Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

反社認定(13)

2022年06月30日 06時30分46秒 | Weblog
日本人の努力はなぜ報われないのか? 「職務に忠実で勤勉」が日本低迷の原因だった〈dot.〉
 「日本人の組織人としての勤勉なふるまいは、武士の信条である「主君に対する忠義を尽くす」ことからすべてが始まっていると、私は考えています。(中略)
 出世街道を順調に歩んでいる人ほど、「組織を守る」という規範を踏み外さないことが会社員としての大前提になっていることが多く、佐川氏と同じような行動を取る人がいたとしても不思議ではありません。実際、似たようなことは企業の中でも起こっています。
 忘れてはならないのは、置かれている前提を問い直さず、どうやるかしか考えない姿勢は歴史由来であり、ある種の社会規範としてあまりにも深く根付いているために、誰もがそのことがもたらす意味の大きさに無自覚である、という点です。まさか自分が思考停止に陥っているなどとは考えたこともない、ということが往々にして起こりがちなのです。


 「当たらずとも遠からず」といった感のある指摘。
 補足すると、「主君に対する忠義を尽くす」というのは、武家(武士の「イエ」)のエートスであり、”原イエ”(武祖神)に淵源を有するものというべきだろう。
 いずれにせよ、「帰属集団との関係においては『善』なる行為」が、当該集団が属する社会との関係においては犯罪となるというのであれば、これは「反社会的集団」の定義にほぼ等しい。
 やはり、岡口判事の認定は正しいという気がする。
 しかも、この種の集団が、この国には、政府関係機関を含め、無数に存在するのだ。
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家長バイアス

2022年06月29日 06時30分13秒 | Weblog
「離婚男性の自殺率が異常に高い」なぜ日本の男性は妻から捨てられると死を選んでしまうのか 「離婚と自殺」に強い相関がみられるのは日本の男性だけ
 「ここから分かるのは、日本の男性は、欧米の男性と比べて、離婚と自殺の相関が異常に高すぎるということです。日本の男性に対して、よく「家族のために仕事をする大黒柱バイアスがある」として、それを「男らしさの呪縛」などといって非難する論説も見かけます。「男らしさから降りればいい」という人もいますが、「家族のために仕事をする大黒柱」であることを男らしさのひとつととらえるなら、男らしさから降りてしまうことは働かないということでもあり、それは離婚で家族を失うことにもつながりかねません。
 つまり「男らしさから降りる」ということは「生きることをやめる」ということと等しいことかもしれず、安易に言うべき言葉ではないでしょう。
 家族の大黒柱であることに生きがいを感じ、頑張る姿は別に否定されるものではありません。問題は、「金を稼いで家族を養うことだけが自分の社会的役割である」という歪んだ達成観念に陥ることです。言い換えれば「稼がなければ捨てられる」という強迫観念です。自分では「俺が家族を支えている」と認識しているかもしれませんが、実は「家族によって支えられているのはお父さん自身のほうだった」になっていないでしょうか。


 ややポイントを外した記述のように感じられる。
 欧米との違いの理由は、やはり、「イエ」(男性である頂点(家長、戸主)をもつ事業体)をモデルとした集団(典型的にはカイシャ)を単位として社会が構成されてきたかどうか、という点に求められるべきだろう。
 ゆえに、「大黒柱バイアス」ではなく、「家長バイアス」と言うべきところだろう。
 これを「男らしさ」と言ってしまうと、おそらく間違いになる。
 「男らしさ」は、欧米でも当然求められる徳の一つだからである。
 ところで、離婚した男性の自殺率については、自営業者や会社経営陣と、通常のサラリーマンとに分けて分析する必要があると思う。
 私の推測では、前者より後者の方が自殺率は高いと思う。 
 なぜなら、前者の場合、離婚してもなお職業生活では「家長」(事業体の頂点)であり得るのに対し、後者は職業生活においても「家長」ではないからである。
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子どもの感性

2022年06月28日 06時30分55秒 | Weblog
忍者たちが新国立劇場 中劇場を駆け回る、「新版・NINJA」東京でスタート
 「2019年に新国立劇場 小劇場ほかにて上演され、好評を博した森山開次によるダンス作品。森山が演出・振付・アートディレクション、川瀬浩介が音楽を手がけ、忍者をテーマに多彩なダンスを繰り広げる。

 ダンスと和服、リボン、座布団、鏡などといった組み合わせが新鮮な印象を与え、大人でも楽しめる。
 ただ、「ナメクジ」のシーンで、ちょっとしたアクシデント的なことが起きた。
 女性のダンサーが、ナメクジをイメージしてくねくねとしたダンスを続けているうちに、小さな子どもが怖がって(?)泣き出し、2、3組の親子が会場から退散したのである。
 小さな子どもにはありがちのことだが、「『初めて見る不気味なもの』に対して本能的に恐怖感を抱き、拒絶する」という防衛行動が作動したようである。
 もしかすると、東京の子どものことなので、ナメクジを見た経験がなかったのかもしれない。
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両極性の活用

2022年06月27日 06時30分49秒 | Weblog
トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団 2022年日本公演
 (トークショーでのトーリー・ドブリン(芸術監督)の発言)
『白鳥の湖』は、1950年代のロイヤルバレエ団の実際の振付で、『パキータ』は、ミハイロフスキーバレエの実際の振付です。・・・これを、実際に踊っているうちに、例えば、『パキータ』ではダンサーがドミノ倒しに倒れるような失敗が起こり、これをパロディにすることを思いついたのです。初めから意図的にパロディにしようという発想はありません。
男性がトゥー・シューズを履いてはいけないなどというルールは存在しません。・・・『バレリーナ』とは、そのバレエ団の”プリンシパル”という意味に過ぎません。
トロカデロの『パ・ドゥ・カトル』を観た後では、皆さん、『白鳥の湖』を観るたびにトロカデロのことを思い出さずにはいられないといいます。・・・クラシック・バレエを観ると、『どうして真剣に踊っているのだろう?』という疑問すら生じてくるでしょう。

 なるほど。
 軸となる振付はそのままに、踊り手を女性から男性に変えてポワントを履かせる、あるいは、正規のヴァ―ジョンではなく失敗したヴァージョンを敢えてそのまま演じる、などというやり方でパロディをつくっているというのだ。
 これは、ある意味では、「両極性」の活用ということが出来るだろう。
 こういう風にして、現実(ないし正規のヴァージョン)を相対化し、これと距離をとる、更には批判することが可能となるわけだ。
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代替公演(2)

2022年06月26日 06時30分43秒 | Weblog
東京バレエ団「ドン・キホーテ」配役変更のお知ら
 「東京バレエ団「ドン・キホーテ」6月24日(金)19時の公演にキトリ役で出演を予定していた沖香菜子は妊娠のため出演を見合わせることになりました。代わりまして涌田美紀が同役を務めます。
 涌田美紀はウラジーミル・ワシーリエフ振付の子どものためのバレエ「ドン・キホーテの夢」のキトリ役を何度も踊った経験があり、今回の出演についてワシーリエフ自身が「彼女が踊るべきだ」と評価し、認めています。


 この公演は、実は、ロイヤルバレエ団の公演が中止となったことを受けたもので、いわば「代替公演」である。
 キャストの変更もあるが、そこはさすがに層の厚い東バのことで、キトリ役に困ることはなかった。
 バジル役についても、あと少なくとも3人くらいは出来る人がいるようだ。
 個人的に気になるのは、振付家のウラジーミル・ワシーリエフはロシア在住のはずなので、どうやって振付指導を行ったのかということである。
 来日は出来そうにないし、リモートでの指導も、経済制裁に触れる可能性がありやしないかと思うわけである。
 もっとも、「ドン・キホーテ」は完全に東バのレパートリーになっているので、改めて指導する必要はなかったのかもしれない。
 
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エレンの「自由」(2)

2022年06月25日 06時30分41秒 | Weblog
進撃の巨人(34) 最終話 あの丘の木に向かって
(以下ネタバレご注意!)

エレン「オレは・・・地表のすべてをまっさらな大地にしたかった・・・
アルミン「・・・何で?
エレンの父「エレン・・・お前の名前だ・・・エレン・・・お前は自由だ・・・

 やはり、エレンの「自由」の理解が致命的に間違っているところが、根本的な問題だったようだ。
 「地表のすべてをまっさらな大地にしたい」という欲求は、「無機質に回帰する欲動」、つまり「死の欲動」と思われる。
 フロイト派の精神分析家によれば、これは誰しも持っている欲動なのだが、これを他者に向けて拡張しようとすると、とんでもないことになる。
 つまり、”拡大自殺”が生じかねないことになる(大統領の異常な愛情)。
 「自由の誤解」=「不健全な自我の拡張」+「死の欲動」によって、世界が滅亡の危機に陥るおそれがあることを、「進撃の巨人」の連載が終了した後になって、エレンではなく、実在の人物が証明しているのである。

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”変身譚”の終焉

2022年06月24日 06時30分55秒 | Weblog
進撃の巨人(34) 最終話「あの丘の木に向かって」
(以下ネタバレご注意!)

 アルミン「・・・聞いたよ。ミカサがもたらした選択の結果が・・・巨人の力を・・・この世から消し去ることになるって

 私は、日本のサブカルチャーは、長らく”変身譚”によって汚染されてきたとみている。
 ウルトラマン、仮面ライダーなどはその典型だし、ガンダム(モビルスーツ)やエヴァンゲリヲン(エヴァ)もその亜種だろう。
 少女マンガ・アニメの世界でも、古くはキューティー・ハニー、セーラームーンなどがやはり”変身譚”だった。
(時代劇だと、「水戸黄門」などもこの系譜に入るだろう。)
 この種の”変身譚”においては、主人公が日常の人格を離脱し、人間とは違うものに姿形を変え、「超越的な力」を使って英雄的な功績を挙げるというのが基本的なストーリーを構成していた。
 その反面、戦後日本のサブカルチャーにおいて、「凡人が地道に努力して功績を挙げるストーリー」は、(一部のスポ根ものなどを除き)およそ主流になることは出来なかった。
 その理由は、私見では、「超越的な力」(血筋、生来の才能、特殊なメカ、集団の行動など)に対する飽くなき崇拝、及びそれと裏腹を成すところの「人間嫌悪」にあったと思う。
 ”変身譚”を好む人たちは、おそらく「具体的な個人を超越した、何らかの権威に依存したい」というメンタリティーを持っていると思う。
 この悪しき伝統を、諌山先生(とミカサ)が打ち砕いてくれたのではないかと期待するわけだ。
 だいたい、主人公が「巨人」に変身するという設定からして素晴らしい。
 ホメロス以来、(少なくとも西欧において)「巨人」は枝分節集団のメタファーなので(洞窟からの脱出)、諫山先生は、戦後日本の”変身譚”が実は枝分節集団の形成を志向するものであることを暴露してくれたのである。
 つまり、モビルスーツだろうがエヴァだろうが、結局は権威の象徴であることを、分かりやすく示してくれた。
 そして、最終的に、ミカサという個人の決断によって、「巨人のいない世界」がもたらされたのである。
 もっとも、これが”変身譚”の終焉となるかどうかは、しばらく様子を見る必要があるだろう。
 何しろ、”変身譚”が大好きな人たちは、いまだにたくさんいるのだから。
 
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ノルマによる抑圧移譲

2022年06月23日 06時30分39秒 | Weblog
新年会で「症状」手渡す 男性社員の自殺「パワハラ原因」遺族が住宅建築会社提訴 青森地裁
 「訴えによると、男性は2011年に入社し、注文住宅の営業を担当。18年1月ごろ、上司の男性課長から携帯電話で「おまえバカか」といった内容のショートメールが複数回送られた。
 同月開かれた会社の新年会の余興として、営業成績をたたえた賞状形式の「症状」が交付され、誹謗(ひぼう)中傷を受けた。余興は課長が企画し、文面も考案したという。


 悪質なパワハラで、労災認定されるのは当然である。
 意外なのは、パワハラを行った課長が被告とされていないところだが、もちろん、それなりの理由があるのだろう。
 「症状」の文面を見て強く感じたのは、この会社でも、おそらく過酷な営業のノルマが課せられているのではないかということである。
 課長になるくらいなので、この加害者はそれなりのノルマを達成してきたのではないかと思うのだが、反面、相当なストレスをため込んでいたのではないかと疑われる。 
 そうでもない限り、このような、部下を精神的に傷つける「余興」を考案したりはしないだろう。
 つまり、これは、「ノルマ」による「抑圧移譲」ではないかと思うわけである。
 その典型例が、近年さんざん引用されている、スルガ銀行の事案である。

スルガ銀パワハラ地獄「ビルから飛び降りろ」「お前の家族皆殺し」 弁護士が「明確に違法」と断言
 「報告書では第三者委が実施した行員アンケートを紹介。営業成績が伸びないことについて、上司からどのような厳しい叱責を受けたことがあるか複数の行員の声が紹介されている。抜粋すると以下のとおりだ。
・数字ができないなら、ビルから飛び降りろといわれた
(中略)
・数字ができなかった場合に、ものを投げつけられ、パソコンにパンチされ、お前の家族皆殺しにしてやるといわれた。


 こういう管理署の言動は異常というほかなく、その背景には多大なストレスがあると見るのが自然である。
 こうしたストレスを作り出しているのは、やはり「ノルマ」だと思うのである。
 ・・・インパール作戦失敗後、牟田口廉也は、こう言っていたそうである。
 「・・・皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる……
 まるで無理なノルマを押し付けてくる営業の管理職のようである。
 合掌。 


 

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40万人組織

2022年06月22日 06時30分43秒 | Weblog
現金着服・自爆営業…日本郵政が「社員性悪説」コンプラ指導の非常識【内部マニュアル入手】
 「まず、のっけから強調されるのが「部内犯罪」の防止についてだ。
 確かに現金の着服や私的流用、郵便物の廃棄などは犯罪行為だ。ハンドブックでは、そうした不正は「1億円の減収になる」とご丁寧に図版付きで、経営にもたらすダメージを解説。「あなた(社員)にその1億円を補填できるわけもないから不正はやめましょう」と半ば脅しているようなものだ。

 「さらにページをめくると、犯罪を行った者は懲戒解雇で退職手当を失うことになると、やはり“脅して”いる。勤続38年の郵便局課長のモデルケースでは、2300万円もの退職金を失うという“悲劇の末路”が示されている。

 この”40万人組織”が大きな危機に瀕していることは、ふだんからこの組織を顧客としてみていればすぐ分かる。
 もともと国庫の一部として存在していたものが突如切り離されたわけであるが、国庫が抱える様々な問題が温存されたまま”民営化”されたというのが実情のようだ。
 しかも、この組織には、資金を運用して利益を上げるノウハウが存在しなかった。
 なぜなら、運用してきたのは、全く別の系統の組織だったからである。
 分かりやすく言うと、「預金業務専門」で数十年やってきた職員が、急遽「融資渉外業務」の部署に異動するようなものである。
 経営陣も宜しくない。
 政府の意向もあるのだろうが、経営陣には、「ノルマ」で社員を締め付けることと「遊休資産の売却とリストラによる収益確保」しか出来ないタイプの人材を持ってきたという印象を受ける。
 この種の人たちは、「1億円を弁償できますか?」、「悪いことをすると退職金がパーになりますよ」といった類の、”利益”でしか人間を動かすことは出来ないという固定観念にとらわれている。
 私見では、「銀行員が中小企業に天下りして、その企業をダメにする」という典型的なケースに似ており、このままでは危ない。
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振替公演

2022年06月21日 06時30分39秒 | Weblog
ドミンゴ&ゲオルギュー プレミアムコンサート
 
 この公演は、実は、2020年6月に予定されていたパレルモ・マッシモ劇場の「ノルマ」の振替公演であったはずの2021年6月20日の「仮面舞踏会」の、さらに振替公演であったはずの「シモン・ボッカネグラ」の、振替公演である。
 ドミンゴは、コロナ直前の2020年1月(プラシド・ドミンゴ プレミアム コンサート イン ジャパン2020)以来の来日公演で、「シモン・ボッカネグラ」でタイトル・ロールを演じる(最後のオペラ出演)予定だったのが、急遽変更となったものである。
 今回のコンサートの特徴は、サルスエラの曲が4曲入っているところ。
 ドミンゴの両親もサルスエラの歌手だったそうなので、原点回帰といった感がある。
 ・・・それにしても、「ノルマ」はいったいどこに行ったのだろうか?
 
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