Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

愛情なき辛口

2021年09月30日 06時30分23秒 | Weblog
日本文学史序説 (下) 加藤 周一 著
 「司馬の主人公は、もはや「剣豪」ではなくて、知的英雄であり、もはや架空の役者ではなくて、実在の人物に近く、幕末や維新や日露戦争の、綿密に考証された歴史的状況のなかで動いている。その小説の英雄=主人公は、私生活においては型破りで、仕事においては正確な状況判断と強い意志により優れた指導性を発揮する実際家である。管理社会のなかで型にはめられた「モーレツ社員」の分裂した夢—型からの脱出と型のなかでの成功の願望は、鮮やかにもここに反映していた。しかも読者はその小説を通じて「歴史」を知る、あるいは少なくとも波瀾万丈の小説を愉しみながら「歴史」を学ぶと信じることができるのである。」(p326~327)

 加藤周一氏による司馬遼太郎作品に対する評価は、ほぼ全否定と言ってよい。
 ここで引用した短いパッセージは、パーカーさんやMUJIO・ムジ男さんの「辛口の愛情」とはおそらく対極にある、「愛情なき辛口」の真骨頂である。
 加藤氏によれば、司馬氏の小説に出てくる人物は「実在の人物」ではなく、「実在の人物に近い」架空の人物であり、描かれているのは「歴史」ではなく、フィクションだというのである。
 そして、その読者である「モーレツ社員」は、「「歴史」を学びながら自身の「分裂した夢」が(史実として)叶えられた・叶えられる」という二重の錯覚に陥っているというわけである
 これを、司馬氏本人やその愛読者が読んだら、どういう気持ちになるだろうか?
(私は司馬氏の愛読者ではないが、「殉死」はなかなかいい伝記小説だと思う。)
 ちなみに、この本の帯には、「加藤周一の巨(おお)いさ・勁(つよ)さ・やさしさを読む」とあるが、かなりの頻度で「厳しさ」が炸裂している印象を受ける。
 加藤氏が、例えば、村上春樹氏を手加減することなく論評していたとしたら、大変なことになっていたのではないか(「大絶賛」という可能性もゼロとは言い切れないけれど)と思うのである。
 
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辛口の愛情

2021年09月29日 06時30分44秒 | Weblog
① マクドナルド:元天才マック従業員による月見バーガーの辛口レビュー【マクドアンチ】
② 無印良品:【現役店員に聞いた】無印で買わない方がいいものとクレームの多いもの

 清原和博氏があれほど憧れた巨人に入団する前、ある元プロ野球選手が彼にこう助言したそうだ。
 「富士山は遠くから見るから美しいのだ。巨人も、外から見るからよく見えるだけで、中に入るといろいろ醜いところが見えてくるぞ」。
 確かに、清原氏の回想録などを読むと、巨人の負の側面がクローズアップされているように思える。
 こんな風に、ある対象について余りにも強い思い入れを抱いてしまうと、いざそれに接近した時に、かえってアラがよく見えてしまうことがある。
 その一方で、こうしたインサイダーによる辛口批評の中に、小さな本物の愛情がほの見えることもある。
 ①は、元マクドナルド店員のパーカーさんによる「月見バーガー」のレビューで、「辛口」と謳っているものの、言葉の端々に愛情が窺え、かえって良い宣伝になっている。
 これだと、普段マクドナルドで飲食しない私でも、「月見バーガー」を食べてみたいと思うのである。
 ②は、無印良品の愛好家の方による辛口レビューで、店員さんの声を紹介している。
 「糖質10g以下のパン」(12分51秒~)の、「痩せたいけどおいしい物を食べたいというこのワガママな欲望と脂肪をため込んだ『煩悩と脂肪の塊』には、低糖質パンであっても、普通のパンのように『美味しくあってくれ』という淡い期待を抱く傾向がある」、「そんなもん探し回る暇があったら走れ!」、「そんな『脂肪の塊』に現実を突きつけてくれる、そんなパンです」という指摘は秀逸である。
 これも、やはり食べてみたいという気になる商品である。

 
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自由業の自由度(4)

2021年09月28日 06時30分47秒 | Weblog
日本の医療制度はイギリスやアメリカと違う?
 
 コロナ問題で、「(日本の病院のうち約7割を占める)民間病院の機能不全」が指摘されるようになったが、自由業の筆頭に挙げられる医師という職業は、海外でもやはり自由業に属しているのだろうか?
 ちょっと調べてみると、必ずしもそうではないことが分かる。
 上に挙げた文献によれば、イギリスの病院はすべて国営病院で、病院で働く専門医は全て公務員だそうである。
 また、ドイツは病院の約8割、フランスは約6割が国公立である。
 つまり、医師が、純粋な「自由業」(その条件には、財政的独立性が含まれる)であるという発想は、当然には成り立たないのである。
 思えば、安藤昌益も本居宣長も本業は医者だが、今で言うと漢方医に入るわけで、「病床が埋まっていないと採算がとれない」現代の病院の医者ではなかったのである。
 
 
 
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不支持理由

2021年09月27日 06時30分57秒 | Weblog
【詳しくわかる】 自民党総裁選2021

 先日、ある有名なベテラン弁護士から1枚のはがきが届いた。
 自民党員であることを公言しているその弁護士は、今回の総裁選ではA候補を支持するとして、その理由をいくつか挙げていた。
 だが、読んでいて気になるくだりがあった。
 B候補を支持しない理由として、「(B氏が掲げる政策は)●×党(野党)の政策です」と書いてあったのである。
 これを見て、私はちょっと呆れた。
 この弁護士は、個別の政策について、「ライバル政党が掲げる政策だから」という理由で否定しているように思われたからである。
 「対立当事者の主張は何でもかんでも否定する」という、一部の弁護士(及び検察官)にみられる習慣が沁みついてしまったのだろうか?
 私は、この種の言動は、法曹としてあるまじきことだと思う。
 基本的な考え方や利害関係が対立する相手であっても、議論を尽くし、言い分に理があれば採用するというのが、政治・法の基本的な作法である。
 さらに言えば、私見では、さまざまな主張を取り込む「キャッチ・オール・パーティー」であることこそが自民党の最大の強みだと思うので、例の弁護士は、こうした自民党の強みについても理解していないのではないかと疑われる。
 さて、総裁選の結果はどうなりますやら?
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職業バイアス

2021年09月26日 06時30分32秒 | Weblog
日本文学史序説 (下) 加藤 周一 著
 「従来の狭い文学概念を離れ、小説や詩歌はもとより、思想・宗教・歴史・農民一揆の檄文にいたるまでを“文学”として視野に収め、壮大なスケールのもとに日本人の精神活動のダイナミズムをとらえた、卓抜な日本文化・思想史。

 日本文学(というよりは日本人の思想や日本文化)全体を巨視的に捉えた評論で、マルクス主義への評価の点などを除けば、今なお通用するハイレベルな内容と思われる。
 傑作という評価が多いが、全くキズがないかと言えば、必ずしもそうではない。
 私見では、一番目立つのは、「職業バイアス」である。
 例えば、「木下杢太郎と詩人たち」(p424~440)のくだり。
 内容面はともかく、ここに16ページ分を割いておきながら、川端康成に関する記述が、横光利一と井伏鱒二に関する記述を含めてわずか(実質)3ページ分(p468~472)しかないのはどういうことだろうか?
 加藤氏は、自分と同じ医者との「二足の草鞋」を履いた文学者(木下杢太郎や斎藤茂吉など)には好意的で、厚く論じ過ぎる傾向があるようだ。
 これを、「職業バイアス」と呼んでもよいように思うのである。
 
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鍵盤楽器

2021年09月25日 06時30分08秒 | Weblog
曽根麻矢子 バッハ連続演奏会BWVⅡ 平均律クラヴィーア曲集 第1巻[全曲]

 「アンジェラ・ヒューイット ピアノ・リサイタル バッハ・オデッセイ」をほぼ毎回聴いてきたが、残念ながら新型コロナウイルス問題のため最終回は中止となっている(<アンジェラ・ヒューイット ピアノ・リサイタル公演中止に関するお知らせ>)。
 その際、若干の違和感を抱いたのが、バッハの鍵盤楽器の曲、とりわけ「平均律クラヴィーア曲集」について、ピアノでは音の歯切れが今一つスッキリしないということだった。
 この問題が、曽根さんのチェンバロの演奏を聴いてようやく解決した。
 どういうことかというと、バッハは、(当然のことだが)この曲をピアノという鍵盤楽器で弾くことは想定しておらず、ましてやラウドペダルの使用は想定していなかったということなのである。
 チェンバロの音は、ピアノのように響きが持続しないので、平均律クラヴィーアのように音符が沢山ある曲にふさわしい。
 これがピアノだと、前の音が後の音にかぶさってしまい、原意が損なわれてしまう。
 これを何とか救おうとしたのが、グレン・グールドの「ノン・レガート奏法」(グレン・グールドの孤高)だったのである。
 もっとも、これも「ゴルトベルク変奏曲」くらいまでが限界で、「平均律」あたりはさすがに難しいということなのかもしれない。
 
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包括的な受容(2)

2021年09月24日 06時30分48秒 | Weblog
映画「トゥルーノース」公式サイト
 「北朝鮮強制収容所。世界で最も過酷な場所で、希望を捨てずに生き抜こうとする者たち。
 「世界の映画祭で絶賛された真実の物語

 「Happyーしあわせを探すあなたへ」の総合プロデューサー・清水ハン栄治さんが監督を務める衝撃作。
 この映画は絶対にアニメーションでなければならない。
 というのは、実写にしてしまうと、殆どの人がまともに観ることが出来ないだろうからである。
 作品中の強制収容所は、まさしく「この世の地獄」であり、生きるのも極めて難しいが、かといって死ぬ自由もない(自殺すると親族が拷問を受ける)。
 通常人にとって、このような生を、「包括的に受容する」のは至難の業である。
 何とか生き延びることが出来たとしても、「トゥルーノース」(「真に重要な目標」を指す英語の慣用句)を見失わないことは難しい。
 人間は、熾烈な生存競争状態におかれると、容易に加害者に転落してしまうからである。
 だが、生きるために「トゥルーノース」を見失ってしまえば、生きている価値はないのである。
 「監督は北朝鮮の強制収容所にいる12万人を本気で救おうとしている」(豊島圭介監督)というのはまさしくその通りだと思う。
 それでは、主人公:ヨハンのような人を救うために、自分は何が出来るのだろうか?と考えずにはいられない。
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包括的な受容

2021年09月23日 06時30分19秒 | Weblog
happy -しあわせを探すあなたへ
 「「幸福度」研究や「ポジティブ心理学」の権威が「幸せ」の鍵を解き明かす。全米が「幸福度」に注目!ハーバード大学では大人気の講座に!幸せになるための方程式とは?

 やはり、メリッサ・ムーディー(Mellissa moody)さんのエピソードが強烈である。
 メリッサさんは、農場で忙しく働く3人の子の母(おそらく女優としても通用する美人)で、平穏な生活を送っていた。
 ところが、1992年に顔面をトラックで踏みつぶされる事故に遭い、彼女の人生は一変する。
 彼女は9年半の間数十回の手術を受け、その間、夫は離婚を告げて去っていき、3人の子供が残された。
 メリッサさんは何度も自殺を考えたそうだが、「それはいつでも出来る。今は子供たちが必要としてる」と自分に言い聞かせ、なんとか生きてきた。
 そして、最終的に、
私の人生を包み隠さず、全て受け入れる
と決意した時に、彼女に心の平和と幸せが訪れた。
 (映画撮影の)2年前に彼女は再婚したそうで、彼女は「今の私は昔より幸せです」と笑う。
 とはいえ、「野いちご」のイサクを含む多くの人にとって、この「包括的な受容」に至る道は険しいようで、だからこそなかなか幸せにはたどり着けないのだろう。
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ベルイマン流トラウマ対処法(15)

2021年09月22日 06時30分37秒 | Weblog
(引き続きネタバレにご注意)

ラカン入門 向井 雅明 著
 「無意識を言語的構造において捉える場合、それはシニフィアンが互いに組み合わされて網目を構成し、換喩・隠喩の機能によって自動的に働くものと考えられる・・・」(p342)
 「ラカンのテクストを読む場合、このシニフィアンという用語は大変にくせ者である。ソシュールの使うシニフィアンという用語は言語を構成する要素であって、通常言葉とよばれているものから構成されている。それに対して、ラカンはシニフィアンも非常に広い範囲で使っている。極端に言えば人間社会のすべてがシニフィアンなのである。なぜなら人間社会は言語によってできあがっているからである。そしてそれ以上に、まだシニフィアンと呼べそうにもないもの、例えば主体の経験の痕跡として無意識に留まっているイメージさえもシニフィアンと呼んでいる。」(p54~55)

 「イサクの生」がひとつのシニフィアンであるならば、それはもちろん「承認」の対象となり得る。
 他方、人間の生は、第一義的には他者との関係によって成り立つものなので、イサクの生は、周囲の人々に反映されている、あるいは周囲の人々によって構成されていると見ることが可能である。
 こういう風にイサクの生を客観化すれば、「承認」が文字通りの<他者>によって行われる必要はないことになる。
 イサク自身が、いわば<他者>としての立場で、自分の生を「承認」することが可能になるからである。
 ただ、少しややこしいのは、「承認」の手段として用いられるのが(ラカンが言うところの)シニフィアンであるという点である。
 確かに、最初にイサクは「言葉」によって「承認」を行ったけれども、「承認」の手段はこれだけにとどまらない。
 ラカンが示唆するように、「イメージ」による「承認」も可能である。
 というわけで、ベルイマン監督は、イサクの最後の夢による大団円を用意した。
 夢の中で、まず、サラがイサクに「野いちごは、もうないのよ」と告げる。
 すなわち、言葉によってトラウマを消滅させ、ありのままのイサクの生を「承認」する。
 そして、次に現れるのは、仲睦まじいイサクの両親の「イメージ」である。
 これこそ、「イメージ」によるイサクの生の「承認」にほかならない。
 くどいようだが、イサクの両親は、イサクをこの世に導き入れた張本人たちであり、二人の愛はイサクという存在の原因(さらに言えば、イサクはその表現つまりシニフィアン?)だからである(エーヴァルトのセリフをもじって言うと、イサクは、「愛し合う両親の、祝福された子」として生まれたのだった。)。
 これに対し、映画のつくり方としては、このシーンを、「(あり得たかもしれない、non-réalisé としての)イサクとサラが夫婦になって仲睦まじく過ごしているシーン」にする選択肢もあったと思われるが、さすがにベルイマン監督はそうしなかった。
 やはりここは、イサクの生を絶対的に肯定するような「原イメージ」を持ってこなければならないのである。
 ・・・それにしても、ベルイマン監督にとって、これほど完璧な映画をつくってしまった後で、さらに映画をつくる意味などあったのだろうか?
 
 
 
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ベルイマン流トラウマ対処法(14)

2021年09月21日 06時30分50秒 | Weblog
(引き続きネタバレにご注意)

 イサクとマリアンの対話は、そのままオープン・ダイアローグと呼んでもいいくらいであり(表現としての病)、ベルイマン監督はずいぶん時代を先取りしていたように思える。
 ここに至って、イサクの病、すなわち反転・歪曲された「現実化されてないもの」が、ようやく言葉で表現されたわけである。
 だが、これで問題が解決したわけではない。
 表現されたのは「反転・歪曲」されたものであって、表現を求めていたもの本体ではないからである。
 さて、どうする?
 というわけで、イサクは「再反転」を試みる。
 まず、イサクは、周囲の人々(アグダ、(学生の)サラ達、エーヴァルト、マリアン)に対し、感謝と愛を言葉で伝える。
 私見では、この行為は、「生きながら死ぬこと」へと反転・歪曲された「現実化されなかったサラとの幸せな結婚生活」を、「現実化されたありのままの自分の人生」の中へと再反転・吸収し、これを自ら「承認」するという意味を持っていると思われる。
 まず、言葉によって表現されたのは「サラとの幸せな結婚生活」のネガなので、これをポジに変える(再反転する)必要がある。
 次に、「サラとの幸せな結婚生活」には実体がないので、これに何らかの実体を与えようとするのであれば、何らかの方法で現実のイサクの人生に取り込むしかない(そうでもしない限り、「現実化されてないもの」の無限連鎖から抜け出せないことになってしまう。)。
 これを一挙に実現すべく、「現実の自分の人生は、(現実化されなかった)『サラとの結婚生活』と同じくらい幸せであった・幸せである」と「擬制」する方法が考えられる。
 つまり、「現実化されたもの」を「現実化されてないもの」と等価のものとみなし、前者によって後者を代替・吸収してしまうのである。
 ところが、この際、(再定義された)自分の人生を客観化して「承認」する手続きが必要となる。
 なぜなら、「『現実化されてないもの』を取り込んだ自己の人生」それ自体が、いまだ「現実化されてないもの」(non-réalisé)であるために、「承認」を必要としているからである。
 イサクは、これを、周囲の人々に対する「感謝と愛の言葉」という方法で行った。
 感謝も愛も、他者の行為あるいは存在に対する応答であり、ダイアローグを成立させるものであるとともに、最高の「承認」だからである。
 
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