就職協定
「1972年 文部大臣・労働大臣、経済四団体による中央雇用対策協議会が5月1日求人活動、7月1日採用選考開始の就職協定を11月に決議し、就職協定が復活。」
私が大学生のころは、まだ「就職協定」があり、7月1日は、表向きは「会社訪問解禁日」とされていたものの、実際には、「内々定解禁日」または「内々定者の召集日」となっていた。
就活生(「就活」という言葉はなかったが)は、7月1日には、内々定をもらいたいと思う会社や、既に内々定をもらっている会社に、朝から夕方まで拘束されるというケースが多かった。企業側にとってみても、この日に来てくれる学生は就職の意志が固いとわかるので、内心では「就職協定」の存在をありがたがっていたかもしれない。
だが、就活生にとってみれば、7月1日を境に、他の会社(「滑り止め」を含む)を回る機会が事実上失われてしまうので、恨めしい制度でもあったと思う。
「1972年 文部大臣・労働大臣、経済四団体による中央雇用対策協議会が5月1日求人活動、7月1日採用選考開始の就職協定を11月に決議し、就職協定が復活。」
私が大学生のころは、まだ「就職協定」があり、7月1日は、表向きは「会社訪問解禁日」とされていたものの、実際には、「内々定解禁日」または「内々定者の召集日」となっていた。
就活生(「就活」という言葉はなかったが)は、7月1日には、内々定をもらいたいと思う会社や、既に内々定をもらっている会社に、朝から夕方まで拘束されるというケースが多かった。企業側にとってみても、この日に来てくれる学生は就職の意志が固いとわかるので、内心では「就職協定」の存在をありがたがっていたかもしれない。
だが、就活生にとってみれば、7月1日を境に、他の会社(「滑り止め」を含む)を回る機会が事実上失われてしまうので、恨めしい制度でもあったと思う。