杉林を背景に立ち上がる1本の火の筋が見えたかと思うと「シュパッ」という打ち上げの音が聞こえる。


花が開き消えかかる頃に「ドーン」と腹に響く音がする。


坂の中腹に陣取った我々の正面に上がる花火。


6時47分終了した。


5分間のみであった。


数も種類も少なく贅沢の極みのような花火ではなかった。


だがこの地形で、この場所でのみ味わえるものがある。


豊作だったY爺さんの田んぼも花火で照らされた。


今夜だけは獣たちも違う地域に移動したに違いない。