Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

1月のポトラッチ・カウント(7)

2025年01月31日 06時30分00秒 | Weblog
 「二、陰陽師(おんみょうじ) 夢枕獏の大人気作、装いも新たに登場
〈大百足退治〉
 武勇の誉れ高い藤原秀郷。近江の国、琵琶湖にほど近い三上山に出現するという化け物を退治するためやって来た秀郷は、化け物の正体である大蜈蚣の魂魄と対峙し…。
〈鉄輪〉
 朧の月夜、源博雅が吹く笛の音を慕う徳子姫は、やがて愛する男に裏切られ、蘆屋道満の妖力により生成りの鬼と化していました。安倍晴明が呪の解明に乗り出し、遂には道満との対決が迫り…。

 続いては、夢枕獏先生の「陰陽師」に基づく「大百足退治」と「鉄輪」の2本立て。
(1)大百足退治
 大百足の正体は、日本に長く住みながら、朝廷に服属しないため虐げられてきた民の恨みが凝り固まって生成した「魂魄」(原animus)。
 龍宮に伝わる「青龍の宝剣」(第2のanimus)を手に入れた大百足の魂魄は、積年の恨みを晴らし、この国を魔界にすると述べて、藤原秀郷に襲い掛かる。
 激戦の末、秀郷は「青龍の宝剣」を手に入れ、大百足を退治すると、祠の中から龍王の娘・永薙姫が登場する。
 彼女は、琵琶湖の水底にある龍宮に住んでいたが、大百足に「青龍の宝剣」を奪い取られ、単なる身体(corpus)となって祠の中に閉じ込められていたのである。
 これを聞いて秀郷が「青龍の宝剣」を姫に返納すると、姫は返礼として、父・龍王の秘蔵の「大弓」(軍事的な意味における第2のanimus)と、いくら取り出しても尽きることのない「米俵」(経済的な意味における第2のanimus)を与えた。
 すると秀郷は、「米俵」は朝廷に献上して民への施しに充てるというので、これに感じ入った姫は、秀郷に「俵藤太(たわらのとうた)」という「名」(nome)を与えた。
 
 ・・・と、こんな風に、夢枕先生は、日本古来の
「魂」(原animus)---「象徴」(第2のanimus)という分節
という思考と、17世紀以降の
「名」(nome。一般には「姓」)による「魂」(原animus)の識別(君のシニフィアンは(2))及びその承継
という思考に基づいてストーリーを組み立てている。
 決して(神武天皇の)「”Y染色体”の承継」などという、「目に見えないものの継続性」というところで勝負しているわけではないのだ。
 以上のとおり、「大百足退治」にはポトラッチらしきものは出て来ないので、ポトラッチ・ポイントはゼロ。
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1月のポトラッチ・カウント(6)

2025年01月30日 06時30分00秒 | Weblog
 「鎌倉時代に実際に起きた曽我兄弟の仇討ちの物語は、江戸歌舞伎で初春の吉例として上演された祝祭劇。『寿曽我対面』はその集大成とされ、時代を超えて親しまれています。源頼朝の重臣・工藤祐経の館で催されている祝宴に、小林朝比奈の手引きで曽我十郎と五郎の兄弟が対面を許されてやって来ます。父の仇を討とうと逸る五郎が、工藤に詰め寄ると…。

 壽初春大歌舞伎・昼の部の最初の演目は、「寿曽我対面」。
 敵討がテーマであり、レシプロシテの塊のようなこの演目は、江戸歌舞伎では何と「祝祭劇」とされていた!
 これだけをとってみても、当時の日本が病める国であったことは一目瞭然である。
 さて、この演目は、観ているだけでは分からない設定のところに重要な事実が潜んでいる。

 「曽我兄弟の父は、18年前、一族の紛争にまきこまれて、工藤に暗殺されている。工藤と河津は従兄弟同士であるが、事件の真相は必ずしも明確ではない。河津の死後、兄弟の母満江は曽我太郎祐信に二人の幼児を連れて再嫁。そのために二人は「河津」から「曽我」と改姓した。工藤とは絶縁状態だから、顔を知らない。敵は工藤と思うものの、厳密には犯人として確定していない上に顔も知らなければ、敵の討ちようがないだろう。人と人とのめぐり合い---対面はそれ自体が運命的なものであるが、この場合は敵討ちのために必要欠くべからざるものだったのである。」(p156~157)

 つまり、「対面」は、面割(犯人性の認定)と自白(犯罪事実の認定)という、有罪判決を下すためには必須の事実認定プロセスを劇化したものなのである。
 対して、工藤も、「こいつらに討たれてやろう」という覚悟を抱くのが面白いところで、いかにも命は差し上げましょう」と述べた幡随院長兵衛によく似ている(5月のポトラッチ・カウント(2))。
 工藤は、河津暗殺の代償として、つまり疑似ポトラッチとして、自分の命を捧げることを決意したのである。
 もう一つ面白いところは、兄弟が、養父の祐信が紛失していた源氏の重宝「友切丸」を手にするところ。
 これは言うまでもなく苗字と並ぶイエの表章であり、これを使用することによって曽我家への報恩も適うこととなる。
 以上のとおり、「寿曽我対面」は、工藤によるポトラッチ(一種の自殺)が計画されているものの、まだ何も起こっていないため、ポトラッチ・ポイントはゼロ。




 


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1月のポトラッチ・カウント(5)

2025年01月29日 06時30分00秒 | Weblog
 「よくも武智の家の名を汚したわねと厳しく叱られた夫に妻の操は、どうか善い心に立ち返ってほしい、と懇願するのでした。しかし光秀は瀕死のお母さんにそう言われても
「いや、春永は主君なんかじゃない。あいつの横暴を止めたのも天下のためだ」と聞く耳を持ちません。
 とそこへ、大けがをした十次郎が戻ってきますヽ(´o`;
 ぜぇぜぇと虫の息になってしまった息子に、光秀は非情にも「戦場の様子を語れ!」と命じます。瀕死の十次郎はけなげに語り始め「味方も総崩れですから、どうか早く本国へ落ち延びてください…」と父を案じます。
 皐月は「十次郎はこんなに孝行を尽くしているのに、お前はなんて男なんだ」とさらに光秀を責め、十次郎とともに息絶えるのでした。。

 登場人物中おそらく最も影の薄い光秀の妻・操は、光秀に対し、最後の救いを求めて、
 「善心に立ち返ると、たった一言聞かせてたべ
と懇願の言葉を述べる(これが操にとっては最初で最後の見せ場)。
 これに対する光秀の答えが、終盤における最大のポイントである。

 「「ヤアちょこざいな諫言立て。無益の舌の根動かすな。遺恨かさぬる尾田春長、もちろん三代相恩の主君でなく、わが諌めを用いずして神社仏閣を破却し、悪逆日々に増長すれば、武門の習い天下のため、討ち取ったるはわが器量。武王は殷の紂王を討つ、北条義時は帝を流し奉る。和漢ともに無道の君を弑(しい)するは、民を休むる英傑の志。おんな童の知ることならず、退がりおろうと光秀が一心変ぜぬ勇気の眼色、取り付く島もなかりけり。

 言わずと知れた易姓革命の思想によって自身の行為を正当化するのである(ちなみに、私が観た第2部では、時間の関係だろうか、このくだりがカットされていた)。
 これがおそらく江戸幕府を刺激したのだろう、後に「絵本太功記」は絶版を命じられることとなる。
 だが、筋立ては、「易姓革命」→「因果応報」→「イエの崩壊」というもので、全体としては易姓革命を否定的に捉えているわけなので、幕府の処分は筋違いだろう。
 この後の光秀の慟哭「大落とし」が最大の見せ場であり、ここにおいて彼は、母と息子を同時に失うこととなった。
 以上のとおり、「絵本太功記」尼ヶ崎閑居の場のポトラッチ・ポイントは、「易姓革命」未遂の代償として皐月と十次郎が命を失ったので、5.0✕2人=10.0:★★★★★★★★★★。
 
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1月のポトラッチ・カウント(4)

2025年01月28日 06時30分00秒 | Weblog

 今年の「新春浅草歌舞伎」の演目のうち、社会学的・法学的分析の対象となるのは、「絵本太功記」尼ヶ崎閑居の場のみである。 
 この演目が、第1部・第2部でキャストを変えて上演される。
 あらすじがやや複雑なのだが、上の動画の前半は分かりやすいし、以下で引用された解説も分かりやすい。

 「ここは武智光秀のお母さん・皐月(さつき)が滞在しているおうちです。
皐月は息子が自らの主君を討ったことを良く思わず、あの子はなんで謀反なんてしたのよ…と引きこもっていました(。´_`。)
 光秀の妻の操はそんなお姑さんの様子が心配ですヽ(´o`;
息子の十次郎とその許嫁の初菊の若者二人を連れて尼ケ崎へとやってきました。
 光秀の息子・十次郎というのはとてもできた子で、お父さんが春永を討ったため、春永の敵を討とうとする真柴久吉(秀吉のことです)とお父さんとの合戦は近いぞ…(・・;)と見越しており、初陣に出ることをおばあちゃんに許してもらおう、討死も覚悟だ、とお別れの準備をして正装でやってきました。
 光秀は謀反人であっても、大切なお父さんであります。どうにか助けたいのです。許嫁の初菊に対しても、もうすぐ死んでしまうから別の家にお嫁に行ってほしい…と思いやる優しさを持っています。
 しかし初菊ちゃんは、大好きな十次郎にどうしても初陣に出ないでもらいたい一心。゚゚(´□`。)°゚。どうにかして止めたいとがんばりますが、十次郎の決心はかたく「鎧を用意してくれ」と告げて奥へと入ってしまいます。この場面の二人の切ないやりとりや重い鎧を一生懸命運ぶ姿などが見どころです(人’v`*) 
 支度を終えた十次郎の鎧姿はそれはそれは立派なものでした。
皐月は初陣と祝言のふたつのお祝いを兼ねて、十次郎と初菊に盃を交わさせることにします。皐月は十次郎が死を覚悟していることを察していたため、別れの盃のつもりで交わさせてあげたのです。結婚、即お別れという非常にハードな運命を強いられてしまった初菊ちゃんにとっては、これが最初で最後なんて…と嘆くほかない辛すぎる結婚式でありました(/_;)

 まず押さえるべきポイントは、武智家において、光秀は当主としての資格を事実上喪失しており、母・皐月がイエの当主をいわば代行しているところである。
 その理由は、言うまでもなく、光秀が主君を弑したという、武家における最大の罪を犯したからである。
 そこで皐月は、武智家の当主代行として、孫の十次郎の出陣を祝うと同時に、初菊と盃を交わさせる(これを主宰したのが光秀でないことが重要である。)。
 皐月の考えは、
 「『主殺し』の子である十次郎にとって、『恥』を雪ぐ唯一の手段は、戦場で討死にすることである
というものだろう。
 つまり、この時点で十次郎が疑似ポトラッチ(武智家の罪・恥の代償として命を捧げること)を行うことは予定されていたわけである。
 だが、これだけでは済まなかった。

(前掲より続く)
 「光秀は竹藪から一本の竹を抜き、先を尖らせた竹槍を作って準備万端。
家のようすを窺うと障子の奥になにやら人の気配が!
 これこそ久吉だと確信した光秀は、えいやっ!と槍でひと突きにします。
  ウゥ~!!と痛そうな叫び声。
 よろめきながら現れたのは久吉ではなく、なんと母の皐月でありました…!なんてことだ…と愕然とする光秀のところへ駆けつけた操と初菊。これは一体どういうわけなのかとおろおろうろたえてしまいますヽ(´o`;
  そんな状況にあっても気丈な皐月は、「私は主君を殺した光秀の母なのだから、このような動物同然の報いを受けるのは当然だ」ときっぱり言い放つのでした。息子にもう、これ以上の罪を犯してほしくはないのです…。

 光秀は、久吉と間違えて、自分の母・皐月を槍で突いてしまったのである。
 しかも、この後皐月は、
 「なげくまい、なげくまい。主君を害せしゆえ、かくなりはつるは理の当然。・・・(光秀は)我がイエを逆賊非道の名に汚したる、譬え方なき人非人。・・・主に背かず親に仕え、仁義忠孝の道に立たば・・・」(聴き取り書きなので不正確かもしれない)
と述べて、槍を手に取り自らを刺す。
 我が子・光秀は、「道」に背き、主君を殺害した。
 これによって、武智のイエは「逆賊非道」の名に汚れることとなった。
 さらに皐月は、人非人・光秀の母であるという理由で、我が子に殺されることとなった。
 つまり、光秀は仁義忠孝の「道」を完全に踏み外してしまうのだが、皐月からすればこれは「理」の当然である。
 武士にとってのイエ原理は仁義忠孝という「道」を内包しており、これに背けば、「理」が発動して、イエの名は汚れ、ついには滅びてしまうというのである。
 ・・・この一連の出来事の継起が、「因果応報(ここでは悪因・悪果)の法則」に則っていることは明らかだろう。
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1月のポトラッチ・カウント(3)

2025年01月27日 06時30分00秒 | Weblog
 「彦山権現誓助剣」の作者が、ゲノム思考を克服していたことはほぼ確実と思われる。
 だが、イエ的な思考を克服していたかどうかは微妙である。
 というのも、登場人物は、何らかの家業を承継することを運命づけられていたようにも読めるからである。
 すなわち、六助とお園は、剣術・八重垣流を家業として承継していくし、内匠(あるいは弾正)は、父・明智光秀の仇討ち、つまりイエの再興を使命としていたからである。
 その上で、因果応報(善因・善果、悪因・悪果)の法則に基づき、前者のイエが勝利し、後者のイエが敗北するという構図に見える。
 こういう風に考えて来ると、「彦山権現誓助剣」の作者は、ゲノム思考を克服したとはいえ、イエ的な思考を脱却するところまでには至っていなかったというのが、妥当な評価のようである。
 ところで、この演目では、刀の持つ意義が重要である。
 六助は、お幸から一味斎の形見である刀を授けられるし、内匠(あるいは弾正)は、光秀の亡霊から小田春永遺愛の名剣・蛙丸(かわずまる)を授けられる。
 これらの刀は、イエの表章、大雑把に言えば、「苗字」に代替するものとみると分かりやすいようだ。
 ちなみに、この刀の祖型は、おそらく三種の神器の一つ・草薙の剣ではないかと思われる。

 「日本の三種の神器の1つである宝剣「天叢雲剣(草薙剣)」が、下関に眠っていると言われているのをご存じですか?
 現在の関門海峡で、源平合戦の壇ノ浦合戦が行われた際に三種の神器が入水。鏡と勾玉は見つかりましたが、宝剣だけは今にいたるまで見つかっていないそうです。
 失われた宝剣は形代(分身)であると言われていますが、下関に自然災害が少ないのは何か不思議な力によるものかもしれません。
 いにしえのロマンに想いを馳せながら、関門海峡を眺めると、また違った趣を感じられます。

三島:君はずいぶん西洋的だなあ。(笑)ぼくはそういう点では、つまり守るべき価値を考えるというときには、全部消去法で考えてしまうんだ。つまりこれを守ることが本質的であるか、じゃここまで守るか、ここまで守るかと、自分で外堀から内堀へだんだん埋めていって考えるんだよ。そしてぼくは民主主義は最終的には放棄しよう、と。あ、よろしい。言論の自由は最終的に放棄しよう。よろしい、よろしいと言ってしまいそうなんだ、おれは。最後に守るものは何だろうというと、三種の神器しかなくなっちゃうんだ。
石原:三種の神器って何ですか。
三島:宮中三殿だよ。
石原:またそんなことを言う。
(p541)

 三島氏は、「三種の神器」の意義を正確に捉えた上で、日本文化の象徴=天皇、天皇の営為(日本文化の実践)の象徴=三種の神器、という風に、2つの分節化を行っている(傑作の救済(4))。
 ところが、石原氏には、これが全く見えていなかったのである。
 

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1月のポトラッチ・カウント(2)

2025年01月26日 06時30分00秒 | Weblog
 「【3】次々発覚する新事実。そして予想もしなかったスピード婚!
 実は、この女性は吉岡一味斎(よしおかいちみさい)の娘・お園。一味斎とは六助の剣術の師匠であり、彼は六助の人柄と能力を見込んで、娘の結婚相手にしようと決めていた。つまり、六助とお園は顔を合わせたことはないが、許嫁という間柄だったのだ。
 突然の思いがけない事実に戸惑いながら、まんざらでもない2人。それはそうと、六助はお園に一味斎の安否を尋ねると「父は同じ家中の者に殺害され、父親の敵を打とうとした妹も返り討ちにされました」と語る。悲しみにくれる2人に、奥の一間から声をかけたのはお幸という、さきほど六助に一夜の宿を求めこの家に通されていた老女。これまた偶然にも、このお幸は一味斎の妻、つまりお園の母親であったのだ。お幸は六助に夫の形見の刀を与え、お園と祝言させるのだった。

 「貰い子である女子がイエを承継する」というのは、おそらく、「神武天皇と今上天皇は全く同じY染色体」であると信じている人たちには、一生理解出来ない思考だろう。
 ここで作者(梅野下風・近松保蔵)は、こうした人たちに対するアンチテーゼを提示している。
 すなわち、一味斎は貰い子であるお園をイエの承継者に指名したし、六助は弥三松を我が子のように養育し、幸(お園の母)は「私を母だと思って下さい」と六助に懇願する。
 ここにおいて、生物学的親子関係(つまりゲノムの承継)が度外視されていることは明らかである。
 これに対し、悪役である京極内匠(微塵弾正でもある)は、ゲノム的思考(結局はレシプロシテにつながっている)から逃れられず、結果的に破滅してしまう。

 「実は、内匠はこの地で命を落とした明智光秀の遺児で、明智光秀の亡霊(中村又五郎)に引き寄せられたのでした。光秀は、この池に隠していた名剣・蛙丸(かわずまる)を我が子に託して、自らを滅ぼした真柴久吉への恨みを晴らしてほしいと託します。

 そう、内匠(あるいは弾正)の生物学上の父は明智光秀であり、光秀は、真柴久吉への復讐を内匠に託す。

 「【4】運びこまれた老婆の遺体。孝行息子のフリをしていた男は因縁の敵だった!
 折からここへ、杣(そま:きこり)の斧右衛門(おのえもん)が仲間たちと共に、母親の死骸を運びこみながら「この敵を討って欲しい」と懇願する。その死骸をよく見ると、なんと弾正が孝行したい母だと言い同行していた老女であった! 弾正は六助の優しさにつけ込み、斧右衛門の母を自分の母だと嘘をつき、六助に勝ちを譲ってもらうという計画を実行。用済みとなった老女を殺害したのである。しかもお幸の所持していた人相書と、お園が所持する妹の死骸に落ちていた臍緒書(ほぞのおがき:今でいう出生証明書)から、弾正こそ、一味斎を殺害した京極内匠という男であることがわかる。怒りにうち震える六助は、一味斎とその家族であり妻となったお園の敵討ちを遂げるため、衣服を改め、敵の後を追うのだった。

 ところが、久吉が許可した仇討ちによって、内匠は命を失うこととなる。
 ・・・というわけで、「彦山権現誓助剣」のポトラッチ・ポイントは、3人(一味斎、お菊と斧右衛門の母)を殺害した代償として内匠は命を失ったので、5.0:★★★★★。
 

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1月のポトラッチ・カウント(1)

2025年01月25日 06時30分00秒 | Weblog
 「初春歌舞伎公演が幕を開けました。新国立劇場での歌舞伎公演も3回目を迎えます。今回の公演は、仇討ち物の傑作『彦山権現誓助剣』を通し狂言として上演しています。舞台写真とともに、公演の魅力をご紹介します。

 国立劇場・初春歌舞伎だが、国立劇場建て替えのため、ここ3年は「新国立劇場」で上演されている。
 今年は花道を設置したということで、さっそく花道横の席をゲットした。
 歌舞伎座よりも役者さんに近く(席もやや高くなっている)、おかげで私の人生では歌舞伎役者に最接近することが出来た時間となった。
 演目は「彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち)」で、仇討ものだが、これを通しで上演するのである。

 「【1】剣術の達人が試合に負けた、そのワケは。
 主人公の六助は剣術の名手であり、その実力は領主から仕官の誘いを受けるほど。しかしその申し出はなかなか受け入れられないので、「六助に勝った者には知行(ちぎょう:武士に支給された土地)を与え、召しかかえる(家来にする)」という触れ書きまで出ている。これに名乗りをあげたのは弾正(だんじょう)という男。大勢が見守るなか立会いが行われ、六助はこの試合に負けてしまう。しかしこの勝負、実は六助が弾正に勝ちを譲った八百長試合だったのだ。
 六助は数日前に偶然、弾正と出会っており、「余命幾ばくもない母親のために孝行がしたいので、勝ちを譲って欲しい」とあらかじめ頼んでいたのだ。心優しい六助はその孝行心に感じ入り、約束通りわざと試合に負けたのだった。
 
 国立劇場の筋書は親切で、人物関係図(p7)をちゃんと入れてくれている。
 この演目も、人間関係が入り乱れているので、人物関係図がないと、観ていて混乱しかねない。
 主人公:六助は、剣術に優れており、それを剣術師範に吉岡一味斎に見込まれ、「八重垣流」の奥義を授かることとなった。
 一味斎は、ゆくゆくは六助を、娘:お園に沿い合わせようと考えている。
 お園は実の子ではなく、貰い子であるが、身分ある人らしい実の親への義理から、「吉岡家の相続はお園でなくてはならない」というのだ。
 言うまでもないだろうが、この演目の最初のポイントは、
 「当主候補はイエのゲノムを継承していない、しかも女性である
というところである。
 これは伝統的な歌舞伎の思考からは完全に乖離しており、目の玉が飛び出そうな設定である。
 ところが、一味斎は何者かによって銃殺され(飛び道具による暗殺)、仇を討とうとした下の娘:お菊も、犯人の返り討ちにあって死んでしまう。
 他方で、六輔の剣術の名声は増すばかりで、今や国主が「六助との試合に勝った者を500石で召し抱える」という高札を出す状況。
 そこに現れた弾正が、実は一味斎とお菊を殺害した犯人だった。

 「【2】突然現れた怪しい虚無僧。その正体は女性でしかも・・・!
 六助は独身であるが、弥三松(やそまつ)という幼い子どもと暮らしている。この男の子は、ある日見知らぬ老人を助けたとき、その死の際に託された子なのだ。六助は不器用ながらも懸命に子育てをし、ここで匿っていると身寄りの人が気づけるよう、弥三松の着物を門口に掛けて暮らしている。
 ある日、その着物に気づいた怪しげな虚無僧が、六助に向かって「家来の敵!」と言いながら斬りかかってくる。虚無僧が偽物だと見破っていた六助は余裕の体でかわし、さらには女性であると悟る。この不審人物の正体、実は弥三松の叔母であったのだ。素性がわかり安心した六助は、彼女にこれまでの経緯を一部始終説明する。それを聞いた女はこれまでと態度を一変、急にしおらしくなり「私はあなたの女房です」と申し出る。

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ピアニスト、ティーチャー、プロデューサー、コンポーザー

2025年01月24日 06時30分00秒 | Weblog
  • ピアノ協奏曲第2番 イ長調 S.125/R.456
  • 死の舞踏 (「怒りの日」によるピアノと管弦楽のためのパラフレーズ) S.126/R.457
  • ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調 S.124/R.455
  • ハンガリー幻想曲 S.123/R.458
  • <アンコール曲>
  • ラフマニノフ作曲/阪田知樹編 ここは素晴らしい処
  • ガーシュウィン Lady be Good
 私はこの人が弾くショパン(バラキレフ編曲)ピアノ協奏曲第1 番 ホ短調 作品11より第2 楽章「ロマンス」を聴くのを”起床儀礼”としており、コンサートも出来るだけ行くようにしている(眠くならないクライスレリアーナ)
 というわけで、今月は今回の東フィルとの協奏曲を、3月にはソロを聴きに行くこととした。

 「若い世代に伝え、優れた弟子をたくさん育て、世界水準でピアノ演奏のレベルを上げた人だというところを尊敬しています。
 作曲の分野でも、グリーグやスメタナ、フォーレなど、才能ある次世代の作曲家の背中を押して、彼らの活躍を助けました。さらにはシューマンやベートーヴェンという前の時代の作曲家の作品も積極的に演奏し、時にはピアノ用に編曲して人々に広めました。今私たちが優れた作品を享受できているのは、リストのそんな功績によるところも間違いなくあると思います。
 音楽界に大きな影響を与えたという意味で、音楽家として一つの理想的な形だと思います。

 リストは35歳ころにピアニストを引退し、「作曲家」となった。
 それゆえ、「コンポーザー・ピアニスト」とも呼ばれる。 
 のみならず、弟子の教育や新人のプロデュースも熱心にやっていた。
 つまり、「コンポーザー・ピアニスト」、かつティーチャー・プロデューサーという、一人4役の活躍をしたのである。

 「まず、4曲中、私が一番好きな作品を選ぶとすれば、ピアノ協奏曲第2番です。物語の要素、前述の二面性の要素が強く現れています。
 オーケストラが最初に奏でる旋律が徐々に変化して最後は別物になるという作曲手法には、リストのピアノソナタに通じる個性が感じられます。ピアノ入りの交響詩のようです。それまでのピアノ協奏曲と全く異なる革新性も好きです。
 「ハンガリー幻想曲」は、ハンガリー狂詩曲第14番を改定してピアノ協奏曲の形にしたもので、リストのハンガリー人だという自覚や愛国心の強さが伝わってくる楽曲です。また「死の舞踏」は私が2016年にリスト国際コンクールに優勝したときファイナルで演奏した、思い出のレパートリーです。
 そして、これまで折りに触れてたくさん演奏してきたのが、ピアノ協奏曲第1番。リストは、チェルニーのもとで学んだ自分はベートーヴェンの孫弟子にあたると強く意識していて、ベートーヴェンの「皇帝」を数え切れないほどの回数弾いたといいます。そして、いざ自分が初めて協奏曲を書くとなって、「皇帝」と同じ調性、ファンファーレ風のオーケストラに続けてすぐに華やかなピアノが入るという「皇帝」に似たはじまり方を選びました。ベートーヴェンの孫弟子としての意識があらわれた、とても重要な作品だと思います。
 作曲するうえでは、その人ならではのポリシーがあることがとても大切です。例えばリストは、ベートーヴェンが31番のソナタで行った、多楽章を一つに結びつけることを発展させて、ロ短調ソナタや二つの協奏曲を書いたといえます。そこには、自分は歴史を引き継いでいるのだという、リストの作曲家としてのポリシーがよく現れていると思います。

 パンフレットに「ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスの歌劇を思わせる・・・」という説明があるように、コンチェルト2番は”歌”がベースにあるようだ。
 これに対し、1番は、「皇帝」へのオマージュのようである。
 つまり、リストは、ベートーヴェンとワーグナー以後をつなぐ役割も果たしていたということのようだ。
 これとは別に、面白かったのは、リストは、「ロマ音楽」を「ハンガリーの民謡」と勘違いしていたということである。
 なので、「ハンガリー幻想曲」という題名は、本来は間違いなのだそうだ。
 リストは、こんな風にいろいろと面白い人なのである。
 
 

 
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新解釈

2025年01月23日 06時30分00秒 | Weblog
指揮=上岡敏之
ピアノ=イーヴォ・ポゴレリッチ

ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 作品21
<アンコール曲>同上 第2楽章

ショスタコーヴィチ:交響曲第11番 ト短調 作品103 「1905年」

 ショパン&ショスタコという組合わせ。 
 前半のソリストはポゴレリチで、コンチェルトでも楽譜を見て弾くという徹底ぶりだが、テンポはごく普通でちょっと安心した。
 過去は、極端に遅いテンポで話題になることもあったのである。
 今回は、指揮者の上岡さんのボルテージが上がっており、時折ポゴレリチをにらみつけるような場面もある。
 テンポが問題となるとすれば、やはり2楽章なのだろうが、ポゴレリチは全く力むことなく軽々と演奏する。
 細部に至るまでオーケストラと息がピッタリあっていたのは、入念なリハーサルの成果なのではないだろうか?
 満足のいく出来だったようで、アンコールも2楽章だった。
 おかげでやや時間が押してしまったのだが・・・。
 ショスタコ11番には、正く反対の2つの解釈がある。

  「この曲は無抵抗のまま殺された労働者への鎮魂とも、革命讃美の政権プロパガンダともいわれる。正反対の解釈であり両立はしない。ショスタコーヴィチの政治的立ち位置は当然ながら隠蔽されているのでどっちかという判断は誰もできない。

 というわけで、いずれの解釈かは聴き手(と演奏者)に委ねられることとなる。
 私が直観で感じたのは、
・1楽章・・・死者たちの呪い
・2楽章・・・ゾンビの行進
・3楽章・・・ゾンビの跳躍
・4楽章・・・死者たちの復活
というもの。
 音楽以外に、指揮者の上岡さんの動作も直観を刺激してくれる。
 例えば、3楽章では、指揮をしながらしきりに上下に動くので、そのような動く物体を示唆しているように感じるのである。
 ということで、結論としては、「無抵抗のままで殺された労働者への鎮魂」と解釈する。


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虎の穴

2025年01月22日 06時30分00秒 | Weblog
《奥井紫麻 ソロ》
S.ラフマニノフ:10の前奏曲 Op.23 より 第2番 変ロ長調、第4番 ニ長調、第5番 ト短調、第6番 変ホ長調
S.ラフマニノフ:13の前奏曲 Op.32 より 第3番 ホ長調、第5番 ト長調、第8番 イ短調、第12番 嬰ト短調、第13番 変ニ長調
《フセヴォドロ・ザヴィードフ ソロ》
F.リスト:超絶技巧練習曲 S.139 より 第10番、第11番「夕べの調べ」、第12番「雪あらし」、第5番「鬼火」、第4番「マゼッパ」
<アンコール曲>
S.ラフマニノフ:絵画的練習曲Op.33 より
《2台ピアノ》
I.ストラヴィンスキー:春の祭典
<アンコール曲>
チャイコフスキー:組曲「くるみ割り人形」(4手ピアノ版)より
 行進曲
 こんぺい糖の精の踊り
 葦笛の踊り

 2018年以来の武蔵野登場となる奥井紫麻さん(当時14歳)が、「キーシンを輩出したグネーシン音楽大学の盟友」フセヴォドロ・ザヴィードフを伴って一時帰国。
 フライヤーには、
“タイガーマスク”のように、ロシアの虎の穴で鍛え上げられた2人
とあり、当然の如くチケットは完売である。
 二十歳になった奥井さんは、見違えるほど大人びており、緩急のついた、正確なタッチで、音の粒も揃っている。
 学友のフセヴォドロ・ザヴィードフについては余り情報がないが、「キーシンの再来」と呼ばれており、見た目はややキーシンに似ている。
 奏法は、鼻息と呟き声を交えながら力でねじ伏せる感じで、これまた最近のキーシンに似ている。
 特に「マゼッパ」は圧巻で、ブラボーの声が上がるのも当然だろう。
 それにしても、この会場には、次から次に、若くて才能にあふれたピアニストが登場する。
 音楽家を養成する「虎の穴」も重要だが、こういう若手を見抜いて紹介する人の眼も重要なのだ。
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