Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

10月のポトラッチ・カウント(8)

2024年10月31日 06時30分00秒 | Weblog
第2場 人間界の染色工場 (遺伝子操作研究所)
 研究所の所長バラクは、名もない孤児を買い、無給で家の掃除をして料理を作り、子どもを産むため、妻として研究所に連れてきた。彼女は反抗的で義務を果たすことを拒み、バラクの3人の兄弟からいびられているが、彼はいつか二人が幸せな夫婦になれると確信している。
 不幸なバラクの妻は、皇后と乳母にとって、子を産む能力や赤ん坊、すなわち自分の影を売ってくれるいいカモに見えた。乳母は、子産み機として強いられるのを拒む妻を励まし、妊娠によって美しさを損なってしまうと警告する。だが魔法で主治医のような人物を出現させることや富の約束も、疑り深いバラクの妻を説得することはできない。
 夫のバラクは、女たちの間で何が起こっているのか知らず、客たちと研究所のメンバー全員を招いて、無礼講なパーティーを開く。
(第3場 省略)
第4場 人間界の染色工場 (遺伝子操作研究所)
 バラクの妻は皇帝により影を得た(身籠った)後、皇帝とともに研究所を去る。皇后はそれに倣った結果、バラクから影をもらう(子を身籠る)。しかし自分の罪の意識に気づき独断で幕を閉じることにより、本公演の第1部が終わる。

 ホフマンスタールはシュトラウスの手紙で、
 「重要なのは皇后だ
と指摘している(公演パンフレットp25)。
 だが、それに劣らず重要なのは、もともと孤児であったところをバラクに拾われたバラクの妻だろう。
 第4場のあらすじに、「皇后は・・・バラクから影をもらう(子を身籠る)」とある。
 霊界の存在である皇后が身籠ることはあり得ないから、これは奇蹟というほかない出来事である。
 奇蹟を生んだのはもちろん皇后自身だが、それに先行してバラクの妻が身籠ったからこそ、この奇蹟が生まれたのである。

エピローグ 第5場 中間世界の地下室 (心理療法の治療)
 バラク夫婦と皇后は、自分たちの体験と心理的に折り合いをつけようと懸命に努力する。にもかかわらず、乳母(セラピスト)は患者の気持ちを静めることができず、カイコバートの伝令使(役人)に追い出されてしまう。
 皇帝はすでに心の中で石になってしまったように感じた。思いがけず、皇后は赤ん坊を出産する。
 
 第6場 別の場所、別の時におけるエピローグ (高級レストラン)
 それから少し経っても、5人の主人公はまだ平和を見つけられずにいる。昔からの争いが再び勃発し、夫婦間の衝突はさらにエスカレートする。乳母は、古い童謡にあるように、すべての不可解な出来事には「超自然的な力が働く」という言葉で締めくくる。
 
 ここが原作を大きく改変したところである。
 原作はどうなっていたかというと、
 「・・・なんとか子どもを手に入れようと、皇后は自分の見張り役でもある乳母とともに人間の世界へ向った。見つけたのは染物屋バラクとその妻だ。浪費家で男好きの妻は「影」を売ってもいいと思っている。交渉は成功したものの、妻の不実にバラクは怒り、怒る夫の姿にバラクの妻は改めて愛を感じるようになる。それを見て皇后もためらう。石になろうとする夫の前で皇后が影をあきらめた時、奇跡が起った。皇后は元の姿に戻った皇帝と抱き合いバラクと影を取り戻した妻も夫との絆を確認した。生まれていない子どもたちの声が聞こえる。」(前掲p25)。

 この「子どもは生まれない」ハッピー・エンドの筋書きを、コンヴィチュニーは、「子どもは生まれる」ものの、これ以上はないといって良いくらいのバッド・エンドに変えてしまった!
 何と、皇帝とバラクは、皇后とバラクの妻を拳銃で打ち殺し、皇帝は赤ん坊を連れて車いすで逃げ去るのである(遠方の席から観ていたので見間違えがあったらごめんなさい。)。
 さあ、東京文化会館のお客さんの反応はいかに?
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10月のポトラッチ・カウント(7)

2024年10月30日 06時30分00秒 | Weblog
 「第1場 霊界の皇帝の宮殿(地下駐車場)
 1年前、「皇帝」と呼ばれるマフィア組織のボスは、狩猟中に白いカモシカの姿で現れた敵対する 「霊界の王」カイコバートの娘に恋をし、親しい「鷹」の助けを借りて彼女を捕らえた。しかし、皇帝は感謝するどころか、狩りの仲間であった鷹が、新たに選んだいわゆる 「皇后」を捕獲した際に、彼女の額に血まみれの傷を負わせたことに腹を立て、鷹を追い払ってしまう。
 カイコバートの娘は皇帝のもとで外界と接することなく暮らしており、彼女の乳母だけが付き添っている。皇帝はこれまで夜毎に皇后の寝室を訪れたが、12ヶ月経っても后は影を持たない。それは后が子を宿していないことを意味する。娘をかどわかされた権力者の父カイコバートは激怒し、娘が影を得なければ皇帝を「石」(コンクリート詰め)にすると脅し、毎月使者を乳母に送った。12番目の使者は圧力を強める。乳母は皇后に、皇帝を死から救う期限があと3日に迫っていることを伝えなければならない。皇后は皇帝を救うために、乳母と一緒に全く未知の人間界へ胎児を求めに行く。

 ホフマンスタール&R.シュトラウスの”黄金コンビ”による難解なオペラ作品。
 クラウドファンディングに参加した私はお礼としてチケットをもらったのだが、最上階(5階)の右端の席で、オペラグラスは必須であるにもかかわらず持って来るのを忘れてしまった。
 なので、舞台上の細かいところは見えず、主に音楽に集中することにした。
 フロイト先生を崇拝していたホフマンスタールのことゆえ、もちろんストーリーは緻密に組み立ててあるのだが、やはり難解すぎる。
 ストーリーの難解さに加え、”影”=胎児という設定が今日のポリコレ基準には適合しないためか、上演機会は極めて少ないそうである。
 さて、演出のP.コンヴィチュニーは、原作のうち終幕(第2幕)を大きく改変したことを宣言しているが、第1幕は一応原作を踏襲しているのではないかと推測する。
 とはいえ、第1幕の第1場からして理解不能に近い。
 「皇帝」は、カイコバートの娘(=「皇后」)を霊界から誘拐した代償として、カイコバートから、
 「娘が影を得なければ皇帝を「石」(コンクリート詰め)にする
という脅迫を受ける。
 これは、”返礼する義務”を強制するものであり、変形ポトラッチと見て良いと思う。
 もっとも、「皇后」は霊界の出身なので、人間の胎児を宿すはずがない。
 そこで、彼女と乳母は、胎児を求めて人間界へと旅立つ。
 この設定は、バレエ(だいたい2幕)でよく出て来る、「現世の人間が『異界』に迷い込む」という筋書き(ジゼル、くるみわり人形など)とは正反対であり、私も初めて観た。
 ちなみに、本作では廻り舞台を使用しており、第1場=地下駐車場の反対側は第2場=遺伝子操作研究所となっている。
 
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10月のポトラッチ・カウント(6)

2024年10月29日 06時30分00秒 | Weblog
 「時は平安の世。生まれながらの気品と美しさを兼ね備えた光源氏は、愛人としている六条御息所のもとを訪れます。楽しい時間を過ごすうち、六条御息所は光源氏との子を身籠る葵の上を嫉み、詰(なじ)ります。光源氏が堪えかねて屋敷を去ると、六条御息所は悲しみに暮れ、次第に嫉妬に狂い…。

 ”玉三郎二本立て”の2本目は、「源氏物語」(六条御息所の巻)。
 新作ということで期待していたのだが、私見では、成功作とは言い難い。
 構成において大きく2つの難点があるからである。
 一番大きな難点は、ラストで葵上が死なないところ、つまり、原作をいわばハッピーエンドの方向に改変したところである。
 ラストでは、光源氏が駆け付けて、
 「私と葵、そしてこの子は固い絆で結ばれている。お前が付き入る隙はない
と六条御息所の生霊を一喝し、力強く葵を抱きしめるところで幕が閉じる。
 だが、これでは迫力がないし、紫式部に対して失礼というものだろう。
 やはりここは、
 「息絶えた葵を抱き起す光源氏と、その傍らで母を喪って泣き叫ぶ赤子
でなければ収まりがつかないところである。
 2つ目の難点は、六条御息所が葵に対する殺意を抱く決定的な原因となった超重要シーンが、六条御息所の「語り」によって、アッサリと描写されただけで済まされてしまうところである。
 この「語り」を聞いていると、また、彼女が頻繁に発する、
 「どうせ私は日陰者じゃ!
というセリフを聞いていると、源氏より7歳年上で夫に先立たれた既婚者である御息所の「ヒステリー性被害妄想に起因する嫉妬」が生霊を生んだかのように誤解してしまいそうである。
 もちろん、これは間違いである。
 源氏はもともと年上の女性が好みであるし、既婚者であることを恋愛の障害とは考えていないからである。
 ここはやはり、「車争い」の場面をヴィジュアルに描写すべきところだった。
 つまり、土佐光吉が描いた構図を、舞台上に現前化すべきだったのである。

 「のちの御息所の生霊事件へと繋がる「車争い」を緻密な画風で描く
 本作で描かれているのは、『源氏物語』葵巻の車争い(牛車を止める場所を巡って、従者たちが争うこと)の場面。
 優雅な王朝貴族の物語の中にあってこの車争いの事件は後々の物語の展開に大きな影響を与える。
 葵祭の行列に加わることになった光源氏。その姿を一目見ようと大勢の見物人も集まった。
 ここで葵の上が乗っていた車とお忍びで来ていた六条御息所が乗っていた車とが小競り合いを起こしてしまう。この有名な場面を土佐光吉が賑々しく描いた。

 後からやって来た葵の上の下人が無礼にも御息所の車をぶち壊し、御息所一同を追い出してテリトリーを占拠してしまう。
 これによって、葵の上が御息所に対し完全に「マウントをとった」状態が実現した。
 これぞ、歌舞伎の世界でいう所の、「万座の恥」であり、これがほかの演目では、屈辱を受けた人物は殺人か自殺に直行するわけである。
 このシーンは5分くらいかけて描きたいところ。
 あ~あ、松竹は何ともったいないことをしたことか!
 ・・・というわけで、「源氏物語」では、六条御息所による殺害は未遂に終わり、葵上は「万座の恥」の代償となるのを免れた。
 よって、ポトラッチ・ポイントは、2.5:★★☆。
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10月のポトラッチ・カウント(5)

2024年10月28日 06時30分00秒 | Weblog
『婦系図』本郷薬師縁日 柳橋柏家 湯島境内」作:泉鏡花
演出:成瀬芳一
早瀬主税:片岡仁左衛門
柏家小芳:中村萬壽
掏摸万吉:中村亀鶴
古本屋:片岡松之助
坂田礼之進:田口守
酒井俊蔵:坂東彌十郎
お蔦:坂東玉三郎

 夜の部は”玉三郎二本立て”で、最初の演目は「婦系図」。
 だが、何とも恥ずかしいことに、私はチケットを買っておきながら、手帳には翌日のスケジュールとして書き込んでおり、公演当日をスルーしてしまった。
 「源氏物語」は何とか後日幕見席で観ることが出来たのだが、「婦系図」はそれも出来ず、結局観ていない。
 だが、こういう失敗は、実は歓迎すべきことなのかもしれない。
 というのも、観た方の批評を見ると、とても現在の感覚では受け入れがたいストーリーのように思われるからである。

 「本郷薬師の縁日。賑わう参道でスリの騒ぎが起こるところに居合わせたドイツ語学者の早瀬主税(ちから)は咄嗟にスリをかばってしまう。その様子を見ていた早瀬の師・酒井俊蔵は早瀬を呼び出し、筋のよくない女と別れるように迫る。
 実は幼いころにスリで生計を立てていたところ酒井に救われた過去を持つ早瀬は、元芸者のお蔦と所帯を持っていたが、恩師を捨てることなどできず、泣く泣くお蔦との別れを選ぶのであった。
 「・ハア?????????
 ・舞姫と同じ匂いを感じる。あれよりはマシだけど。男の勝手な都合で請け出されて(方々に不義理をして戻るつもりも道筋もなく芸者から足を洗っている)、勝手な都合で別れを切り出されて。私ならその場ではっ倒して啖呵切って砂かけて立ち去るね。……いや……、そうね……、こいぬみたいな顔で見られたら黙り込んでしまうかもしれない、仁左衛門さまなら…ぐぬぬ……黙って背を向けるだけにしておきます……
・全体的に場面が夜で客席も舞台も暗いのと、地味~~~~~で暗~~~~~いやりとりがメインなので、ところどころ意識が飛びました。が、後半はむかむかしちゃって全然眠れなかった。腹立つ!

 見ての通り、とても共感出来るようなストーリーではない。
 おそらく、私もこの方と同様の感想を抱き、終演後はひたすらムカムカするだけではなかったかと思うのである。
 いくら尊敬する恩師:尾崎紅葉の命令だからといって、お蔦と別れるというのは、余りにも主体性がないと思うのである。
 いや、その前に、尾崎紅葉の言動は、厚労省が示すパワハラ6類型の一つ:「個の侵害」(私的なことに過度に立ち入ること)にほかならない(厚生労働省が示す“パワハラ類型”の1つ「個の侵害」はなぜ起こる? 原因と解決のポイントを解説)。
 なので、これは断固拒否すべきであり、やはりここは、主税(=鏡花)にはお蔦を守り抜いて欲しかった。
 それに、私としては、「薄紅梅」の鏡花のイメージを壊されたくない。
 というわけで、主体性を欠く主税によりお蔦は自己犠牲を強いられたたことから、「婦系図」のポトラッチ・ポイントは、1.0。
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10月のポトラッチ・カウント(4)

2024年10月27日 06時30分00秒 | Weblog
 「かごかきの権三と相棒の助十が住んでいる神田の裏長屋。
 今日は、年に一度の井戸替えの日だ。夏の日ざしが照りつける中、長屋中が総出で作業をするが、騒ぎの方が多くて、なかなか作業がはかどらない。
 そこへ、長年この長屋に住んでいた小間物屋彦兵衛のせがれの彦三郎が、家主の六郎兵衛を訪ねて来た。彦兵衛は強盗殺人の罪で入牢中に病死したのだが、彦三郎は穏やかで人のいい父親がそんなことをするとは信じられず、無実を証明して父の汚名を晴らしたいと、はるばる大坂から来たのだった。
 それを聞いた権三と助十は、何やらもじもじ・・・。実はふたり、事件の夜に真犯人とおぼしき人物、左官屋の勘太郎を目撃していながら、かかわり合いになるのを恐れて、これまで黙っていたというのだ(大ひんしゅく~!)。
 やはり彦兵衛は無実の罪。しかし、名奉行と評判の大岡越前守の裁きで落着した事件を再審議してもらうにはどうしたものか・・・。六郎兵衛が知恵を絞る。
 権三、助十、彦三郎に縄をかけ、「彦兵衛は無実なのに家主が十分に訪ねなかったと暴れ込んできたので引き立ててきた」と訴え出れば、再審議になるのではないか。
 長屋のみんなの声援を受けて、権三たちは引き立てられていくのだった。
」 

 昼の部最期の演目は、岡本綺堂原作の「権三と助十」(【舞台映像】歌舞伎座『権三と助十』初日ダイジェスト)。
 岡本綺堂と言えば、「番町皿屋敷」が有名なので、グロテスク路線の作家かと勘違いしていた。
 本作を見る限り、ユーモアに富む、テンポのよい会話が絶品で、外国のお客さんも爆笑していた。
 「大岡政談」が元ネタらしいが、殺人の場面は出て来ず、大岡越前も登場しないものの、サスペンスの魅力が十分味わえる作品である。
 さて、物語に出て来るポトラッチとしては、引用した部分の”再審議”の直訴が挙げられる。
 当時、お上が下した裁判の再審を直訴することはご法度とされており、場合によっては罰が下る恐れがあった。 
 それにもかかわらず、権三と助十は、(大家さんの指示があったとはいえ)罰を恐れず引き立てられていったので、ポトラッチ・ポイントは、1.0×2人=2.0:★★。
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10月のポトラッチ・カウント(3)

2024年10月26日 06時30分00秒 | Weblog

 昼の部2つ目の演目は、「音菊曽我彩」(おとにきくそがのいろどり)。
 「寿曽我対面」に基づく新作だが、表題にある「音羽屋」、「菊」から分かるとおり、音羽屋、なかでも尾上眞秀君を主役に仕立てた演目である。
 だが、違和感を抱く人も多いと思うのは、眞秀君は12歳なのに、兄役の右近は32歳であり、兄弟というよりも親子という方がよいくらい年の差があるところである。

 「確執の火種になりかねない音羽屋の襲名問題。なぜ今になって動き出したのか。
「本来、菊之助さんの襲名は'20年5月に予定していた市川團十郎さんの襲名以降に行う予定でした。しかしコロナ禍で團十郎襲名は'22年10月に延期。歌舞伎の世界で最も格式の高い『團十郎』を差し置いて、『菊五郎』を襲名するわけにもいかず、菊之助さんはタイミングを失っていたんです。また、近年の七代目菊五郎さんは健康状態が芳しくなく、立って演技することが難しい状態。松竹としても“七代目菊五郎さんが舞台に立てるうちに襲名披露を実現したい”という思惑があり、W襲名発表を決意したのでしょう
 「愛息を菊之助に襲名させられず消沈しているであろう寺島もまだ野望を抱いているという。
「'23年に中村獅童さんとの共演で歌舞伎座の舞台にメインキャストとして出演して、女人禁制という慣習を打ち破り、新たな前例をつくりました。寺島さんは今後も歌舞伎を続けて、成長した眞秀くんと共演する“母子歌舞伎”を行いたいと考えているんです。歌舞伎は伝統芸能であると同時に、話題や人気が問われる興行でもありますからね。名跡の大きさだけで役者の価値は測れません」
 歌舞伎界に新風を起こす姉と、伝統を受け継ぐ弟。ふたりの勝負はまだまだ続く。

 古いタイプのイエにおいては、長男が家督を相続し、次男次女以下はイエを離れて他所に移るというのがデフォルトだった。
 農家をイメージすると分かりやすいが、当主が所有する土地には次男次女以下の家族を養うだけの生産力がないため、こうなってしまうのである。
 だが、梨園は農家ではないので、次男三男もイエを継ぐことが出来ないわけではない。
 例えば、尾上右近は、やや遠いものの、六代目菊五郎の直系であり、「音羽屋」に属しているわけである(尾上右近の家系図紹介!鶴田浩二を祖父に持つカレー好きな歌舞伎のプリンス)。
 対して、眞秀君は七代目菊五郎の孫であるが、父親が婿(フランス人)ということで、伝統的なイエ・ルールからすると家督を継げないという話になるのである。
 なので、眞秀君×右近というタッグは、伝統的なイエ・ルールに対するプロテストのようにも思える。
 ・・・というわけで、今のところ、菊五郎襲名の結論は出ていないので、「音菊曽我彩」のポトラッチ・ポイントはゼロ。
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10月のポトラッチ・カウント(2)

2024年10月25日 06時30分00秒 | Weblog
 「千鳥を乗せ、俊寛を一人残して船は出てゆく。名残を惜しみながらひとり見送る俊寛。諦めたつもりでも、煩悩は消し難い。悟りを開いた出家でなく、ただの人の悲しい心で生い茂る蔦につかまり、松の木にすがり高台によじ登って、遠ざかる船に向かっていつまでも悲痛な声をかけるのであった。」 

 「錦秋10月大歌舞伎」昼の部の最初の演目は、「平家女護島」より「俊寛」である。
 感想を言うと、ただただ菊之助の演技力が光る演目であった。
 とはいえ、レシプロシテ原理の毒は相応に含まれており、”復讐”と”自己犠牲”がキーワードと言える。



 「都で名誉も地位もある文化人として活躍していた俊寛が、失脚し、南海の荒涼とした鬼界ヶ島に流される。その屈辱的な日々。そして、赦免の通知にただひとり漏れた時のショック。一転して、都へ帰れることになったよろこび。妻東屋が平清盛によって惨殺されたことを知り、この世になんの未練もないと、自分の代わりに千鳥を乗船させようとする自己犠牲。いざ船が島を離れ、遠いところに行ってしまうと、涙は溢れ、言葉に言い尽くせない孤独が胸にせまり、後悔に近い感情まで押し寄せてくる現実。納得したはずの自己犠牲も、すぐに絶望的な孤独には堪え難くなる。しかし、激しい心の動揺がすぎると、再び心は平静にもどる。スローモーションの映画の一こまを見ているような、心の移り変わりの見事な芝居である。」(p131)

 俊寛は、妻を惨殺された怒りもあって、半ば”復讐”として瀬尾を斬り殺した。
 その上で、成経の妻となった地元の海女:千鳥を船に乗せてやる代わりに、自分が犠牲となって島に残ることを申し出たのである。
 以上から、瀬尾は俊寛の妻殺害の代償として殺されたので、ポトラッチ・ポイントは5.0、俊寛は千鳥のため犠牲となって島に残ったので、1.0。
 ポトラッチ・ポイントは、合わせて6.0:★★★★★★。
 それにしても、菊之助による俊寛の心の揺れ動きの表現は見事。
 船がだんだん遠ざかり、そのうち呼び声に対する応答も聞こえなくなる。
 孤独感のためパニック状態に陥った俊寛は、生い茂る蔦につかまって高台によじのぼり、松の木にすがって遠ざかる船に向かっていつまでも声をかける。
 演出上のポイントは、この際、松の枝を俊寛が手で掴むのだが、力が強すぎて枝がポキッと折れてしまうところである。
 大道具さんも、毎日新しい松を準備しなければならないのである。
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10月のポトラッチ・カウント(1)

2024年10月24日 06時30分00秒 | Weblog
 「東京バレエ団創立60周年シリーズ後半のトップに登場するのは、東京バレエ団の名前を世界で不動のものにした最大の功労作「ザ・カブキ」です。
 20世紀の巨匠振付家モーリス・ベジャールが歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』をもとに東京バレエ団のために創作した「ザ・カブキ」は、現代の青年が “忠臣蔵”の世界に迷い込み、サムライ“由良之助”となって主君の仇討ちを果たすまでを描く物語。歌舞伎と武士道 ──日本が世界に誇る伝統芸能と精神文化が、西欧のバレエという手法で絶妙に表現され、1986年の初演以来、パリ・オペラ座、ウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座など著名歌劇場を筆頭に、世界15か国28都市で206回上演され喝采を浴びてきました。

 日本通のベジャールが歌舞伎をバレエ化するに際して選んだのが何と「仮名手本忠臣蔵」。
 ”シューイチ”がこれを知ったならば、
 「よりによって、日本社会の暗部を代表する演目を選ぶなんて!
と激怒するかもしれない(5月のポトラッチ・カウント(2))。
 その点を抜きにすれば、ダンスの方は見どころ満載である。
 一番感動したのは、1幕6場ラストでの由良之助のソロ。
 現代の東京から江戸時代にタイムスリップした(?)彼が、四十七士と共に主君判官の仇討を決意するシーンのダンスである。
 この7分余りの、一人で踊るヴァリエーションは、由良之助役のダンサーにとって最大の難所らしい。
 言うまでもないが、7分以上踊り続けるだけの体力と気力が必須であり、限界を超えてしまうと大変なことになる。
 例えば、これまた長い「ロミオとジュリエット」第1幕の「バルコニーのパ・ド・ドゥ」では、限界に超えたロミオ役のダンサーが、ピアノの裏でゲロを吐いたという話を聞いたことがある。 
 こういう見せ場は、実は危険と背中合わせなのである。
 ・・・さて、この演目では、普段は出番が少なくてくすぶっていることが多いらしい”東バ男子コール・ド”が大活躍する。
 但し、47人そろえるのは難しかったのだろうか、私が数えた限り、討ち入りした後切腹したのは、由良之助のほか41人だった。
 というわけで、「ザ・カブキ」では由良之助+41人の義士が仇討の代償として切腹したので、ポトラッチ・ポイントは、(一人の命を5.0ポイントとする前提で)5.0×42=210。
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淑女、豹変す

2024年10月23日 06時30分00秒 | Weblog
 最近、いずれも若い女性のソリストだが、演奏中と演奏後のギャップにびっくりしたコンサートが2つあった。

 「鬼才ファジル・サイ作曲のヴァイオリン協奏曲『ハーレムの千一夜』の独奏には、2023年9月に開催されたファジル・サイの来日公演「FAZIL SAY 2023」にて、サイのヴァイオリン・ソナタ第2番『イタ山』を日本初演し話題をさらった服部百音が登場します。
 『ハーレムの千一夜』はサイが描いた現代版シェエラザード。彼の世界観を知る服部百音がヴァイオリンで語る千一夜物語に、どうぞご期待ください。

 物静かでしとやかな服部さんだが、演奏開始と同時に鬼気迫る表情で、格闘家のようにステージ上を動く(この映像(2022年 Vn:服部百音 井上道義&読売日響 ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲 第1番)より実際はもっとすごい)。
 「ハーレムの千一夜」という曲自体が、凶暴性や猥雑さをたっぷり含んだ曲なので、こういう演奏スタイルになるのはある意味では納得である。
 終演後のにこやかな表情とのギャップが何とも言えない。

 「2023年第47回ピティナ・ピアノコンペティション特級グランプリおよび聴衆賞。同年、第92回日本音楽コンクール第1位および岩谷賞(聴衆賞)を受賞。
音楽とじっくりと向き合い、美しい音と情感豊かな表現力で魅了するピアニスト。
 シューベルト:高雅なワルツ集(12のレントラー) D 969 op.77
 フォーレ:ヴァルス=カプリス 第2番 変ニ長調 op.38
 ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
 シューベルト:ピアノ・ソナタ 第18番「幻想」ト長調 D 894 Op.78 
<アンコール曲>
 ショパン:黒鍵のエチュード
 シューベルト:楽興の時第3番

 こちらは若手新進女性ピアニストのソロ・コンサート。
 丸顔の可愛らしい女性だが、時おりアルゲリッチを彷彿とさせる激しさを垣間見せる(この映像(2023ピティナ特級セミファイナル シューベルト:ピアノ・ソナタ 第18番「幻想」,D894,Op.78 pf.鈴木 愛美:Suzuki, Manami)にちょっとあらわれている。)。
 激しく情熱的な弾きっぷりと、終演後に前髪をかき分ける仕草とのギャップに感じ入ってしまう。
 ちなみに、聴衆は過半数が中高年の男性という印象である。
 ・・・こんな風に見てきたが、若い頃の中村紘子さんや堀米ゆず子さんもこんな風に”ギャップ”を見せていたのかもしれない。
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リウとニュウ、あるいは「コンサートは生きている」

2024年10月22日 06時30分00秒 | Weblog
 先日のユンディ・リもそうだが、今月は中国系のピアニストの来日が多い印象である。
(1)ブルース・リウ
・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」変ホ長調 Op.73 [ピアノ]ブルース・リウ
・マーラー:交響曲 第5番 嬰ハ短調
<ソリスト・アンコール曲>
・ショパン:幻想即興曲

 リウの「皇帝」はごくオーソドックスな解釈のようで、先日の反田恭平さんと大きく違わないが、3楽章のカデンツァに一部オリジナルの箇所があったように感じた。
 この日のパフォーマンスはイマイチだったらしく、「幻想即興曲」ではビックリするようなミスタッチがあったようだ(ブルース・リウ、アルティノグル指揮フランクフルト放送交響楽団来日公演 | クラシックなまいにち) 。
 とはいえ、終演後にスタンディング・オベーションとプレゼントの手渡しがあった。
 年齢を問わず女性のファンが多い印象である。
 さて、後半はマーラーの5番。
 「フランクフルト放送響のマーラー」と言えば、私にとっては「貧困トラウマ体験」を呼び覚ますワードである。
 中三のころ、コンサート(インバルの指揮)に行く予定だったのが、親の反対で行けなかったのである。
 十八番のはずのマーラーの5番だが、トランペットとホルン(?)に結構目立つミスがあり、やや残念な印象だが、ハープは素晴らしい音色を奏でていた。

(2)ニュウニュウ
ロッシーニ/リスト:《ウィリアム・テル》序曲 S.552より フィナーレ【PLEASURE】
ベートーヴェン:ロンド・ア・カプリッチョ 作品129《失われた小銭への怒り》【ANGER】
ニュウニュウ:即興曲 第2番 "Miss" 【SORROW】
ガーシュウィン/ワイルド:エチュード 第4番《君を抱いて》【JOY】
ショパン:子守歌 変ニ長調 作品57【BIRTH】
J.S.バッハ/A.ジロティ:前奏曲 第10番 ロ短調 BWV855a【AGING】
坂本龍一:Energy Flow【SICKNESS】☆
ラヴランド/ニュウニュウ:ソング・フロム・ア・シークレット・ガーデン【DEATH】 ☆
チェン・ガン&ヘ・チャンハオ:バタフライ・ラヴァーズ・コンチェルトより第1楽章【LOVE】
スクリャービン:12のエチュード 作品8より 第12番 嬰ニ短調《悲愴》【HATE】
ラフマニノフ/ニュウニュウ :パガニーニの主題による狂詩曲 作品43 より 第18変奏 【ROMANCE】
プロコフィエフ:4つの小品 作品4より 第4曲:悪魔的暗示【ENMITY】
シューベルト/リスト:セレナーデ S.560: No.7(「白鳥の歌」D.957より)【PATHOS】
サティ:ピカデリー【DELIGHT】
グルック/ G.ズガンバーティ:歌劇《オルフェオとエウリディーチェ》より 「精霊の踊り」【SEPARATION】
プッチーニ/ F.シャープ :歌劇《トゥーランドット》より 「誰も寝てはならぬ」【UNION】
ニュウニュウ:即興曲 第1番 "Hope" 【HOPE】
ベートーヴェン / リスト:交響曲 第5番 ハ短調 作品67《運命》第1楽章【FATE】
☆ゲスト:Cocomi
<アンコール曲> アメージング・グレイス

 「人生の旅」(Lifetime)というテーマで選曲されているが、見ての通り盛りだくさんの内容。
 しかも、それぞれの曲について、ピアニスト自身が日本語で解説してくれるという大サービスである。
 テクニックも表現力も素晴らしいが、客席で聞えて来たのは「弾きっぷりが良い」という声。
 終演後のスタンディング・オベーションは、中年の女性が大半であった。
 リウとニュウはタイプが全く違うピアニストなので、比較するのは無理な話であるが、今回のパフォーマンスをとってみれば、ニュウの方が良かったように思う。
 もっとも、これはコンサートが「生き物」だからこそ起きることなのだ。
 そういえば、先日のユンディ・リは、ミスタッチも結構あったが、全体としては力強い弾きぶりだった。
 なので、これは肯定的に受け止めるべきだと考える。
コメント
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