オペラ公演ラインアップ「ルル」・・・東京二期会
「かつて貧民街で暮らしていた少女ルルは、新聞社の編集長シェーン博士に拾われ、彼好みの女性として成長する。次第にルルは、妖艶な魅力を放つようになり、シェーンは彼女と関係を持つ。ルルと愛人関係を続けるシェーンだが、彼は高級官僚の娘と交際を始め、ルルを初老の医事顧問と結婚させてしまうのだ。
ある日、ルルの肖像画を描いていた画家が、彼女に魅了され、言い寄り始める。事の次第を知った夫の医事顧問は、心臓発作で死んでしまう。ルルは画家と再婚するが、ルルの汚れた過去の真実を知り、彼もまたショックで自殺する。
ルルはついに望み通り、シェーンと結婚する。しかし、男女を問わず怪しげな信奉者たちとの関係を続けるルルに、嫉妬で常軌を逸したシェーンは、ルルに拳銃を持たせて自殺を強いるが・・・。」
昨年7月に上演されるはずだった新作オペラの延期公演。
あらすじをちょっと読むだけで、「これはヤバい」という感じだが、単なる「ファム・ファタル」ものではない。
「ファム・ファタル」劇の場合、女主人公に翻弄される男(例えば、「カルメン」のドン・ホセ)の方に焦点があてられることが多いが、本作はそうではない。
そのことを示すのが、ルルに寄り添うように動くダンサーで、これは彼女の魂を象徴しているらしい。
これによって、本作が、自分の魂はすぐそばに・常に存在するにもかかわらず、そのことに気づかなくなってしまうルルの物語であることが分かる。
ルルに近づく男たち(及び同性愛者の女性)はみなルルに魅了され、全員が彼女に求婚するような有様である。
ルルの方も、12歳のころから娼婦のように育成されてきて、周囲の人間が自分を性の対象としてしか見ないため、自分自身を、魂の抜けた抜け殻=身体のみの存在としてしか把握できなくなってしまう。
要するに、アイデンティティが完全に他者によって規定されてしまうために、自分の魂が行方不明になっているわけである。
なんだか、原作が読みたくなってきた。
「かつて貧民街で暮らしていた少女ルルは、新聞社の編集長シェーン博士に拾われ、彼好みの女性として成長する。次第にルルは、妖艶な魅力を放つようになり、シェーンは彼女と関係を持つ。ルルと愛人関係を続けるシェーンだが、彼は高級官僚の娘と交際を始め、ルルを初老の医事顧問と結婚させてしまうのだ。
ある日、ルルの肖像画を描いていた画家が、彼女に魅了され、言い寄り始める。事の次第を知った夫の医事顧問は、心臓発作で死んでしまう。ルルは画家と再婚するが、ルルの汚れた過去の真実を知り、彼もまたショックで自殺する。
ルルはついに望み通り、シェーンと結婚する。しかし、男女を問わず怪しげな信奉者たちとの関係を続けるルルに、嫉妬で常軌を逸したシェーンは、ルルに拳銃を持たせて自殺を強いるが・・・。」
昨年7月に上演されるはずだった新作オペラの延期公演。
あらすじをちょっと読むだけで、「これはヤバい」という感じだが、単なる「ファム・ファタル」ものではない。
「ファム・ファタル」劇の場合、女主人公に翻弄される男(例えば、「カルメン」のドン・ホセ)の方に焦点があてられることが多いが、本作はそうではない。
そのことを示すのが、ルルに寄り添うように動くダンサーで、これは彼女の魂を象徴しているらしい。
これによって、本作が、自分の魂はすぐそばに・常に存在するにもかかわらず、そのことに気づかなくなってしまうルルの物語であることが分かる。
ルルに近づく男たち(及び同性愛者の女性)はみなルルに魅了され、全員が彼女に求婚するような有様である。
ルルの方も、12歳のころから娼婦のように育成されてきて、周囲の人間が自分を性の対象としてしか見ないため、自分自身を、魂の抜けた抜け殻=身体のみの存在としてしか把握できなくなってしまう。
要するに、アイデンティティが完全に他者によって規定されてしまうために、自分の魂が行方不明になっているわけである。
なんだか、原作が読みたくなってきた。