ジュゼッペ・ヴェルディ ドン・カルロ Don Carlo/Giuseppe Verdi 全4幕〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉
マルコ・アルトゥーロ・マレッリ:
「ヴェルディはこのオペラにおいて、強固な全体主義の権力機構、ここでは教会と結合した国家が、いかに個人の自由を抹消し、個人の幸せの実現を不可能とするかを、強い迫力で描いています。・・・
・・・今回の舞台では、中央にこの作品のストーリー上のポジティヴでもありネガティヴでもある象徴として十字架が立っています。それは人々が切望しているあの世でのより良い世界への希望の像として、しかしまた同時にこの世の人生に耐えがたい苦しみを与え、かつ耐えがたい不安で満たすようなカトリック教会と結びついた、独裁制による残酷な人間軽視のテロの印としてもその十字架は立っているのです。」
これだけ正確に解釈され、舞台芸術として見事に表現されるのであれば、ヴェルディ様も大満足だろう。
これに比べると、山田洋次監督の「東京家族」は、私見では、「東京物語」の解釈を完全に誤ったものと思われ、小津安二郎監督に対する冒瀆に近い。
オペラや映画に限らず、あらゆる芸術作品に「唯一の」正しい解釈などというものはないが、ある程度において、「正しい解釈」といったものは存在するはずなのだ。
マルコ・アルトゥーロ・マレッリ:
「ヴェルディはこのオペラにおいて、強固な全体主義の権力機構、ここでは教会と結合した国家が、いかに個人の自由を抹消し、個人の幸せの実現を不可能とするかを、強い迫力で描いています。・・・
・・・今回の舞台では、中央にこの作品のストーリー上のポジティヴでもありネガティヴでもある象徴として十字架が立っています。それは人々が切望しているあの世でのより良い世界への希望の像として、しかしまた同時にこの世の人生に耐えがたい苦しみを与え、かつ耐えがたい不安で満たすようなカトリック教会と結びついた、独裁制による残酷な人間軽視のテロの印としてもその十字架は立っているのです。」
これだけ正確に解釈され、舞台芸術として見事に表現されるのであれば、ヴェルディ様も大満足だろう。
これに比べると、山田洋次監督の「東京家族」は、私見では、「東京物語」の解釈を完全に誤ったものと思われ、小津安二郎監督に対する冒瀆に近い。
オペラや映画に限らず、あらゆる芸術作品に「唯一の」正しい解釈などというものはないが、ある程度において、「正しい解釈」といったものは存在するはずなのだ。