家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

大人の水遊び

2010-03-14 09:29:27 | Weblog
柿渋染めに精を出す妻に

「沢の整備に行ってきます」と言って家を後にした。

妻は「ああ。水遊びね」私の後姿に声が届いた。

知っていた。ちゃーんと。

雨のあとには沢に、いつもは無い水が流れている。

だって、ここの字(あざ)は「カラサワ」なのだ。

昔から水の無い沢だったから付けた字の名前なのだ。

上から下までは無理だから初めから限定した部分だけ手を着ける。

まずは杉の枯れ枝をどかす。

大きな物から小さな物までキリが無いほどある。

周りの草を抜く。

そして岩や石をどけたり足したり。

上側に深い淵を作り次に瀬を作って最後は滝に落とす。

水の流れを良くすることは、お約束事項だ。

これは子供の頃学校帰りによくやった。

溜まった雨を見つけると傘の先で溝を掘り水の方向を決めてやると、そちらに流れ始める。

水はカッサライで砂利をどけると面白いように流れを変える。

一気に流れが変わると、それに応じて水流の音も変わる。

水の勢いは音で分かるし雫も見ていても楽しい。

小さな物は流されて川底にあった大きな石や岩が顔を出す。

突然「これは人生なのだ」と思いついた。

水は岩がなくなると一斉に動き出し岩が置かれると動きを止める。

「右往左往する水」これが私だ。

私は傘の先でもなければ、それを操る人でもない。

面白くてやりすぎた。

情緒の無いただの早い流れになってしまった。

沢ガニが迷惑そうに身を潜める。

鳥がけたたましい警戒音をたてる。

まったく私はお邪魔虫。  だが続ける。

苔むした岩。   「おお。感じいいじゃないか」

苔むした倒木。  「これもいいじゃないか」

だが配置してみると全くセンスが無い。

宝の山は、ほとんど姿を変えずに残っている。

晴れれば水が無く雨が降れば流れを変えて枯れ枝を運び石を転がしてくる。