家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

交通違反の思い出

2013-01-11 08:05:50 | Weblog
昨年9月20日私は妻のほか母と姉を乗せて走行していた。

4人でランチに行く途中であった。

繁華街に白バイが止まっていた。

その前にタクシーが止まり、その前には左折進入したい女性ドライバーの車が一台。

タクシーは白バイがいるので左折したい車のためにわざわざ止まっているように感じた。

私は、その横を通り過ぎた。

ところが横断歩道には女性が立っていたらしい。

私は、それを見逃した。

すかさず白バイが追ってきて通りの激しい場所で停止を命じられた。

白バイ隊員は私がわざと歩行者を無視して通り過ぎたとして少し興奮気味だった。

私は歩行者を見逃したことは明白なので素直に、その旨を伝えた。

白バイ隊員は、そのような見逃しでの事故を何度も目の当たりにしている。

見逃しの恐ろしさを普通の人よりも痛感しているのだ。

私に対する口調の強さは、そんな職務上というより弱者を守りたい情熱として伝わってきた。

9000円の罰金とゴールドの免許証がブルーに変わることは当然の罰であった。

それからは私は横断歩道があると歩行者を探すことにしている。

ただ漠然と前を見ているだけでは同じ間違いを起こしそうだからだ。

次に同じ道を通りかかったところ同じ地点に白バイが2台とパトカーが1台止まっていた。

白バイが2台とパトカーが1台という人数で対処すれば根本的に永続的に歩行者を守れると考えているのだろうか。

そんなに私のような歩行者を見逃す人が多いなら、もっと画期的に改善しないと歩行者を守れないのではないかと感じた。

その三叉路の手前の歩行者横断用信号機と統合するとか新たに歩行者横断用信号機を設置するなどしないとどんなに大人数で監視していても効果は少ないのではないかなと感じた。

白バイ隊員の情熱は、ありがたいものと感じたが我々の税金で歩行者を守ってくれるのであれば運転手にとっても分かり易い方法をとってもらいたい。

私は、どちらかというと横断歩道では必ず止まるようにしていたという気持ちが強い。

普通の注意力で見ていたら見逃さない方法を考えてもらいたいものだ。

歩行者を守りたいという気持ちは私にも充分あるのだから。