「横浜市中区山手町113番」の土地 (分筆前)の、昭和44年12月19日に横浜市が購入する前の登記簿の「甲」区の記載は、大要、以下のとおりである。
1 昭和17年12月8日 英国臣民G.E.B.(注:個人名につきイニシャル表記とした)ノ為所有権ヲ登記ス
2 昭和17年12月8日 敵産管理人三菱信託株式会社ニ於テ管理スルコトヲ登記ス
3 昭和19年10月19日 東京芝浦電気株式会社ノ為売買ニ因ル所有権移転ヲ登記ス
4 昭和19年19日 管理終了ニ因ル順位2番敵産管理登記ノ抹消ヲ登記ス
5 昭和25年3月2日 英国臣民G.E.B.ノ為返還ニ因ル所有権取得ヲ登記ス
6 昭和27年4月17日 マツキンノン・マツケンジー・エンド・コムパニー・オブ・ジヤパン・リミテツドノ為売買ニ因ル所有権取得ヲ登記ス
まず、1の時点では、英国臣民であっても日本の土地の「所有権」を取得出来るようになっていたこと(かつては「永代借地権」どまりだった。)が分かる。
次に、1と2の登記日付が同一である点が注目される。
これは、英国臣民の所有権登記を行った上で、2に「敵産管理」とあるように敵産管理法に基づいて敵国人の私有財産を日本(本件では三菱信託株式会社が管理業務を受託)の管理下におくことを狙ったのだろう(なので、おそらくは職権による登記ではないかと思うのだが、確証はない。)。
なお、敵産管理法においては、「管理」だけでなく清算や処分も可能であり、本件でも3にあるとおり、「敵産」であるこの土地は(おそらく建物も)東京芝浦電気株式会社に売却されてしまった。
その後、敗戦により山手町を含む横浜地区一帯はGHQに接収されたが、4と5にあるとおり、敵産管理法は失効したものと思われ、所有権はもとの所有者に「返還」された(それにしても、「返還」による所有権取得というのは初めて見た。)。
つまり、「黒田邸」のモデルとなった家の敷地の所有者はM社であり、おそらくこの会社が家も所有していたと思われる。
このM社は、名称からして、1847年に英国人のW.マッキンノンとR.マッケンジーがインドで設立した海運会社「マッキンノン&マッケンジー商会」(Mackinnon, Mackenzie & Co Ltd)の日本法人だろう。
もっとも、M社は現在では存在しないようで、法務局で検索しても出てこない。
Merger Accounts - Mackinnon, Mackenzie & Company of Japan Ltd, 1964.という記事からすると、1964年にP&Oに吸収合併されたらしい。
ともあれ、「黒田邸」のモデルとなった家は、世界を股にかける外資系の海運会社が所有していたようである。
ある意味では、「のつぴきならない存在の環」が現前化するのにふさわしい場所であったと言えるだろう。
なお、この”聖地”の中心は、2つの部屋で構成されている。
「黒田邸」の正面から見て2階・左端にある部屋(母と竜二の寝室)からは海が見え、かつ、この部屋に隣接する登の部屋の覗き穴からは「海の反映」(「全集9」p227)が見えるという設定であり、これが「のつぴきならない存在の環」(私なりにもっと優しい/易しい言葉にアレンジすると、「自分と世界との一体性」)を現前化させた。
要するに、この2つの部屋の位置・構造、そして何よりも「海」こそが、物語の設定の中核を成しているわけである。
この点、映画(THE SAILOR WHO FELL FROM GRACE WITH THE SEA (1976)の2:25付近)でも、この描写に成功しているとは言い難い。
オペラでは、これをどう表現するのだろうか?
装置、照明、音声の担当者は、腕の見せ所だろう。