Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

遺伝子汚染?

2011年11月30日 08時17分44秒 | Weblog
現生人類がネアンデルタール人を殺害?
ネアンデルタール人は異種交配で絶滅?

 現生人類はネアンデルタール人を殺害して絶滅させたのか、それとも、交配による遺伝子汚染で絶滅させたのか?
 現代の「外来種」による生態系の破壊現象を見る限り、「殺害説」は説得力に乏しい。記事も指摘しているとおり、異種交配と、疫病などその他の要因とが重なって、絶滅につながったのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「いらち」の果てに・・・

2011年11月29日 07時56分24秒 | Weblog
大阪・タンクローリー事故 事故引き起こし実刑判決の自転車の男「俺が悪いんですか」
 「信号待ちという当然の事柄を嫌がり・・・」という判決文にあるとおり、被告人は典型的な「いらち」(「せっかち」)だったようである。
 大阪の中心部には、今でも「(青信号点灯まで)あと●●秒」という表示があるくらい、待つのを嫌がる人は多い。
 亡くなった二人の方のご冥福を祈ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信用できない詩人

2011年11月28日 07時49分35秒 | Weblog
絶望の精神史(金子光晴)
 金子光晴の詩には、なんとなくアナーキーな達観があり、好きだった。その延長上で買い求めたのが、当初カッパブックスから出版されたという「絶望の精神史」。
 だが、内容はひどい。
 「そばに比較対象物のない島国日本は・・・自分たちが、ほんとうに幸せなのか、不幸せなのかがわからなくなる」(p18)は、まあ、いいだろう。だが、これとて「イギリスはどうなんだ?」と反論されたらおしまいである。
 大正に入り、著者は、「しみじみと、日本人に生まれたことをくやみ、丸い鼻、黄楊いろの肌に、とりかえしのつかない自己嫌悪をおぼえた」(p101)というが、ここにおいて正体が暴露された。何のことはない、自己嫌悪を日本人・日本社会に投射しているだけの話なのである。
 その証拠に、著者は、関東大震災の際に「社会主義者が蜂起した」などというデマに動かされる人間を「日本人的」として批判するが、ハリケーン・カトリーナの時の暴動を見れば分かるとおり、こうした現象は世界中で見られるものだ。
 著者の論法は、「日本はダメだからダメなんだ」と言うに尽きる。理詰めでものを考える人間には到底ついていけない。
 それよりも、この本を読んでいると、金子光晴という人物に対する信用が揺らぐ。例えば、生まれたばかりの長男を妻の実家に預けて、妻と一緒に7年間の海外旅行に出るところ(p126)や、出島春光という画家が詐欺を実行しようとしたとき、それを止めないばかりか、片棒を担いだあげく、「10フランをよこせ」と取り分を求めるところ(p134)を読むと、この人の人間性が分かってしまう。
 この人の書いた散文はもう読まないことにした。
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

居眠りする権利

2011年11月27日 08時03分08秒 | Weblog
立川談志さん独演会で居眠りして退席 会社役員の訴え棄却
 主催者から退出を求められると、この会社役員は、「金を払ったんだから、居眠りしたっていいじゃないか」という趣旨のことを主張したという。
 判決は「違法性はない」としたが、「居眠りをする権利」も保護するに値しないだろう。
 立川談志さんのご冥福をお祈りします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1200万円の重さ

2011年11月26日 07時47分56秒 | Weblog
ふざけるな!玄場外相 日帰り訪中に飛行機チャーター代1200万円
 こういう話がほぼリアルタイムにリークされるということは、国民にとってはいいことだ。
 ちなみに、前首相の機密費の使い方も結構なものがあったという。こうした話はおそらく官僚がリークしているのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「胡麻化し」の正体

2011年11月25日 08時19分28秒 | Weblog
 「現代日本法へのカタバシス」所収の「夏目漱石『それから』が投げかけ続ける問題」において、木庭教授は、主人公(代助)の「胡麻化し」を指摘する(p245ほか)。
 原文を忠実に読むと、これは、美千代への愛情を抑圧していたところから、「否認」に転じる局面を意味しているようである。代助は、防衛機制の罠につかまってしまい(抑圧と否認の間)、出るに出れない状況に陥っている。この局面からの脱出が、物語の見どころということになる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「安心」を求める

2011年11月24日 08時47分04秒 | Weblog
余録:若者の就職難
 「現在の給料は安いが、毎年賃金は上がり、3DK(駐車場付き)の官舎は家賃2万5000円。共済年金で将来も安心、ということか。やはり公務員は恵まれている。」

 将来の不透明感が高まる中で、人々は「安心」を求める。公務員を希望する若者が激増し、企業家などは「どうせホリエモンみたいになる」ので、最初から目指さない。シュンペーター先生は大いに嘆いていることだろう。
 かくして、日本は「第二のギリシャ」になるのか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

華のある被疑者

2011年11月23日 09時20分21秒 | Weblog
大王製紙“ティッシュ王子” 赤毛巨乳のハーフ美女とデート
 「大阪地検事件で、その威信が地に落ちた特捜部は、10月1日から経済事件重視の新体制を敷いている。その第一号として、大王製紙の事件はうってつけだ。大企業で、東大法学部卒の3代目と、被疑者に華がある。」

 この事件は、特捜部にとって「リハビリ案件」なのだそうな。
 でも、会社のために一攫千金を狙うのに、FX投資とカジノとで合法・違法が区別されるという、実質的な理由がよく分からない。もともとFX投資であけた穴を埋めるためにカジノに走ったそうだし・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

情報生産機能

2011年11月22日 07時51分46秒 | Weblog
筑摩書房「現代の金融入門」(池尾和人)
 金融機関が取引先を審査し、モニターすることによって遂行している役割のことを、「情報生産機能」と呼ぶ(p31)。とりわけ審査は金融機関にとって要の仕事である。「審査もなしに、ただお金を手渡すだけであるならば、誰にでもできることであって、わざわざ金融機関に頼むまでもないことである」(p26)
 ここで私は不謹慎にも、吹き出してしまいそうになった。すくなくとも、10年前の日本の金融機関の審査は、「ただお金を渡す」のと大差なかったからである。
 例えば、倒産した長期信用系銀行における、福島で問題を起こした某電力会社に対する貸付稟議書の記載は、「当社は●●電力である」のたった1行であったし、私がもと勤務していた金融機関では、2カ月弱かけて審査した結果、融資実行後数か月で倒産するというケースがときどきあった(売上を伝票や取引先照会で確認する作業も、資金繰り表を預金通帳と照合する作業も、怠っていることが明らかである。)。
 メガバンクでは、現在では、オーソドックスな審査は全くやっていないと思う。取引先の決算書を、関連会社に整理させ、データ化し、ランク付けする。そして、当該ランクのデフォルト(延滞倒産)率から、適正な(つまり、倒産を見込んでも利潤を確保できる)利率をはじき出し、融資するのである。定量的分析の極致である。
 ただし、ここで落とし穴がある。多くの企業の決算書は、多かれ少なかれ粉飾を含んでいるが、これは原則として加味されない。従来一部の金融機関で行われていた、職人芸的な決算書分析はなおざりにされている。定性的な分析作業をオミットすることで、コストを削減しようと考えているようである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自然の昔

2011年11月21日 07時44分29秒 | Weblog
 「それから」の続き。
 「今日始めて自然の昔に戻るんだ・・・始から何故自然に抵抗したのかと思った」(p229)は、柄谷行人氏も指摘するとおり、抑圧された無意識(自然)を代助が明確に意識化した瞬間である。だが、「抵抗」は代助自身が作り出したものであり、要するに、美千代を友人に譲ったという「義侠心」のことである。
 このように、代助は、問題の種を自ら蒔いているのであり、柄谷氏がいうところの「オイディプス王」である(この指摘には木庭教授も賛同する。その他の個所には手厳しい批判を行っているが・・・)。・・・それにしても、柄谷さんって、こうした単発の指摘は当たっているけれど、それをマルキシズムその他の装置で位置づけようとすると失敗してしまい、他の評者の攻撃を受けるようだ。
 かくして、木庭教授(ないしソクラテス)のいわゆる「最後の一人」となった代助と美千代は、「社会」から隔絶することを余儀なくされる。かといって、「自然」にべったりとなったという解釈は誤りである(無意識は意識化されている)。それまで「自然」(エス)と「社会」(超自我)の二者択一でしか動けなかった代助は、「寄る辺のない」美千代を媒介として、「自我」(ないしユングのいう「自己」)を確立したのであった。というのがバーディーの解釈。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする