私の事務所は、「仕事納め」を一応12月28日としている(実際はだいたい30日まで仕事をしている)。
この日は、不動明王の縁日でもある。
以前所属していた事務所では、毎年12月28日に「納め不動」にお参りする習わしがあったので、私もこれを真似して、事務所の近くにある不動尊にお参りすることにしている。
私は真言宗の信者ではなく、不動明王を信仰しているわけでもないのだが、何か1年の区切りをつける「儀式」のようなものはあった方が助かる。
なので、例えばこの日に近くの教会で何か信者以外でも参加できる行事があれば、それに参加するかもしれない。
さて、「納め不動」の護摩焚きが終わって、恒例の住職のお言葉が始まった。
今年のお言葉のポイントは、「自分を褒めてみる」ことの効用である。
これによって、他人に対して優しい心を持つことが出来るようになるし、物事に動じない精神、すなわち「不動心」を確立出来るというのである。
ところで、不動明王の起源については、インド発祥である点は間違いなく、ヒンドゥ教のシヴァ神と同一であるという有力説があるものの、決着は見ていないそうである。
「生まれ故郷のインドでは、不動明王は2種類の姿があったという。それが「アチャラ(動かざるものという意味)」と「チャンダマハーローシャナ(恐ろしく大いに怒れるもの)」の2つである。日本の不動明王はアチャラに属しており、チベット密教の不動明王はちゃんダマハーローシャナ系統だという。その2つの違いとは何だろうか。
歴史としては6世紀頃にアチャラが出現し、やや遅れてチャンダマハーローシャナが出現した。アチャラの姿勢としては堂々と座っているのが特徴で、チャンダマハーローシャナは右の足を曲げ、左の足を伸ばす「展左」のポーズが特徴的だという。しかしポーズが明らかにチャンダマハーローシャナなのにアチャラと呼ばれている例も多数あり、あまり厳密ではないとされている。
不動明王は最初「不動使者」と訳され、大日如来の使い走りのような役割だった。チャンダマハーローシャナのポーズはまさに走っているような印象で、使い走りだった頃の不動明王を彷彿とさせる。現在の日本では、不動明王は大日如来の化身として、使い走りではない高い地位を得ていると考えられる。」
チベットの「お不動さん」=チャンダマハーローシャナとの比較に基づけば、日本のお不動さん=「アチャラ」の意味するところは「他人の『使い走り』(パシリ)になるな!」ということなのかもしれない。
そう、他人の「手段」になってしまってはいけないのである(加害者の人権と人間の「手段」化)。
何と、お不動さんは、ホラティウスの同志であっただけではなく、実はカント先生の同志でもあったのだ。