山の音
忘れられつつある名作。
さまざまな読み方があるものの、「日本的な家の悲哀」が大きなテーマであることは大方の一致した見解のようだ。
だが、著者(川端康成又はゴーストライター)が最も書きたかったのは、319ページの、
「そう。菊子は自由だって、わたしから菊子に言ってやってくれと、修一が言うんだ。」
この時、天に音がした。ほんとうに信吾は天から音を聞いたと思った。
ではないかと思う。
このくだりの前には、修一の愛人である絹子が、「戦争未亡人」となったために家のくびきから解かれ、自由を獲得したことが描かれている。これと対比されるのが、修一の妻(修一の両親と同居している。)、すなわち、日本的な家における「妻」「嫁」という地位のために束縛されている菊子である。だが、その菊子も「自由」だというのである。これは何を意味するか。
深読みかもしれないが、「戦争未亡人」は、戦争に敗れ独立と自由を失った日本の象徴であり、菊子=「庇護者の下での自由」というテーマは、日米安保体制下の日本の暗喩であるように思われる。ちなみに、この作品が刊行された昭和29年は、日本が主権を回復して間もないころであり、沖縄はまだアメリカの施政下にあった。
「庇護者の下」でも「自由」ではありうるが、失った「独立」は一体どうすれば回復できるのか?これが戦後日本の最大の課題だというのが、この小説の隠れたテーマであると思う。