図説 日本の財政 令和3年度版
「我が国の医療費は現在も毎年度数千億~1兆円近く増加しており、今後の高齢化の進展により、さらに急激な増大が見込まれている。直近(平成30年度)の国民医療費は43兆3949億円(このうち70歳以上医療費は21兆6708億円)だが、厚生労働省の推計によれば、2025(令和7)年度には54.4~54.9兆円に増大すると見込まれている。
現在の医療費の財源構成を見ると、保険料が約半分(49.4%)を占めており、そのほか国庫25.3%、地方負担12.9%、患者負担11.8%などとなっている。」(p105)
(社会保障関係費(主要経費別)では、年金給付費:12兆7005億円、医療給付費:11兆9821億円となっている(p107)。)
学生時代にシュンペーターの「租税国家の危機」を読んで、「日本に限らず、高齢化が進んだ国は、社会保障のために破滅するんだろうな」と予感していた。
そして、「租税国家の危機」が真っ先に到来したのはおそらく日本ではないか?
そのことは、上に引用した短い文章を読むだけで分かるだろう。
ここにも、「国家」の不存在(不成立)と、「デモクラシーの病理」である(利益)多元主義の深刻な問題状況を見ることができる。
まず、前提として、診療報酬がどうやって決まるかという問題がある。
これについては、いわゆる「審議会方式」が採用されており、2007年までは、厚生労働大臣の諮問機関である「中央社会保険医療協議会」(中医協)が事実上の決定権を持っていたとされる。
この制度(旧制度)においては、診療報酬の決定に関して国会の直接的なコントロールは及ばない代わりに、支払側・診療側・公益代表という中医協の委員の構成(三者構成)が法定されており、かつ、公益委員に関してはその任命に衆参両院の同意を要件としている。
これは、労働委員会や最低賃金審議会の仕組み(労働側・使用者側・公益代表の三者構成)と類似しており、一見すると合理性を有しているように見える。
だが、私見では、この時点で既に問題を生じさせる原因を作り出してしまっていたと思われる。
というのは、典型的には解雇の効力を争う事案を考えると分かりやすいが、三者構成は、「有効か無効か?」という二値の問題を扱うのには相応しいが、「利益の配分」という問題については際限のない”綱引き”を招く結果に陥りやすいのである。
また、ある程度”相場感覚”がある(市場原理となじむ)賃金とは違って、診療報酬は、”相場”が掴みにくいという側面がある。
さらに、支払側と診療側を1:1、つまり対等にしてしまった上に、支払側の委員は健保組合、協会けんぽ、経団連や連合などの「他人の金」を扱う人たちが大半という構成にも疑問(当事者適格があやしい)があった。
これだと、好むと好まざるとにかかわらず医療を必要とする支払側の立場がどうしても相対的に弱くなる(反面、診療側の力が過大に反映される)という結果を招きやすいのである。
さて、このような、利益多元主義における「デモクラシーの病理」は、私見では、2つのキーワードによって表現することが出来ると思う。
それは、「『現状』という偽の均衡状態の硬直化」と、「『現状』の維持又は打破を狙った外部勢力の援用」である。
「我が国の医療費は現在も毎年度数千億~1兆円近く増加しており、今後の高齢化の進展により、さらに急激な増大が見込まれている。直近(平成30年度)の国民医療費は43兆3949億円(このうち70歳以上医療費は21兆6708億円)だが、厚生労働省の推計によれば、2025(令和7)年度には54.4~54.9兆円に増大すると見込まれている。
現在の医療費の財源構成を見ると、保険料が約半分(49.4%)を占めており、そのほか国庫25.3%、地方負担12.9%、患者負担11.8%などとなっている。」(p105)
(社会保障関係費(主要経費別)では、年金給付費:12兆7005億円、医療給付費:11兆9821億円となっている(p107)。)
学生時代にシュンペーターの「租税国家の危機」を読んで、「日本に限らず、高齢化が進んだ国は、社会保障のために破滅するんだろうな」と予感していた。
そして、「租税国家の危機」が真っ先に到来したのはおそらく日本ではないか?
そのことは、上に引用した短い文章を読むだけで分かるだろう。
ここにも、「国家」の不存在(不成立)と、「デモクラシーの病理」である(利益)多元主義の深刻な問題状況を見ることができる。
まず、前提として、診療報酬がどうやって決まるかという問題がある。
これについては、いわゆる「審議会方式」が採用されており、2007年までは、厚生労働大臣の諮問機関である「中央社会保険医療協議会」(中医協)が事実上の決定権を持っていたとされる。
この制度(旧制度)においては、診療報酬の決定に関して国会の直接的なコントロールは及ばない代わりに、支払側・診療側・公益代表という中医協の委員の構成(三者構成)が法定されており、かつ、公益委員に関してはその任命に衆参両院の同意を要件としている。
これは、労働委員会や最低賃金審議会の仕組み(労働側・使用者側・公益代表の三者構成)と類似しており、一見すると合理性を有しているように見える。
だが、私見では、この時点で既に問題を生じさせる原因を作り出してしまっていたと思われる。
というのは、典型的には解雇の効力を争う事案を考えると分かりやすいが、三者構成は、「有効か無効か?」という二値の問題を扱うのには相応しいが、「利益の配分」という問題については際限のない”綱引き”を招く結果に陥りやすいのである。
また、ある程度”相場感覚”がある(市場原理となじむ)賃金とは違って、診療報酬は、”相場”が掴みにくいという側面がある。
さらに、支払側と診療側を1:1、つまり対等にしてしまった上に、支払側の委員は健保組合、協会けんぽ、経団連や連合などの「他人の金」を扱う人たちが大半という構成にも疑問(当事者適格があやしい)があった。
これだと、好むと好まざるとにかかわらず医療を必要とする支払側の立場がどうしても相対的に弱くなる(反面、診療側の力が過大に反映される)という結果を招きやすいのである。
さて、このような、利益多元主義における「デモクラシーの病理」は、私見では、2つのキーワードによって表現することが出来ると思う。
それは、「『現状』という偽の均衡状態の硬直化」と、「『現状』の維持又は打破を狙った外部勢力の援用」である。