社会人大学の講師は 装幀家 菊地信義氏であった。
装幀というのは本の表紙のデザインのみならず、その本の特徴を表す総合的デザインともいえる。
文字 色彩 図像 素材 時間 空間そしてそれらのレイアウトということだ。
書店に置かれる書物が、まず人の目に触れる必要がある。
見つけた人が次に手にとって見る。
すると見るから触るに変化する。
そしてペラペラとページを繰ってみる。
本文に行き着くまでの時間で手にとった人の心に訴えかけて、その人を読者にしてしまう。
巧妙な作戦のうえに成り立つのが装幀なのだ。
視覚や触覚さらに時間的空間的演出によって人の心を獲得する。
本は本体より3ミリ大きく作られているのが世界標準である。
そこをも変えて本体を5ミリ縮めた。
つまり本文より8ミリも大きいわけだ。
武士が本を読むときに利用していた書見台をイメージしたという。
すると売れ行きがグッと良くなるものらしい。
菊地氏は早口でたくさん喋る。
決められた時間内に多くを語る必要があるからだ。
しかし余分な話は一切ない。
「この話は装幀に繋がりますからね」と言う時もある。
一瞬「無関係の話をし始めたのかな?」という我々の心も見抜いていてグングンと引っ張っていく。
時おりテーブルに当たり小指にはめた指輪の音がカンと鳴った。
装幀するのには勿論本を読まなくてはいけない。
それは膨大な数にのぼるであろう事は想像に難くない。
それらは、やはり菊池氏の装幀に役立つことになっている。
本は心(私)を作る道具だという。
装幀の要らない電子書籍は端末という機械を使う。
辞書を引くと、その端末という言葉の隣には断末魔という言葉が並んでいる。
端末は断末魔につながることをイメージする。
けだし言い得ているであろう。