エマーソンのいわゆる「世界が完成する日」について補足。
ちくま学芸文庫のニーチェ全集「ツァラトゥストラ」(下)p512からの孫引きであるが、エマーソンの「エッセー」に、
「世界がその完成に到達するような・・・・・・日々がある。・・・・・・限りなく長いこの日は、広々とした丘や暖かい広野の上に眠るがごとく安らう」というくだりがある。だが、これがいつの季節を指すかは明らかでない。
ちなみにニーチェは、長文の書簡で、「・・・・・・それはエマーソンが極めて見事に叙述しているように、丘の上に広々と居心地よく安らうあの美しい夏の日々に似ています。そのとき自然は、彼の言うように、完成するのです・・・・・・」(以上、「」内はいずれも上記書籍より引用)と述べて、「夏の日々」であると解釈している。
ちくま学芸文庫のニーチェ全集「ツァラトゥストラ」(下)p512からの孫引きであるが、エマーソンの「エッセー」に、
「世界がその完成に到達するような・・・・・・日々がある。・・・・・・限りなく長いこの日は、広々とした丘や暖かい広野の上に眠るがごとく安らう」というくだりがある。だが、これがいつの季節を指すかは明らかでない。
ちなみにニーチェは、長文の書簡で、「・・・・・・それはエマーソンが極めて見事に叙述しているように、丘の上に広々と居心地よく安らうあの美しい夏の日々に似ています。そのとき自然は、彼の言うように、完成するのです・・・・・・」(以上、「」内はいずれも上記書籍より引用)と述べて、「夏の日々」であると解釈している。
「ツァラトゥストラかく語りき」というかニーチェ作品を読んだこと自体ないのですが、どういった文脈で引用されているのでしょうか。超人とか、永劫回帰とかキーワードは何となく憶えているんですが・・・
ちなみに、エマーソンはナイーブな自然の崇拝者といった感じで、直感的に「世界が完成する瞬間」を表現したものと思います。ニーチェはそれにヒントを得て、哲学的に構成したのでしょうか。
やはり同書を手にとって読まれることをお勧めします。