Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

同時多発テロと「白鯨」

2006年03月29日 07時58分09秒 | Weblog
「大接戦をきわめるアメリカ大統領選挙」
「アフガニスタンにて血みどろの死闘」
「神によって仕組まれた壮大なる出し物」

ときけば、2001年9月11日に起こった同時多発テロ事件を思い出すのではないか。ところが、上の3つの引用は、1851年に発表されたメルヴィルの「白鯨」の第一章からのものなのである(メルヴィルと白鯨については「秘島めぐり(その5)」で紹介した)。しかも、作者のメルヴィルは、世界貿易センタービルから数ブロックと離れていない、パールストリート(バッテリー・パークの隣)で生まれているのである!
 この奇妙な一致については、巽孝之先生を含む多くのアメリカ文学者によって指摘されているらしく、その辺の事情は、「『白鯨』アメリカン・スタディーズ」(みすず書房)に詳しい。
 恥ずかしながら、「白鯨」ときけば、バーディーは、小学生時代に見たテレビアニメの「ムーの白鯨」の方を先に思い浮かべてしまう世代である。とはいえ、メルヴィルの「白鯨」については、大学時代に読んだ記憶があり、かなり退屈な作品と思っていたのだが、アメリカ文学者の解説を読むと、あまりの深さに恥じ入ってしまうくらいの名作なのである。今では、文句なしに「世界の名作10大文学」の一つに入るだろうと確信している。
 どれくらい深いかというと、この小説を読む前に、まず旧約聖書を読まなければ内容を十分には理解できないくらいなのである。例えば、白鯨に片足を食いちぎられ、復讐の鬼と化した「エイハブ船長」は、旧約聖書においてエホバの神を捨てたイスラエルの王アハブの英語読みなのである。このようなプロットはほかにもたくさんある(これらをわかりやすく指摘したブログを発見)。
 うーむ、旧約聖書を再読してみるとするか。
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サフィシエンシー・エコノミー

2006年03月28日 07時46分40秒 | Weblog
 昨日、「法務博士」の学位を得る。修了証書が予想よりも大きく立派なのに驚く。学位記授与式には、来賓としてタイのチュラロンコーン大学の学長がお見えになり、祝辞を述べられた。ご存知のように、チュラロンコーン大学は、タイの最高学府である。
 その祝辞の中で引用されたのが、プミポン国王(写真)の提唱する「サフィシエンシー・エコノミー(足るを知る経済)」である。(亜)熱帯の国タイでは、農作物・魚類がふんだんにとれることから、いわゆる絶対的貧困は存在しない。欲さえ出さなければ完全に自給自足できるのである。
「開発は地理的・社会的条件に合わせて行われなければならないということです。この開発には、現代技術と知識の適切な発展が求められるのみではなく、持続性の原則と天然資源の開発に基づいて行われなければなりません。」
環境保護や持続可能な経済発展のためには、むしろ、経済成長のスピードを抑制することが望ましい。 
 このような南国の思想に抗うのは、北方民族のアングロサクソン人たちである。彼らは決して「足る」ことを知らない。コロンビア大の級友たちも、多くはめいいっぱい借金して、しかも、倹約生活を送るでもなく、結構ぜいたくな暮らしをしている。これではアメリカの個人消費が好調に持続するのも当然である。こんなライフスタイルが可能なのは、アメリカが資源に富む国であり、何よりも軍事力を背景に世界経済を支配しているからである。
 資源も軍事力も乏しい日本は、アメリカの真似をしてはならないと思うのだが、現実はその逆に向かっている。バブルの教訓にもかかわらず。
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ズバリ言うわよ!

2006年03月27日 09時23分40秒 | Weblog
 今日は大学院の学位授与式。はれて「法務博士」となる(予定)。
 さて、ハワイ島のサウス・ポイントの断崖絶壁がかつての火曜サスペンス劇場(火サス)のロケに格好の場所であると書いた。そこでたまたま火サス終了(平成17年9月)の理由を調べたら、裏番組の「ズバリ言うわよ!」に視聴率で負けたことが最大の原因とされていることが判明。
 確かに、2時間のストーリーをじっくり見ることは、忙しい人間にとっては難しい。バーディーも、サラリーマン時代にじっくりとテレビドラマを見た記憶はほとんどないのである。ストーリー自体もマンネリ化が著しい。
 …それにしても、細木先生は、サスペンスなんかよりも、ある意味もっと怖いかもしれない。ヴィジュアル的にも、番組の内容も…。
 
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秘島めぐり(その6)

2006年03月26日 09時28分48秒 | Weblog
 ハワイ諸島最大の島、ハワイ島は、またの名を「ビッグ・アイランド」ともいう。日本からも直行便が出るようになって、もはや秘島とはいいがたいが、魅力たっぷりの島である。ダイビングやサーフィン、釣りなどの海のレジャーはいうまでもないが、マウナ・ロアとマウナ・ケアという4000m級の山、かの有名なキラウエア火山、合衆国最南端のサウス・ポイント、カメハメハ大王の像、世界最大の反射式天体望遠鏡、深層水やコナ・コーヒー、それに、”ビーチ・ワールド”の小エビも忘れてはならない。要するに、ホノルルなどとはケタ違いに変化に富んでいるのである。
 もっとも、その分、航空運賃はホノルル便より高いし、島が広いためレンタカーが必要になるのは、バジェット派にとってはつらいところ。レンタカー代だけで一週間で5~6万円かかった。
 さて、バーディーはハワイ島で、何度もデジャヴュ(既視の感覚)を味わった。長らく追い求めていたものをやっと見つけたという感覚でもある。たとえば、溶岩だらけの島の光景は地球外の惑星を想起させるし、一年中晴天に恵まれるコハラ・コーストは、幼いころ家族旅行で行った鹿児島の吹上浜によく似ている(ただし記憶の中の光景)。サウス・ポイントへと続く道は、これまた幼い頃に行った宮崎県の都井岬や卒業旅行で行った北海道の納沙布岬にそっくりである(馬が居るところまで!)。そして、最終地点の断崖絶壁は、かつて「火曜サスペンス劇場」で犯人が被害者を突き落とすロケ地に何度も使われていそうな場所である。前年に爆発してまだ赤い溶岩の残るキラウエア火山に至っては、原始時代の記憶すら蘇りそうである。おまけに、宿泊したのはその名も偉大な「キング・カメハメハ・ホテル」。これも幼い頃よく歌ったあの曲を思い出させるではないか!
 ……てなわけで、ハワイ島は私の第二の故郷となった。
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秘島めぐり(その5)

2006年03月25日 07時48分04秒 | Weblog
 マンハッタン島…これが秘島かいな、とも思うのだが、その血塗られた歴史を知る人は少ないだろう。今でも犯罪の絶えないこの島を、私は個人的に「秘島」だと思っている。
 ”昔ニューヨークはニューアムステルダムといいました”で始まる曲があった(曲名は失念)。1626年、オランダの西インド会社代表が、インディアンから60ギルダー(石くれ60個分、24ドル相当)で島を購入したのである。その後オランダはイギリスと植民地を巡って争うこととなった。ロウワー・マンハッタンにはイギリス軍の攻撃に備えて堡塁が築かれ、「ウォール街」と呼ばれた。
 1664年、オランダに勝ったイギリスは、兵を派遣したヨーク公の名から街の名前をニューヨークと改めたが、その9年後にはふたたびオランダ軍が統治、ニュー・オレンジと街の名前を変える。ところが翌年、イギリス軍が再度奪回し、町の名はニューヨークに戻った。
 イギリス・オランダ間の戦争で多くの血が流されている。その様子はメルヴィルの「白鯨」の冒頭にも出てくる。因みに、メルヴィルは、「マンハットー」という言葉で都会人とその生活ぶりをバカにしている。海と自然を愛する彼は、故郷マンハッタンが嫌いだったのである。
 その後、イギリスの統治下でも長らく平和は訪れなかった。多くのギャングが割拠し、流血の絶えない時代が続いたこともある。その様子は、「ギャング・オブ・ニューヨーク」に詳しい。見るのがいやになる残虐なシーンもある。
 …そして9・11….いつになったら平和な島に戻るのだろうか?
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Biosphere2(その5)

2006年03月24日 08時07分13秒 | Weblog
 わが学び舎であるバイオスフィア2は、コロンビア大学から見放されて以来苦境にある。ところが、バイオスフィア2での研究を応用したNASAの技術を活かして、このたび、”ビーチワールド”が発売された(写真はグローバス社のウェブサイトより)。

 ビーチワールドは、地球のライフサイクルを再現したガラスの球体である。光合成と食物連鎖とをガラスの球体の中で繰り返すことにより、完全閉鎖空間での生物圏を実現している。ビーチワールドは、将来の宇宙探査やスペースコロニーで必要とされる「人類や植物、昆虫などの生命体がいきてゆくことの出来る人口生態系」の実現を目的として、Biosphere2の研究者によって開発され、NASAスペースシャトルとロシアのミール宇宙ステーション内での研究で利用されたものである。ビーチワールドには、ハワイ島にのみ生息する小エビ、藻、バクテリアなどが生息しており、彼らは互いの生命を維持しあっているので、餌を与えたり、水を換えたりする必要はない。光を当てるだけで十分である。

「この小さいガラスの球体は、あなただけの小さな地球なのです」

 …残念ながら、品切れ中!
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秘島めぐり(その4)

2006年03月23日 07時18分51秒 | Weblog
 今日は通訳アルバイトの最終日。
 さて、昨日、トラックバックに気付いたのだが、そういえば「秘島めぐり(その2)」のところで、テンペストの中の有名なくだりを引用し忘れていたのを思い出した。

Like the baseless fabric of this vision,
The cloud-capped towers, the gorgeous palaces,
The solemn temples, the great globe itself,
Yea, all which it inherit, shall dissolve,
And like this insubstantial pageant faded,
Leave not a rack behind. We are such stuff
As dreams are made on; and our little life
Is rounded with a sleep.

大地に礎を持たぬこの幻の世界と同様、
雲を貫く摩天楼も、豪奢を誇る宮殿も、
荘厳極まる大寺院も、巨大な地球そのものも、
そう、この地上にある一切のものは、結局は溶け去って、
いま失せた幻影と同様、
あとには一片の浮雲も残しはしない。われわれ人間は
夢と同じ糸で織り成されている。そして、はかない一生の
仕上げをするものは、眠りなのだ。


 この部分が最も有名であろう。シェイクスピア明言集などには必ず入っているはずである。
 さて、ほかにも、「(船が難破して)骨は海の珊瑚となる…」という表現もあった。そういえば、ビーチに散乱するサンゴの破片は、人骨に似ている。シェイクスピアの想像力には、今更ながら脱帽するばかりである。

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バッハ狂時代(その2)

2006年03月22日 08時12分22秒 | Weblog
 バッハに傾倒することは、バーディーにとっては、グレン・グールドに傾倒することとイコールである。というわけで私は、グールド全集(CD)の大半を持っているのである。
 コンサートをやらず、練習もほとんどせず、夜も余り寝ないこの変人について知るには、自著もたくさんあるが、ミシェル・シュネデールの「グレン・グールド孤独のアリア」を読むのが一番良いと思う。
 …ところで私は、ニューヨークに行くときに必ず訪れることにしている場所がある。それは、ジュリアード音楽院である(リンカーン・センターの敷地内にある)。そこでは、未来の世界的芸術家(音楽家、俳優、ダンサーなど)の卵、要するに才能ある子供たちが、日夜レッスンに励んでいるのを垣間見ることができるのである。その光景をみることによって、自分のだらけた日常がリセットされ、改めて「オレもがんばらなきゃ」という気分になるのだ。
 グールドも若い頃、ジュリアード音楽院で研鑽に励んだ時期があった。ところが、彼は、この音楽院を忌み嫌っていたらしい。これは意外な事実である。ふーむ、今日はその理由について調べてみるとするか。

「言葉が尽きたところから、音楽がはじまる」(フランツ・リスト)

                                             (つづく)
 
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ロースクールはどこへ行く(その3)

2006年03月21日 20時58分07秒 | Weblog
 …このように見てくると、ロースクールの将来には明るい材料がないかのようにも思えてくる。ところが、必ずしもそうではない(と思う)。私は、現在2年次に在学中のある勉強会に注目している。それは、30代後半(社会人出身)、30代前半(現行司法試験からの転向)、20代半ば(法学部卒)の3人から成る小さな勉強会である。みな精神的に「大人」であり、信頼関係が構築されているのがミソ。そして、3人で論文式試験の問題を検討するのである。
 3人というと人数が少なすぎるようにも思えるが、これ以上になると集まるのにときとして支障が生じたり、議論が散漫になったり、ひどい場合には勉強が遊びに転じたりする可能性がある。少なくとも、実情を見る限り、10人前後で構成される勉強会だからといって、しっかり勉強をやっているわけではない(会社の会議でもそうであるが)。「3人寄れば文殊の知恵」、合議体の裁判所も3人の裁判官で構成されるではないか。
 このような勉強会方式は、実は、ロースクールの外部評価委員でもあった古川貞二郎元官房副長官が提唱されたものである。古川氏は、大学4年生のころ国家公務員試験の受験に失敗し、いわば滑り止めで受験した長崎県庁に入庁した。ところが、そこで法令審査を担当する部署に配属されたのが、人生の大きな転機となった。そこにおいて古川氏が同僚との活発な討論を通じてえたものは、生涯にわたる糧になったという。その後古川氏は当時の厚生省に入省し、事務次官を経て、内閣官房副長官という、官僚としてトップの地位に就いたのである。ちなみに、古川氏は、内閣官房副長官時代にも、「他者の知恵」を借りるべく、閣議等に用いる資料を奥さんに読んでもらい、問題点を指摘してもらっていたという。
 …私見だが、長年司法試験の勉強をやっている人の中には、他者との接触を絶っている(あるいは絶たれている)ためか、往々にしてコミュニケーション能力や文章表現力が衰えている人がいる。しかも、そのことを他人から指摘されても、素直に聞き入れようとしない人が多いように見受けられる。こうした状況のもとで、10年、あるいは20年という歳月を費やしてしまうのは、本人にとっても社会にとっても不幸なことというほかない。他人の指摘、特に批判的なそれは、宝の山である(「良薬口に苦し」)。所詮人間は一人では生きてゆけないということを、しっかりと再認識すべきであると思う。
 このような観点からすれば、ロースクールは、他者との討論を通じて、コミュニケーション能力や文章表現力を高めるための、格好の場所を提供してくれるのではないか、と期待されるのである。
 
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ロースクールはどこへ行く(その2)

2006年03月19日 05時43分06秒 | Weblog
(写真はアメリカの最高裁判事、ホームズ)
 さて、今度は大学側について。以下も同じく仮想の事例である。

(事例その1~X教授)
「Aくんはどう思うかね」
「それではBさんは?」
「……はい、時間がきました。来週はケースブック○○法のp50からp100までを予習してくるように」
⇒ひたすら学生に議論させるだけで、自分の見解は言わず、マイクをふるだけ。NHKの討論番組の司会者のようである。付加価値の低い仕事といわざるを得ない。実は、このタイプの学者はアメリカにも多い。当然、学生から厳しく評価される。

(事例その2~Y教授)
「はい、今日は小テスト。採点が面倒になるから、余計なことは書かないで」
「今日の講義の内容は、教科書を読めば分かること。もし質問等があればメールでよろしく」
「私は最近論文執筆で忙しい。レジュメなんか作ってる暇はないのだ」
⇒研究で忙しいことを常に強調する。もともと研究者なので、いまさら教育者の役割を担わされるのは不本意な様子。

(事例その3~Z教授、実務家)
「うまく理屈では説明できないけど、その質問に対しては、実務の勘によればこういう答えになるね」

 …あえてコメントはしない。
 人を育てるのには100年かかるという。私はそこまで悲観的ではないものの、最初の10年は混乱期、次の10年でようやく落ち着き、それから10年くらいたってようやく従来よりも質の高い法曹が誕生するのではないかと期待している。要するに、一世代待たなければならないということですね。
  
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