Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

規定の不備?

2007年08月31日 22時31分17秒 | Weblog
射殺巡査長事件 「退職金1200万円」に批判殺到(産経新聞)
 友野巡査長は死亡退職扱いになり、条例の規定で約1200万円の退職金が遺族に支払われることから、「退職金の受け取りについて」が「批判」に次いで多く、2割弱を占めた。ただ、「すでに遺族が被害者に退職金を渡す意向を示している」と伝えると大半は納得したという。

 退職金不支給の要件は条例で限定列挙されている。不利益処分なので当然のことである。それは、大まかにいうと、懲戒を受けた場合か、刑事処分が確定した場合に限られるということらしい。法律による行政の原則から、都公安委員長は、「超法規的措置」として退職金不支給処分をすることはできない。これもちょっと動かせないことである。
 どうすればよかったのかというと、バーディーとしては、そもそも条例で「(懲戒や刑事罰を受けないまでも)著しい非違行為を行った場合」を付加しておくべきだったと思う。これとて不確定概念という批判を受けるかもしれないが、現状だと不備があるのは間違いない。
 あと、「自殺した警官の両親は、退職金を被害者に渡す」としているが、これで納得してはいけない。本来加害者から被害者(の遺族)に自費で支払われるべき賠償金を、税金でまかなっているのと同じだからだ。
 ・・・どうすればいいのだろうか?
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権力機構の数値目標

2007年08月31日 13時55分23秒 | Weblog
 志布志事件北方事件などの冤罪事件が多発している原因として、某新聞記者は、
「警察内部での出世主義=数値目標至上主義の蔓延」
を挙げる。週刊誌等によれば、志布志事件では、県警本部長らが出世のために選挙違反摘発件数を稼ごうとしたことが指摘されている。
 重大犯罪だけではない。一般市民にもこうした警察の数値目標至上主義の弊害は及んでいる。例えば、
アキバでの警察の持ち物チェックは管轄外の文京区の本富士署が検挙率アップのために行ったものもあったらしい
 「カンタンなのは、最も近い繁華街に出向いて検挙することです。本富士署では、管轄外であるはずの上野公園や秋葉原駅周辺で、片っ端から職務質問をし、『最近は物騒だから』と所持品を出させる。その中にカッターナイフやツールナイフ、ハサミでもあったら、銃刀法、ないし軽犯罪法違反で逮捕して、即座にパトカー出動を要請して署に連行するといいます。また、公園周辺に車を停めて休んでいる人物に職務質問し、たまたま、トランクにゴルフのクラブを入れっ放しにしていただけで、『いつゴルフに行ったんだ』と畳みかけ、満足に答えられないと“凶器の隠匿”で逮捕連行してくる。とにかく検挙率アップのためには手段を選ばないのでしょう。微罪でもなんでも逮捕してくると、地域課長に、『よくやった』とほめられるのですから」
 ハサミ一丁、ゴルフクラブ一本を所持していただけで、写真、指紋などを取られ、警察のコンピューターに犯罪者登録されてしまうのである。これは、治安回復というよりも、警察官による“犯罪捏造”といってしまってもよいだろう。


 いまどき、小学生でも筆箱の中にカッターナイフを入れているし、うちのボス弁も車の中にゴルフクラブを入れている可能性が高い。でも、それだけでしょっぴかれる。それが点数を稼いで出世するためのもっとも簡単な方法だからだ。
 ・・・やはり、この辺で暴走を止める必要があるのでは?
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インランド・エンパイアを観た

2007年08月30日 23時09分26秒 | Weblog
 ボツネタに触発されインランド・エンパイアを観る。とにかく訳が分からない。ひょっとすると、バーディーが観た映画の中では、「ざくろの色」についで気持ちの悪い映画かもしれない。
 「3時間の悪夢」というキャッチ・コピーがあるようで、人間はいかに意味のわからない世界によって不安に陥れられるかを痛感させられる。
 ただ、ちょっと精神衛生上いいとは思えないので、心にゆとりのある方だけごらんになることを勧める。
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大阪と代々木

2007年08月30日 17時06分40秒 | Weblog
 ゲンダイの記事によると、大阪で開催されている世界陸上のチケットが余り売れていないという。何しろ、ウィークデーで10%前後というからガラガラ状態である。
 前回の世界陸上が開かれたのは確か代々木競技場だったと思うが、今やここはマッスルミュージカルの本拠地となっている。時代も変わったものである。
 さて、平日の昼間に訪れると、ここはほぼ95%の客入り。夏休みということもあって、子供づれでにぎわっている。
 演目は、かつての「筋肉番付」を彷彿とさせる跳び箱などのほか、サーカス的なものが多く、サーカスマニアのバーディーを熱狂させる。バーディーは小さいころから母親に
「言うこときかないとサーカス小屋に売り飛ばすわよ」
と脅されて育った。だが、サーカスというものに惧れと憧れを抱いていたのである。
 ・・・それにしても、この炎天下、会場まで行って陸上を見る大阪人が多いとは思えない。こんな時期にどうして開催するのだろう。
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後白河院

2007年08月30日 10時39分24秒 | Weblog
 新潮文庫が「人生で二度読む本」をシリーズ化して出版し始めた。早速バーディーも買い込んで読み始めている。
 1冊目が井上靖の「後白河院」。(征夷大将軍をもらえなかったために)源頼朝から「日本一の大天狗」と罵倒された後白河院の人間性を、「4人の第三者」が語るというある種の実験小説である。
 第1部は平信範、第2部は建春門院中納言、第3部は吉田経房、第4部は九条兼実によってそれぞれ語られる。後白河院本人は登場しない。
 この構成は、ロレンス・ダレルアレクサンドリア・カルテットに似ている。描き出す対象が、ある地域・時代からある人物に置き換わっただけともいえる。ひょっとしたら井上靖さんもダレルからヒントを得たのかもしれない。
 さて、バーディー個人は、第2部の、服装等についての旧自然主義的な、詳細かつ長ったらしい描写にバカウケした。平安時代の宮廷の女性のパロディーともいえるが、これがないと第3部・第4部が効いてこない。やはり、「神は細部に宿る」のである。
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頭脳労働者の過剰(その2)

2007年08月29日 08時05分56秒 | Weblog
逆学歴詐称:熊本市でも18人 全員を停職2カ月に(毎日新聞)
 熊本市は27日、大学や短大を卒業していることを隠し、受験資格が「高校卒まで」と限られていた業務職などに採用された職員が18人いたと発表した。全員を停職2カ月の懲戒処分にする。

 こないだ「頭脳労働者の過剰」で触れたとおり、日本には頭脳労働者(の卵)が多すぎて少ない職を争う状況が続いている。上記事件も、要は「幹部候補生」の枠が小さいのに大卒者ばかりのため、行き場を失った大卒者が学歴を逆詐称して「業務職」に応募したというものであろう。
 バーディーの高校の同期にも、国家公務員Ⅰ種試験に合格しながら、内定が得られないために県庁に就職した人が2人いた。いずれも一橋大の出身であり、県庁に入るのは異例のことだった。
 アメリカとは異なり、学歴はそろそろ無用のものになりつつある。これがいいことなのかどうなのか、よく分からない。
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高齢化社会と証券市場

2007年08月28日 13時12分49秒 | Weblog
 昨日、老人のたむろする昼間のスポクラで暗澹たる思いに駆られると同時に、アリゾナに住んでいたころの経験を思い出した。
 Green Valley(グリーン・バレー)は、知る人ぞ知るリッチな老人たちの住む砂漠の都市である。バーディーは、ここである世論調査をしたことがあった。住人はみな億万長者で、ニューヨークやロサンゼルスで成功を遂げたあとリタイヤした人が多い。
 彼らの生活の原資は、主に預金と株式運用益である。要するに年金ではない。そもそも、アメリカ人は政府に対する不信の念が強いから、日本のように年金に頼って、老後を安心して暮らしたいという発想が希薄である。そこで、若いうちから老後のことを考えて、計画的に貯蓄をしたり株式を購入したりしているのである。 
 仮に、グリーン・バレーが見本であるとすると、日本も、証券市場を個人投資家にとってもっと利用し易いものにする必要があるかもしれない。
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司法修習生の就職難(完)-予定

2007年08月27日 09時41分58秒 | Weblog
司法修習生、就職先未定が100人超す 日弁連の調査(アサヒ・ドットコム)
 来月から年末にかけて修習を終える司法修習生約2500人のうち、現時点で少なくとも100人以上の就職先が決まっていないとみられることが日本弁護士連合会の調査で分かった。例年なら行き先が固まっている時期だが、今年は、司法制度改革で司法試験合格者が増えている影響で、当初から「就職難」が予想されていた。調査結果は懸念を裏付けた形だ。

 この「現時点」というのが曲者である。アンケート調査の用紙が配布されたのが3月下旬だったと思う。その上、回答は「任意」ということだったので、全員が回答したわけではない。おそらく、就職先を完璧に把握しているのは研修所だけである。なぜなら、後期修習開始時に、「意向届」(?だったかな)なる書類で進路の申告をさせたからである。
 実は、就職先については、修習生同士でも積極的に話題にすることはない。余りに深刻だからである。ただ、バーディーのクラスについていえば、任官拒否(されそうな人)を含め5人くらいが就職先が未定の状況であり、これが20クラスで約100人となる計算である。
 これでも、当初の予想よりかなり少ないのではないかと思う。
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横溝正史作品における「人間」

2007年08月26日 13時44分14秒 | Weblog
 「獄門島」をほぼ読了。宮古島のホテルで見た「悪霊島」に触発され、金田一耕助ファイルを渉猟する。横溝正史作品に特徴的なのは、ストーリー展開のテンポのよさと、その裏腹ともいうべき人物描写の荒っぽさだと思われる。ストーリー展開の見事さについてはいまさら言うまでもない。人物描写の荒っぽさは、むしろその代償ともいえる。細かく「人間」を描いていたら、読者は肝心のストーリーに集中できない。というより、忍耐力のない読者だと、本をほっぽり出してしまいかねない。
 さて、人物描写について、横溝氏は、殺害される三姉妹を「ゴーゴンの三姉妹」といってみたり、彼女らを誘惑する美青年を「即興詩人のアントニオ」になぞらえたりするだけで、実にアッサリとしたものである。この人物描写に対する淡白さは、トーマス・マンの対極にあるといってよいだろう。
 もう一つ、人物描写の荒っぽさの持つメリットがある。それは、映画化の際、キャスティングに深刻に悩む必要がないということである。余りに詳細な人物描写のなされた作品だと、配役の難から映画化が頓挫することもある。例えば、以前に述べた三島由紀夫の「午後の曳航」は、この問題のため長らく映画化されなかったようである。
 おまけに、バーディーは、横溝氏の出生地である神戸市中央区東川崎町で働いていた時期がある。偶然といえば偶然であるが。
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村上春樹と筒井康隆

2007年08月25日 21時54分56秒 | Weblog
 TIME8月20日号に
Novelist Haruki Murakami is Home at Last
と題された記事があった。彼はいまや日本の文壇を象徴する大作家と海外には認識されているらしい。だが、彼の作品について、内容に深く踏み込んだ記事は、近年見たことがない。
 バーディーも学生時代、「ノルウエイの森」を斜め読みしたことがあった。そのときの感想は、
「登場人物に生気がない」
ということであった。吉本ばなな作品の登場人物もそうかもしれないが、ばなな作品の場合、少女漫画のキャラクター的ではあるが、それなりに「(うっすらと)血の通った人間」という感じがする。だが、春樹作品の場合、登場人物は完全に「人形」である。
 私にとって、村上春樹はバブルの象徴でもある。「ノルウエイの森」は、それまで文学におよそ無関心だった大学生が、ファッションの一部として買い求める商品となった。反面、春樹作品はハードコアの文学青年から忌避される存在となった。
 その後、村上氏は、バブルの崩壊に平仄を合わせるように、海外で生活を送るようになった。もともとアメリカ文学を専攻していた(ちなみに、バブル当時は英文科卒でも就職できた!)彼にとって、この時期が最も幸福だったのかもしれない。そのうちサリンジャーなどの翻訳が彼の本業となり、彼の翻訳本は、バブル時代を懐かしむ一部の層によく売れたようである。
 58歳になったその村上氏が、ついに日本に帰ってきた。バブルを克服した日本は、ようやくブルジョワ作家の住める国になったのである。
 ところで、バーディーは、筒井康隆氏こそが日本の文壇を代表する(というよりも、もはや存亡の危機にある日本の文壇を支える)大作家だと確信している。彼の仕事(断筆時代も含めて)は、常に新しい。登場人物は欲望の塊であると同時に常に愚かであり、誇張されてはいても、血が通っている。
 筒井氏は73歳。私の父とそんなに年も違わない。長生きして欲しいものである。
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