「また人物がなんとも個性的です。6人と少数なのでどの人物も重要で個性的です。
・・・主役デイダミーアは終始悩んでいます。アキッレという特殊な事情のある人物を愛してしまったが故の、終わることのない苦しみです。
その恋人のアキッレ(ピッラと名乗る)はまるで対照的。女装させられ匿われているのは親によって置かれた環境であり、具体的な危機感を持っていません。それがさらにデイダミーアを悩ませます。
そんな彼女を見守るネレーアは、賢明に彼女を支えながらも最後には別の決断を下します。ネレーアの心の機微も細かに描かれますよ。
ギリシャからやってきた使者の二人、ウリッセは偽名まで使っており用意周到。イメージ通り、いや「Bar」まで開店させるとはびっくりです。
相方のフェニーチェもまた若手の優秀な武将かと思いきや、今回のフェニーチェはお調子者。次々に秘密を暴いていくウリッセに倣おうと恋愛本から情報を得るなど。その成果のほどははたして・・・。
二人に迫られるリコメーデ王は、一国の王として最も良い選択は何なのか、物語の中で揺れる心を見せていますが、彼が天秤にかけているのは王の義務か友情かであって、娘デイダミーアの幸せではないのです。」
・・・主役デイダミーアは終始悩んでいます。アキッレという特殊な事情のある人物を愛してしまったが故の、終わることのない苦しみです。
その恋人のアキッレ(ピッラと名乗る)はまるで対照的。女装させられ匿われているのは親によって置かれた環境であり、具体的な危機感を持っていません。それがさらにデイダミーアを悩ませます。
そんな彼女を見守るネレーアは、賢明に彼女を支えながらも最後には別の決断を下します。ネレーアの心の機微も細かに描かれますよ。
ギリシャからやってきた使者の二人、ウリッセは偽名まで使っており用意周到。イメージ通り、いや「Bar」まで開店させるとはびっくりです。
相方のフェニーチェもまた若手の優秀な武将かと思いきや、今回のフェニーチェはお調子者。次々に秘密を暴いていくウリッセに倣おうと恋愛本から情報を得るなど。その成果のほどははたして・・・。
二人に迫られるリコメーデ王は、一国の王として最も良い選択は何なのか、物語の中で揺れる心を見せていますが、彼が天秤にかけているのは王の義務か友情かであって、娘デイダミーアの幸せではないのです。」
3年に一度、パーシモン・ホールで開催される二期会ニューウェーブ・オペラ劇場。
今回の演目は、ヘンデルの最後のオペラ作品「デイダミーア」である。
かなりマイナーな作品であってもだいたいあらすじが紹介されている「オペラ大図鑑」(河出書房新社)にも、この作品のあらすじは載っていない。
というわけで、このオペラを観る前の準備として、ギリシャ神話におけるアキレウス(オペラでは「アキッレ」あるいは「ピッラ」)の青年時代について押さえておく必要がありそうだ。
「アキレウスは、早死するのを避けることもできたところだった。運命の三女神は、トロイへ行き戦争で名誉ある早死にをするか、無名のまま故国で老いるか、そのどちらかを彼が選択することができると定めた。
このことを知ったテティスは、彼に少女の扮装をさせた。そしてスキュロス島の王リュコメデスの娘たちの間で彼が育てられるようにした。これは、あまり成功した策略ではなかった。なぜなら、彼は王の娘の一人を誘惑した(そして彼女との間にネオプトレモスと名づけられた息子を儲けた)。しかもギリシアの将軍たちが彼を自分たちの軍隊に参加させようとした時、狡猾なオデュッセウスは単純な策略を使って、難なく彼の本当の性別と性質を暴いたからである。オデュッセウスは宮廷の女性たちすべてに、自分が持ってきたいくつかの女性の喜びそうな贈り物の中から好みのものを選ぶように勧めた。その贈り物の中に彼は剣と鐙を置いておいた。彼女らが贈り物を選んでいた最中に、宮殿の外から戦いの物音とともにラッパの音が聞こえた。それはすべて、オデュッセウスの演出だった。そうすると本当の女性たちはすぐさま鋭い悲鳴をあげて逃げたが、アキレウスは女の服を脱ぎすて、剣と鐙を手にし、戦いを求めて飛び出して行った。」(p15~16)
デイダミーアは、トロイア戦争の勝敗を決めた人物と言える。
彼女がいなければ、ネオプトレモスは生まれていないことになるため、アカイア(ギリシャ)軍がトロイア軍に勝利することは出来なかったのである。
勝利のために必須の人物:フィロクテーテースを連れ戻すことが出来たのはネオプトレモスのおかげであるし(カタリーナ、スケープゴート、フィロクテーテース(14))、トロイア王プリアモスにとどめを刺したのもネオプトレモスだからである。
そういう事情もあってか、ヘンデルはデイダミーアを主人公に設定し、但し、神話のストーリーを大きく二つの点で改変した。
一つは、デイダミーアとアキッレとの間にネオプトレモスは生まれておらず、アキッレはあくまで少年という設定にしたことである。
確かに、既に「子持ち」の男性(オペラでは女性のソプラノ歌手が演じる)が、女性たちのあいだに混ざっているのは不自然である。
もう一つは、アキッレが戦場に赴く前に、彼とデイダミーアが、盛大な結婚式によって祝されるという点である。
「オペラ・セリア」では、ラストはハッピー・エンドにするというのがお約束だったらしく、ヘンデルもこれに倣ったのである。
ところが、演出の中村さんは、ヘンデルの時代には許されなかったであろう、驚くべきシーンを付け加えている。
原作のラストの後に、アキッレたちが戦死するシーンを描いたのである。
これによって、華やかな結婚式が、実は「今生の別れ」であったことが明かされ、デイダミーアは「悲劇のヒロイン」であったことが強調されるわけである。
この演目では、タイトル・ロールのソプラノ歌手は、ほぼ出ずっぱりで、水を飲むことすら容易ではないそうだが、そんな状況で沢山のアリアを見事に歌い上げ、かつ、ダンスにも力を注いだ清水理沙さんは、歌も演技も完璧といって良かった。