Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

初心忘るべからず

2006年09月28日 23時34分52秒 | Weblog
 初心
 いわずと知れた「アマケンさん」のブログから、妙に感心したので引用。
 
 私は,あっという間に慢心し,だんだん日々に流されるようになりました。
毎日手紙を書くというのは,長期的に見た顧客獲得活動であり,明日の数字には繋がらないのです。目先の数字に満足していた私は,将来を見据えた努力を怠るようになりました。
 入社して一年が経ち,後輩が入るようになると,私の慢心はさらにエスカレートしました。
 しかし,私の営業マンとしての能力,営業基盤は,一年経っても全く育っていませんでした。当然,成績は頭打ちとなり,努力し続けてきた同期にはどんどん抜かれていきました。自暴自棄になった私は,サボることを覚え,入社当時のモティベーションは地に堕ちていました。
 そしてある日,逃げるように会社を辞めたのです。
私を教えてくれた先輩は,「がんばれよ」と笑顔で送り出してくれました。

 ・・・ふーん、バーディーも、営業の泥臭い仕事に心身をすり切らしていた。身に覚えのある話である。
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二回試験落ち107名!

2006年09月28日 22時24分36秒 | Weblog
 第59期修習生で、何と97名が合格留保、10名が不合格決定というショッキングなニュースが流れた。特に、刑事弁護で46名の不合格とは!
 従来は、被告人が犯人性を争っているにもかかわらず公訴事実を認めて情状の弁論を行うなどのお粗末答案が不合格となっていたのだが、果たして今年はどうだったのやら。詳しい分析を待たねば成るまい。
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品切れ中!

2006年09月26日 19時58分06秒 | Weblog
 「心にナイフをしのばせて」は、どこの書店に行っても品切れ中。
 うーむ、困った。
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弁護士氷河期時代ほか

2006年09月25日 19時38分38秒 | Weblog
 ハイエナのごとく採用枠をすべて奪い取るぞ
 60期修習生は背水の陣で就職活動を行っている。ハイエナのごとく。

 有名ロースクール生に会うと,どうも択一を若干軽視しているように思います。
 葉玉先生はいつも正直にものをおっしゃる人である。東大ローの学生は、教授陣の思想に染まっているのだろうか。

 ・・・さて、本日から検察修習。それにしても、検察官志望者の多さには圧倒される。
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職業観におけるジェネレーション・ギャップ

2006年09月24日 21時14分39秒 | Weblog
 新司法試験合格率ナンバーワンの座に輝いたのは、一橋大学法科大学院であった。少数精鋭主義と学習環境が功を奏したと思われる。ところで、一橋大学といえば、バーディーの高校の同期の中で、一橋大出身で地元の県庁に勤めている人間が二人いる。だが、彼らの境遇はあまり恵まれていないと思う。
 彼らの代まで、公務員志望の一橋大出身者が県庁に入庁することは殆どありえなかった。なぜなら、一橋大卒なら、まず国家公務員Ⅰ種試験を受けて中央官庁に入庁するのがお決まりのコースだったからである。実際、上の二人も、国家Ⅰ種試験をパスしていた。だが、例によって、就職氷河期のあおりを受けて、内定を得られず、少なからぬ失意を抱きつつ都落ちしてきたのである。
 だが、そんな優秀な人材が厚遇されるかといえば、決してそうではない。むしろ、周囲からは好奇の目で見られることが多く、頼りになる先輩はまずいない。年次が上の人間は地元の大学出身者で閥を形成しており、やっかみやイジメは絶えない。少し期が上の先輩にとってみれば、彼らは、自分を追い抜いて出世していくかもしれないライバルなのである!「どうせあいつらは都落ちしてきたやる気のないやつらですよ。」などと陰で言っているかもしれない(実際、役所ではないが、似たようなケースを多々見聞した)。
 ・・・現在、30代半ば以上の人たちは、日本経済が安定成長期にあって、終身雇用制が保障されていたころ就職した人が大半である。ならば、彼らの職業観と就職氷河期以降の年代の人たちとの職業観とが違うのは当然かもしれない。また、社内で軋轢が生じるのも、ある意味では必然なのかもしれない。
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心に残るスピーチ

2006年09月24日 08時37分41秒 | Weblog
 各界で活躍している人は、たとえ3分間の短いスピーチであっても、聴く人の心に残るスピーチをするものである。例えば、司法研修所の所長や法務省人事課長のスピーチは、(知る人ぞ知るが)爆笑の連続である。
 書き言葉も同じであろう。
 ハーヴァードのケネディ・スクールやコロンビアのSIPAなどのアメリカの行政学大学院では、複雑な社会問題をA42枚のメモにまとめて政治家にプレゼンするという想定の演習がよくなされる。これは、40ページの小論文を書くよりもずっと難しい。
 「スピーチ」や「メモ・ライティング」の達人は、きっと社会で頭角を現すだろう。なぜなら、彼らは人の心に働きかけ、人を動かす能力を持っているからである。
 ・・・というわけで、バーディーは、安倍政権が短命に終わった場合の次期総理は、スピーチの達人である麻生さんだろうと思うのである。
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新司法試験(その7)

2006年09月23日 20時05分33秒 | Weblog
 大学院別合格者数
 最上段の愛知大学は、受験者数18人のうち択一通過が17人、最終合格が13人という優秀な成績である。しかも、学生の大半は学部は名古屋大であり、東大・京大出身者は各2名とのことである。
 そこで、愛知大躍進の理由を探るに、一説によれば、同大学院の教授であるかの新堂幸司先生がボスを務める「法学検定試験」2級レベルの知識固めからはじめたそうである。バーディーは、これが成功の大きな一因であるとみた。
 ところで、青山学院大法科大学院の教授で、元裁判官・現弁護士の和田吉弘先生は、論文試験の直前には、基礎知識を1行ずつまとめたノートを持参して、各科目を短時間で見直していたそうである。私も、論文試験の直前には、「かけこみ両訴」のようなサブノートを見直していた。法学検定試験も、ここでいう「基礎知識」を問うものであると思う。
 思うに、論文の骨子(答案構成)となるのは、結局のところ、基礎知識とその(当該事案における)あてはめであり、「基礎知識」というものは、択一・論文で共通のもののはずである。
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家裁の人

2006年09月23日 09時25分00秒 | Weblog
 家裁修習が終わった。2週間と短かったものの、非常に有益で濃密な時間であったと思う。
 ところで、家裁には、地裁とは異なり、「家裁調査官」という職種があるのは広く知られている。彼らの特色は、心理・社会などといった法律以外の専門的知識を有していることである。確かに、彼らの調査は、法律家とは異なる視点からのものであって、非常に有益であると思う。
 だが、バーディーは、ここで問題点をひとつだけ指摘したい。
 私は、社会科学・人文科学の最大の弱点は、「検証可能性」であると思う。家裁調査官の仕事についても(もちろん法曹全般の仕事についても)同様のことがいえると思う。調査官の「処遇意見」が果たして正鵠を射たものであったのかどうかは、例えば、少年院送致された少年の「その後」を追跡調査するなどして検証してみる必要があるだろう。さもなくば、調査報告書は、自己の知識をちりばめた、単なる「評論」に終わっている虞すらある。 
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ペーパー・テスト至上主義の終焉

2006年09月23日 09時06分44秒 | Weblog
 それにしても、日本ほどペーパー・テスト崇拝の激しい国も珍しい。かつての司法試験は、はるか昔の中国の科挙のようであった。だが、その反面、どんな社会的落伍者であっても、司法試験に合格すれば「人生の勝者」になれる(?)というので、ウルトラ・カードとして多くの人に夢を与えていたのも事実である。ちなみに、大平光代さんの「だからあなたも生きぬいて」は、少年院でよく読まれている。
 だが、ウルトラ・カードとしての司法試験も、ロースクール制度の導入により(あるいはここ10年来の合格者数増加により)崩壊しつつある。来年あたりからは、ドイツやイタリアに見られるような「弁護士資格を持ったタクシー・ドライバー」の出現が予想される。
 目を転じてみれば、学歴社会の崩壊は、就職氷河期から始まっていた。要するに、「いい大学」に入って「いい会社」に入るのがお決まりのパターンだったのに、それが通用しなくなったのが約10年前からである。・・・そういえば、先日、テレビで、「うちの長男は慶応卒なのに、板前修業をしているわ。」と話す主婦がいた。
 これでいいのか悪いのか、よく分からない。
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新司法試験(その6)

2006年09月22日 07時23分46秒 | Weblog
 合格者の顔ぶれを見て、大学院の指導方針で間違っていたと思われるものがある。それは、「文章力至上主義」である。バーディーが合格者発表で意外に思ったのは、ロースクールの課題レポートで良い文章を書いていた面々がほぼ落ちていたという事実である。
 確かに、分かり易い文章を書く能力は、法律家として最低限必要なことである。しかしながら、現在、少なからぬロースクールで指導されているのは、「時間をかけて文献を調べ上げ、短くひきしまった文章で表現する」テクニックであるように思われる。ところが、このテクニックは、試験で必要なテクニックとは似て非なるものだと思うのである。
 実際、A41枚のレポートを書くのに、6時間位リサーチをする人もいて、こういう人はローの成績も良い。だが、いわば極限状態の中で文章を書かねば成らない試験というものは、考えすぎていてはおしまいであるし、文章に懲りすぎてもアウト(時間切れ)となる。
 
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