谷崎は、「イエ」のヒエラルキーにおいて最下層に位置する「女中」にフォーカスすることによって、「イエ」の衰退を描いた。
もっとも、作家という職業は世襲に全くなじまないものだから、谷崎の「イエ」(=苗字=屋号:家職・家業の世襲制)が消滅することは最初から予定されていたといってよい(但し、小説の最後で、磊吉は女中たちの子供から「お爺ちゃん」と呼ばれて喜ぶわけなので、拡大家族ないし「新しい家族の形」の出現を見ることも可能ではある。)。
さて、「台所太平記」から25年後の昭和63年(1988年)に「キッチン」が発行されたのだが、最初に指摘したとおり、この間、小説の外側にある日本社会は劇的な変化を遂げていた。
それを簡単に表現することは出来ないし、この種の分析は後世の歴史家が行うべきものなのだろう。
なので、ここでは差し当たり、新聞の三面記事だけで明治大正史を書いた柳田國男にならって(パクって)、当時の「ベストセラー」を振り返ってみることによって、社会がどのように変化していったのかを探ることとしたい。
まず目につくのは、昭和39年(1964年)のベストセラー、大松博文「俺についてこい!」である。
百年の誤読 岡野 宏文 著 , 豊崎 由美 著
岡野:オリンピックに向かう時期、日本全体を包んでた「死にもの狂いで頑張る」みたいな空気を、ぎゅっと一冊に凝縮したような内容なんだ。
豊崎:そうそう!わたし、この本を読んで初めて、円谷幸吉選手がなぜ自殺しなきゃならなかったのかわかったような気がしましたもん。
岡野:僕がすごく嫌な気持ちになったのは、「死ぬほど頑張らないやつはダメな人間だ」っていう逆差別意識の横溢だよ・・・。
豊崎:練習してて<気がついたときには、いつか東の空が白んでいた>こともあったっていうんだから凄まじい。よく死者が出なかったよね。
岡野:回転レシーブをマスターするために<背中をラクダのコブのようにはれ上がらせたり>、それでも練習休ませなかったんだぜ。<事務室の自分のイスから座ぶとんをはずしてきて、腰や背中に縛りつけて練習を続けました。貝塚名物の”日紡式クッション”です>だと。オドケてる場合じゃないでしょ(笑)。
豊崎:息も絶え絶えの選手に<これくらいの練習がなんだ。まだ生きて息をしているじゃないか>・・・。
これぞまさしく「観念上の軍事化」(そのあらわれが「犠牲強要」)であるが、大松監督は、陸軍でラバウルやインパール作戦に従事し、生還したという経歴の持ち主であった!
むしろ、これは文字通りの「軍事化」といってよい(戦前戦中の「軍事教練」の復活とみると分かりやすい。)。
つまり、軍事組織から一般社会への浸透型「軍事化」の一例である。
ここから、70年代のいわゆる「モーレツ社員」の誕生までは、ほんの一歩である(1970年の「モーレツ社員」 帰宅は週に1度、上司の人形を竹刀でボコボコに叩きまくる)。
もっとも、作家という職業は世襲に全くなじまないものだから、谷崎の「イエ」(=苗字=屋号:家職・家業の世襲制)が消滅することは最初から予定されていたといってよい(但し、小説の最後で、磊吉は女中たちの子供から「お爺ちゃん」と呼ばれて喜ぶわけなので、拡大家族ないし「新しい家族の形」の出現を見ることも可能ではある。)。
さて、「台所太平記」から25年後の昭和63年(1988年)に「キッチン」が発行されたのだが、最初に指摘したとおり、この間、小説の外側にある日本社会は劇的な変化を遂げていた。
それを簡単に表現することは出来ないし、この種の分析は後世の歴史家が行うべきものなのだろう。
なので、ここでは差し当たり、新聞の三面記事だけで明治大正史を書いた柳田國男にならって(パクって)、当時の「ベストセラー」を振り返ってみることによって、社会がどのように変化していったのかを探ることとしたい。
まず目につくのは、昭和39年(1964年)のベストセラー、大松博文「俺についてこい!」である。
百年の誤読 岡野 宏文 著 , 豊崎 由美 著
岡野:オリンピックに向かう時期、日本全体を包んでた「死にもの狂いで頑張る」みたいな空気を、ぎゅっと一冊に凝縮したような内容なんだ。
豊崎:そうそう!わたし、この本を読んで初めて、円谷幸吉選手がなぜ自殺しなきゃならなかったのかわかったような気がしましたもん。
岡野:僕がすごく嫌な気持ちになったのは、「死ぬほど頑張らないやつはダメな人間だ」っていう逆差別意識の横溢だよ・・・。
豊崎:練習してて<気がついたときには、いつか東の空が白んでいた>こともあったっていうんだから凄まじい。よく死者が出なかったよね。
岡野:回転レシーブをマスターするために<背中をラクダのコブのようにはれ上がらせたり>、それでも練習休ませなかったんだぜ。<事務室の自分のイスから座ぶとんをはずしてきて、腰や背中に縛りつけて練習を続けました。貝塚名物の”日紡式クッション”です>だと。オドケてる場合じゃないでしょ(笑)。
豊崎:息も絶え絶えの選手に<これくらいの練習がなんだ。まだ生きて息をしているじゃないか>・・・。
これぞまさしく「観念上の軍事化」(そのあらわれが「犠牲強要」)であるが、大松監督は、陸軍でラバウルやインパール作戦に従事し、生還したという経歴の持ち主であった!
むしろ、これは文字通りの「軍事化」といってよい(戦前戦中の「軍事教練」の復活とみると分かりやすい。)。
つまり、軍事組織から一般社会への浸透型「軍事化」の一例である。
ここから、70年代のいわゆる「モーレツ社員」の誕生までは、ほんの一歩である(1970年の「モーレツ社員」 帰宅は週に1度、上司の人形を竹刀でボコボコに叩きまくる)。