家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

かぐや幻想

2010-10-24 10:09:23 | Weblog

臨済宗方広寺派の寺に私の父方も母方も墓がある。


その大本山方広寺でコンサートがあった。


「観月の夕べ 音詩劇 かぐや幻想」である。


その作曲を担当した鳥山妙子さんからお誘いを受けた。


グッと気温の低い境内を歩いていくと今夜の会場である本堂が現われた。


「ここが会場か」と思っていると後の鐘楼で「ゴーン」と腹に響く音が鳴った。


弁当を受け取って本堂に移動した。


早めの夕食をとっていると800名の聴衆が集まり外も暗くなって、いよいよ始まった。


大井際断管長(大正4年2月26日生まれ 95歳)の挨拶があった。


「はい」と、とてつもなく大きな声で始まった。


意表を突かれた大声と内容に他の来賓たちの挨拶の印象は消えてしまった。


劇は竹取物語のうち月に帰っていくあたりのシーンが主だった。


開け放たれた本堂から見える夜の空。


空から吹き降ろす冷たい風に逆らって本堂で繰り広げられる劇や音が月に向かって駆け上がっていく。


月と本堂との交流だ。


琴の調べは空の寒さを教えてくれた。


私の想像もピアノの鍵盤に乗って月に上った。


衣装や照明また本堂の外に設えたスクリーンのおかげで「かぐや幻想」にのめり込むことが出来た。


不安 喜び 宇宙の広がりなどを直接感じられるのは鳥山さんの音 音楽に拠るころが大きい。


過ぎてみれば彼女の思い通りに操られた感はあるが、それは違和感の全くないものだった。


おとぎの世界なのに臨場感を持つことが出来た。


帰り道に置かれていた発電機付きの大きな電灯。


工事現場と同じ物が、それすら幻想的に見えてきた。


味気ない蛍光灯に照らされた500羅漢が、やさしく我々を見送りしてくれる。


山門を出る頃には身体も暖まり現実の世界に戻った気がした。