戦前の教育が全て正しかった訳ではないのは当然でしょうが、それでも寺子屋の雰囲気もまだ残っていたのじゃないでしょうか。
どうやらそれは今で言う義務教育の年頃の子供達には実施されていたようです。
ところが、高校・大学となると西洋文明に犯された教育が取り入れられ、今の堕落した大学と良く似たものだったようです。
それこそが、日本を敗戦に導いた原因の一つだったのじゃないでしょうか。
ねずさんがそんあ戦前戦中の教育を書いてくれています。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんの学ぼう日本より 2020/10 /23
戦前戦中の教 科書における神功皇后に関する記述と考える授業
・・・略
神功皇后の時代は、おそらく西暦200年頃であったろうとされています。
このときに神功皇后が神がかりとなって三韓を征圧されました。
戦前全中までの授業では、ただここで「神功皇后の三韓征伐があった」という事実にとどまらず、そこから元寇の一点を除いて、なん と現代まで1800年以上にわたって、日本がチャイナの属国とならずに済んできたということを、生徒が考え、知るに至ったので す。
ここが大事なところです。
なぜならそれは、生徒たちがただ書かれたものを鵜呑みにするということではなく、自分の頭で考えること(考えさせること)が授業 の要諦となっていたということだからです。
以下にあるのは、この神功皇后の授業に際しての戦前の小学5年生への出題です。
(1) 神功皇后が新羅を討ち給ひし次第を語れ。
(神功皇后がどうして新羅を討ったのか、その理由を述べよ)
(2) 三韓が皇威に服せしことにつき言へ。
(三韓はどうして日本の属国となる道を選んだのですか。その理由を述べよ)
(3) 神功皇后の御功績を數(数)へあげよ。
(神功皇后のご功績は、何だったと思いますか。主なものを3つ挙げよ)
これが戦前戦中までの学校教育です。
いまのように、「文中何行目の《それ》は何を指していますか。15文字以内で答えなさい」といった設問ではなく、文中から読み取 れることについて考え、その考えを生徒同士で議論することが授業でした。・・・中略
組織というのは、ピラミッド型ばかりではないのです。
日本型経営組織は、組織は番頭・手代・丁稚の三階層しかありません。
番頭は責任者。
手代が働く人。
丁稚は見習い中の人です。
たったそれだけで組織運営ができたのは、組織の形がピラミッド型ではなく、球体構造をしていたからです。
球体には中心核(店主)があり、その表面にピラミッドの三角形を描いても、そこに描かれた点は、すべて頂点になります。
ですから球面に上下はありません。
このことは、お客様の前では、その人が社長と同じということを考えれば、容易に理解できます。
そして球面構造に於いては、互いの意思の疎通と、全員の一致協力が不可欠です。
その全員の一致協力のことを、古い言葉で「一揆」といいます。心をひとつにする、という意味です。
そして全員で心をひとつにするためには、ひとりひとりにちゃんと思考力と決断力、そして実行力が伴っていなければなりません。
何事も他人任せで、自分はマニュアルに書かれたことだけをすれば良いということにはならないからです。
そういう社会に役立つ人材を育成するのが、戦前戦中までの日本の幼年教育の根幹であったわけです。
ちなみにすこし余計なことを書くと、こうした戦前戦中の教育は、幼年教育がきわめて優れたものであったのに対し、高等教育(いま でいう大学など)に関しては、目的の明確な陸海軍の予科や大学、師範学校以外は、あまり褒めたものがなかったように思います。
なぜなら下手に大学を出ると、西洋型の思考に染まり、日本の歴史伝統文化を粗末にしたり、やたらに居丈高に気取ってみたりするよ うな人が多かったといえるからです。
代表的なのが、夏目漱石の『坊っちゃん』に出てくる赤シャツのような人です。
つまり欧米型ピラミッド社会に染まってしまうのです。
すると、下の者に思考停止を要求し、上に立つ者にのみ、思考や言論の自由があるかのように錯覚するようになる。
一部に極端な男尊女卑のようなものが見られたのも、そういうことが背景になっているものと思います。
そんな具合ですから、戦前戦中までの教育を、良いものばかりであったと述べるつもりは毛頭ありませんが、ただ、ひとつの事件や事 故、あるいは歴史から、さまざまなことを考える、そういう習慣が、人に主体的であるという自由を与えてくれるのではないかと思い ます。
何でも西洋が上との思い込みは恥ずかしながらネットでねずさん達に教わって目覚めるまで持ちつづけていました。
これこそが、明治維新以後の日本が抱えた問題だったのでしょう。と言うか和洋折衷こそが日本が取るべき道だったのでしょうが、日本の良さを理解出来ずに西洋崇拝に傾きすぎたのが間違いだったのでしょう。
やはり、もう一度日本の素晴らしさを見つめ直す必要があります。