一般の人は意外に思うかもしれないが、裁判所の内部では「恐怖心」による統制が行なわれている。
「最高裁長官、事務総長、そして、その意を受けた最高裁判所事務総局人事局は、人事を一手に握っていることにより、いくらでも裁判官の支配、統制を行うことが可能になっている。不本意な、そして、誰がみても「ああ、これは」と思うような人事を2つ、3つと重ねられてやめていった裁判官を、私は何人もみている。
これは若手裁判官に限ったことではない。裁判長たちについても、前記のとおり、事務総局が望ましいと考える方向と異なった判決や論文を書いた者など事務総局の気に入らない者については、所長になる時期を何年も遅らせ、後輩の後に赴任させることによって屈辱を噛み締めさせ、あるいは所長にすらしないといった形で、いたぶり、かつ、見せしめにすることが可能である。
さらに、地家裁の所長たちについてさえ、当局の気に入らない者については、本来なら次には東京高裁の裁判長になるのが当然である人を何年も地方の高裁の裁判長にとどめおくといった形でやはりいたぶり人事ができる。これは、本人にとってはかなりのダメージになる。プライドも傷付くし、単身赴任も長くなるからである。」
全国展開しているカイシャの場合、「転勤地獄」を見せつけて「恐怖心」を煽る手法が可能であり、裁判所はその手本といってよい。
なお、「事務総局」という言葉に惑わされやすいが、これはかつての司法省における「大臣官房」と考えると分かりやすい。
行政学を学ぶと必ず出て来るが、「官房」はプロイセンの官僚制を明治期に日本に導入したもので、ピラミッド型官僚組織における最上位の内部組織を指す。
「官房三課」と言うように、通常「人事」「総務」「会計」を担当し、ヒト・モノ・カネの全てを差配する。
民間企業で言うと、人事部・総務部・経理部がこれに相当する。
全国展開しているカイシャだと、とりわけヒト=人事を差配することによって社員をコントロールしようとする傾向が強い。
瀬木先生も指摘するとおり、「もう二度と関東には戻さないぞ!」などという威嚇が簡単に出来てしまうからである。
明治維新の負の遺産だと思うのだが、官民問わず多くの官僚主義的なカイシャがこれを真似てしまい、いまだに社員に「恐怖心」を植え付けるための「アメとムチ」(あるいは、主としてムチ)として使っているわけである。
なので、この種のカイシャの社員の家では、今頃は奥さんや子どもから、
「お父さん、次はどこに転勤?もう私たちは付いて行かないからね」
などという厳しい言葉が発せられているはずだ。
かくして、社員はカイシャでも家庭でも「恐怖心」と戦いながら日々を送ることになる。