Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

背景的情動としての「無気力」(2)

2025年01月04日 06時30分00秒 | Weblog
いや、カリキュラムのせいにしてしまうのはおそらく正しくない。
やはり、根底には「人」の問題があるはずだ。
この点で参考になるのは、約四半世紀前に森嶋通夫氏が「なぜ日本は没落するか」の中で行なっていた、十代後半の日本人のライフスタイルの描写である。

 「・・・日本は儒教国家であり、国の存続のために知識人が主導的役割を演じるようにつくられた国家であるからだ。日本は、底辺からよりもむしろ頂点から崩れていく危険が大きいが、そういう事態は、現在の学生や子供たちが社会のトップになった二十一世紀中頃にやってくるであろう。・・・
 日本では性的なモラルが他国より桁はずれに退廃していると見てよいであろう。このことは、日本人が無宗教であることと密接に関係しているであろう。十六世紀に日本にきたキリシタンの宣教師が驚いたように、中世の日本婦人には貞操観念が希薄であった。現代の日本の女子高生も、自分の性的な楽しみのために、また自分が欲しいものを買う金を得るために、簡単に売春に走るのである。このことは、日本のティーンエイジャーの性欲と物欲がいかに強いかを示している。そしてこれらの欲の比重がバランスを失して大きくなれば、近代資本主義の原理にふさわしい健全な労働倫理を未来の国民が持つことはまずありえないであろう。」(p46~47)

約25年前の日本社会の説明なので、今日ではやや妥当しない面(いわゆる「低欲望社会」への変化など)もあるだろうが、こうした世代が今や社会のトップに立とうとしているということは間違いない。
何も手を打たなければ、恐ろしい社会になる(なっている!?)ことは確実である。
森嶋先生の批判はまだ終わらない。

 「・・・競争経済の労働倫理は具体的な雇用主や会社に対する忠誠心を強要するようなものではない。労働者が尊重し従うべき忠誠心は、もっと抽象的なものである。労働者に、なにか抽象的・超越的なものに対する義務感や責任感を持たせるためには、現代日本の教育環境は標的外れで不毛である。あまりにも物質主義的な教育がなされているからだ。・・・物質主義者・功利主義者になるための教育を受けた彼らは、倫理上の価値や理想、また社会的な義務について語ることに対しては、たとえ抽象的な論理的訓練としてさえ、何の興味も持たないのである。例えば日本の若者たちは「愛」を知らない。」(p47~48)

いや、「若者に限らず、日本人の殆どは「愛」を知らない」という声が聞こえてきそうなところだが・・・。
極めつけは、次のくだりである。

 「コンピュータ化、機械化、ロボット化は、さまざまな産業分野で進行している。・・・最終的には、労働者同士が疎外され、言葉も交わさなくなる。労働者自身も、一種の機械と化してしまうのである。このような生活が、大学を卒業したら待っているのである。そこには高次元のものへの忠誠心---抽象的なプリンシプルに対する畏怖心---は一切ない。
 では彼らは家に帰って何をするか。テレビの前に座って、多少なりとも気紛れにボタンを押してチャンネルを選ぶ。放送されている番組はどのチャンネルも似たり寄ったりであるから、選ぶという行為に意味はない。・・・夕食後の家庭生活も、多かれ少なかれ似通っている。ここでもまた、機械のために、家族員相互間に疎外現象が生じる。家族員同士の会話が殆どないからである。・・・
 けれどもこのような家庭生活でも、コンピュータ化と機械化の時代の生産様式によく適合した、社会構造の一環であることを忘れてはならない。だからこういう家庭のあり方は、将来簡単に変わると期待できないであろう。・・・」(p48~49)

「AIの導入」を追加し、「テレビ」を「スマホ」に置き換えれば、現代日本の中流層のライフスタイルの描写として通用するだろう。
私は、これは全く他人事だとは思えない。
私自身も、これに似た生活を送っていた時期があるし、こうした人たちや家庭をたくさん見てきたからである。
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背景的情動としての「無気力」(1)

2025年01月03日 20時21分21秒 | Weblog
ベートーヴェンは、「なぜ作曲するのか?」という問いに対して、次のように答えた。
なぜ私は作曲するか?---〔私は名声のために作曲しようとは考えなかった〕私が心の中に持っているものが外へ出なければならないのだ。私が作曲するのはそのためである。」(ゲーリングに)

これを読んで、「やっぱり天才は違うな~」と感じる人も多いだろうが、「天才」の一言で片づけてしまうのは、おそらく間違いである。
あらゆる天才について言えることだが、やはり「環境」も大事であり、これが「天才」を殺してしまうこともあるのである。
例えば、仮に、ベートーヴェンが現在の日本の一般家庭に生まれ育ち、正規の教育を受けたとしてみよう。
その場合、彼の音楽的才能は十全に開花し、彼は「楽聖」と呼ばれる域に達していただろうか?
彼が、日本の小学校・中学校の義務教育を受けて、一般的な高校の普通科に入学したとしてみよう。
そこでは、「芸術」は別として、これでもか!これでもか!といわんばかりの、たくさんの科目を「詰め込まれる」のである(文部科学省 高等学校学習指導要領について)。
このカリキュラムで3年間を過ごした人物が、後に「楽聖」となる可能性は、限りなくゼロに近いのではないだろうか?
もっとも、ベートーヴェンの“初等・中等教育”が、理想的なものであったというわけではない。
ロマン・ロランも指摘するとおり、
つらい子供時代---そこには、いっそう幸運なモーツァルトの幼時を取り巻いていたような家庭的な愛情の雰囲気が無かった。最初からしてすでに彼にとっては人生は悲しく冷酷な戦いとして示された。父は彼の音楽の才能を利用して、神童の看板をくっつけて子供を食いものにしようとした。」(「ベートーヴェンの生涯」p25)」
からである。

ベートーヴェンは1770年12月16日、ドイツ中西部のボンで、宮廷のテノール歌手だった父ヨハンと、母マリア・マグダレーナのもとに生まれた。ヨハンはモーツァルト父子を理想として、3歳から息子を教育。その甲斐あって、ルートヴィヒは7歳にして演奏会を開き、11歳で作品を初出版するなど、幼少から類稀な楽才を発揮した。 その一方、息子が曲を弾き通せるまで、食事も与えずに部屋へ閉じ込め、暴力も厭わなかった父親は、やがてアルコール依存症で失職。ルートヴィヒや3歳年下の弟カスパルら子供たちに、いっそう辛く当たるように。そんな生い立ちが、その後のルートヴィヒの人格形成へ、暗い影を落とすこととなる。 11歳からは、作曲と鍵盤楽器を大家クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに学んだ。16歳の時にはウィーンへ赴き、敬愛するヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの前で即興演奏。これを聴いた天才作曲家は感嘆し、「諸君、注目し給え! 彼はやがて、世間を驚かせるだろう!」と叫んだとも伝わるが、これを事実と裏付ける証拠はない。 その5年後の1790年末。20歳を迎えたばかりのベートーヴェンは、1回目のロンドン訪問の途中にボンへ立ち寄った、ヨーゼフ・ハイドンと知己に。1792年の夏に再会した折り、若き楽聖は大作曲家に弟子入りを志願して認められ、秋にはウィーンへ移住。師弟関係は、ハイドンが2度目のロンドン訪問へと旅立つ、2年後まで続いた。

ちなみに、不幸なことに、ベートーヴェンは父のアルコール依存症を受け継いいたようで、後に酒精飲料の過剰摂取から宿痾ともいうべき腸カタルを発症しているので、「健康法」などの科目(現在の高校では必修科目ではないが・・・)を学んでおいたら良かったのかもしれない。
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Es muss sein!(そうでなければならない!)

2025年01月02日 06時30分00秒 | Weblog
ほのカルテット
  弦楽四重奏曲 ヘ長調 Op.59-1「ラズモフスキーNo.1」
  弦楽四重奏曲 ホ短調 Op.59-2「ラズモフスキーNo.2」
  弦楽四重奏曲 ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキーNo.3」
クァルテット・エクセルシオ
  弦楽四重奏曲 変ホ長調 Op.127
  弦楽四重奏曲 変ロ長調 Op.130
  弦楽四重奏曲 変ロ長調 Op.133「大フーガ」
古典四重奏団
  弦楽四重奏曲 嬰ハ短調 Op.131
  弦楽四重奏曲 イ短調 Op.132
  弦楽四重奏曲 へ長調 Op.135

 べートーヴェン三昧のもう一つは、「ベートーヴェン 弦楽四重奏曲【9曲】演奏会」。
  会場は東京文化会館の小ホールで、弦楽四重奏曲にはうってつけだと思う。
 というのも、この種の「横に広い」中小規模のホールは、ピアノだと両端に音が届かないものの、弦楽器だとほぼ全体に音が届くのである。
 だが、この形状のホールは意外にも少ない。
 ちなみに、大ホールでは、コバケン先生による「第22回ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会」が開催されており、この建物全体がベートーヴェン一色に染まっていた。
 さて、トップバッターの「ほのカルテット」は若いメンバーで、中期の作風を代表する「ラズモフスキー」を演奏。
 ときおりモーツァルトのエコーが響くように感じるのは、ベートーヴェンがまだ若さを保っていた時期の曲だからなのだろうか?
 次は、「クァルテット・エクセルシオ」による12番、13番と大フーガ。
 晩年の曲ということもあり、「ラズモフスキー」とは曲想が全く違っている。
 13番の「カヴァティーナ」は、安らぎの極致のような曲で、こういう曲を書いてしまうと、作曲家の死は近い。
 1791年6月17日に「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を書きあげたモーツァルトは、同じ年の12月5日に死んだのだ。
 トリは「古典四重奏団」による14番、15番、16番。
 全曲暗譜で、しかも息がピッタリ合っている。
 7楽章まである14番はやや奇をてらい過ぎたところがありそうだが、15番は完璧というほかない。
 特に、3楽章は、「天界の現前化」という言葉がピッタリくる。
 ワーグナーが、
 「人間はこのように非地上的なものを聞く資格があるかどうか、疑問にさえ思われる。
と言ったのもむべなるかな(バッハ発、ワーグナー行き(7))。
 譬えて言うと、(ベートーヴェンが大好きだった)森に空から金色の雨が降る中で、天に延びる虹の橋を昇って行くようなイメージである。
 なので、曲想は、「天界から地上を見下ろす」というものに思える。
 ところが、4楽章ではうって変わり、再び地上に戻って天界を見上げるというイメージ。
 私見では、16番でもこの構成が踏襲されており、3楽章は天界を、4楽章は地上をそれぞれあらわしていると感じる。
 4楽章には、
 Muss es sein? (そうでなければならないのか?)
 Es muss sein!(そうでなければならない!)
という2つのモティーフが頻繁に登場し、最後は、
 Es muss sein!(そうでなければならない!)
で締めくくられる。
 こうしてべ―トーヴェンは、天界に昇る前に地上に戻り、人類に音楽を遺してくれたのである。
 
 
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入場のタイミング

2025年01月01日 06時30分00秒 | Weblog
指揮:小泉和裕
ソプラノ:迫田美帆
メゾソプラノ:山下裕賀
テノール:工藤和真
バリトン:池内響
合唱:新国立劇場合唱団

 2024年に行ったコンサートは、特に意図したわけではないけれども、半分くらいがベートーヴェンがらみだったような印象である。
 年を取ってくると、ベートーヴェンの偉大さが身にしみてわかってくるようだ。
 最終週もやはりベートーヴェン三昧で、まずは定番の「第九」である。
 年末定番の「くるみ割り人形」と同様に、「第九」も毎年出来るだけ違うオーケストラ・歌手で聴くようにしているのだが、今年は都響をチョイス。
 歌手が全員日本人で、かつ、迫田さん(11月のポトラッチ・カウント(7))と工藤さん(客席への降臨)は何度か聴いて私がすっかり惚れ込んでいるというのも理由の一つである。
 ところで、「第九」で難しいのは、合唱団とソリスト歌手の入場のタイミングである。

 「◆第4楽章だけがまるで第九かのようになるパターンD 
(中略)
 Dは、オーケストラだけの第1~第3楽章と「合唱」の第4楽章が完全に切り離されるので、およそ考えにくいパターンだと思います。ところが、2010年大晦日にロリン・マゼールが「ベートーヴェン全交響曲連続演奏会」で指揮したときは、第4楽章前にソリストが入場したそうです。かなり珍しいのではないでしょうか。
 ここで小噺をひとつ。『第九』を歌うことになったサラリーマンが会社の上司をコンサートに招待したときのこと。
 部長  いやあ、なかなか素晴らしい演奏だったね。僕は音楽のことはあんまりわからないけれど、とても感動したよ。
 係長  それはどうもありがとうございます。喜んで頂けてよかったです。
 部長  オーケストラもソリストもとてもよかった。もちろん合唱もよかったよ。
 係長  練習けっこう厳しかったんです。
 部長  そうだろうね…。ドイツ語もずいぶん難しそうだしね。ところで、『第九』の前に延々とやっていたあの曲は何だったのかね。
 係長  ??!! 
」 

 今回の都響は、合唱団は最初から入場させ、ソリストは2楽章の終わりに入場させた上で、3楽章の最後と4楽章の最初をアタッカでつないだ。
(ちなみに、2023年に聴きに行った「第九」では、3楽章の後で休止を入れたのだが(「合唱」とトイレ)、これはやはり宜しくないと思う。)
 私見では、これは、音楽性を損なわず、かつソリストへの負担を少なくするための、ほぼ唯一の選択肢だと思う。
 ・・・ところで、4楽章の歌が始まってすぐビックリしたのは、バリトン歌手の声が素晴らしく響いたことである。
 歌手の方の名前は、その名もズバリ、池内響(いけうちひびき)さん。
 名前からすると、サントリー・ホールではもっと声が響いたのではないかと推察する。
 さて、今回の会場である東京文化会館は、2026年5月から大規模改修工事のため休館となるため、その前にここで年末に「第九」が聴けるのは今年(2025年)が最後となる(東京文化会館大規模改修に伴う全館休館のお知らせ)。
 というわけで、今のうちに、今年東京文化会館で開催される「第九」を探しておこうと思う。
 

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