団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★トランプ再選、まだ緑信号を打てない情勢

2020年11月01日 | アメリカ

 

アメリカの大統領選挙は欠陥だらけのようです。と言うかそれを利用する奴等こそが悪いのでしょうが、行き過ぎた民主主義はそれを糾弾出来ないのでしょう。何とも納得が行きませんが、それが民主主義の限界なのでしょうか。

  トランプさんの再選に青信号が灯らないと宮崎さんが報告してくれています。やはり、法廷闘争になるのでしょうか。それとも、反トランプ勢力は何か奥の手でもあるのでしょうか。
  いずれにしても、バイデンが当選するなんてことがあれば世界は終わりかも。 

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より  令和2年(2020)10月28日(水曜日) 通巻第6681号 

 トランプ再選、まだ緑信号を打てない情勢
  激戦地区でトランプ猛烈な巻き返し、ペンシルベニアが最激戦区

 前回もペンシルベニア州でトランプが逆転、最終的な勝利に直結した。
 27日のペンシルベニア集会には、ファーストレディのメラニア夫人が初めて選挙キャンペーンに登壇した。

 10月27日時点でのNYタイムズの世論調査ではバイデンが49%、トランプが43%と、ついに6%の差に縮まっている。 左翼のNYタイムズは民主党支持であり、しかもバイデン支持を社説に掲げているくらいだから、それを割り引くとトランプは逆 転している可能性を示している。
 なにしろ全米メディアの66%がバイデン支持である。

 トランプが明確にリードしているのはオハイオ、モンタナ、テキサス州で、頭ひとつトランプがリードしているのがウィスコン シン州、草深きジョージア、激戦区はミシガン州、バイデンがリードしているのがネバダ州と大票田の西部三州とハワイだ。

 伏兵が期日前投票と、郵便投票である。すでに6400万人が投票を済ませた。このように異常な事態が出来しており、このう ち激戦区では3200万人が投票を終えた。メディアの推測による既投票者の内、2000万人がバイデンに入れたとNYタイム ズが推定している。
 トランプは僅かに800万人。むろん、民主党は草の根の組織を誇り、組織動員の結果であるが、やはり、トランプ陣営にとっ ての懸念材料である。
 トランプの辛勝区に対して民主党は訴訟をおこす準備であり、ひょっとして11月3日夜からの開票作業は、数日かかることが 本気で予想される。

  一体、何時決着が着くのでしょうか。と言うかトランプさんの再選でなければ無効にすることは出来ないのでしょうか。


★拉致問題の発端

2020年11月01日 | 拉致問題

 政府や警察が最初に真剣に取組まなかったことが北に拉致をここまでやりたい放題させたことは間違い無いでしょう。

  その発端とも言える事件を分り易く動画にしてくれたものを加藤健さんがツイッターで紹介してくれています。

  こういう動画は何度もアップして多くの人達に見て貰うべきでしょう。と言うか、これも10月20日、第3501回の「★アニメ『めぐみ』をYouTubeで見れるようになった」の動画と同じで、政府・外務省が取組むべき仕事でしょう。
  これこそが、実務が得意な菅(スガ)さんなら期待出きる方法なのかも。


★中国侵攻なら「戦う」台湾の8割に 世論調査で判明

2020年11月01日 | 台湾

 蔡英文さんを選んだ台湾の目覚めは本物のようです。何と、China侵攻なら戦うという人が8割に達したそうです。
  これが、普通でしょう。平和ボケ日本では学術会議のようにChinaに籠絡された人達がうようよしていることを考えると、Chinaも台湾より日本に侵攻した方が良いのじゃないでしょうか。


  アメリカも準備怠りないようです。いよいよ対中戦争が始まるのでしょうか。

  台湾の準備も心構えも準備万端のようです。やはり、ここはバカな日本を攻めるべきでしょう。
  習皇帝の決断次第です。日本の方が楽ですよ。


★防衛省資金、大学応募6分の1以下に 学術会議「禁止」影響か

2020年11月01日 | 文科省・教育改正

 学術会議がどれ程日本の足を引っ張ってきたかを考えると怒りが収まりません。何と、大学応募が6分の1以下になっているのだそうです。

  それにしても、こうして国の金で足を引っ張ってる組織がまだまだあるのでしょう。アメリカも自分が仕掛けたものとはいえ、余りの日本政府の平和ボケ振りに呆れ果てて警告を発してきたのでしょう。 


  ここまで露になったからには民営化は当然でしょう。これを放置するようなことがあれば菅(スガ)政権も吹っ飛ぶかもしれません。

  それにしても、反日売国左翼・在日共の資金集めには感心します。何とも悪賢い奴等です。一体どのくらいの金が流れ込んでいるのでしょうか。

  やはり、一日も早く反日売国左翼・在日共を一掃したいものです。


★中国軍、嘉手納基地標的に訓練か?!

2020年11月01日 | 中国

 Chinaがゴビ砂漠に敵国の基地などの標的を描き、それで演習しているという話題が一時ネットで騒がれたものです。
  たかりんさんがそんな話題をツイートしてくれていたので忘れないように取り上げさせてもらいます。

  それにしても、今や宇宙から全て見える時代に良くもこんな世界を挑発するようなことをするものです。
  単なるバカなのか、それとも挑発なのでしょうか。 

  こんな分り易いChinaに金の為なら喜んで尻尾を振って付いて行く日本の経済界や学術界に政治家達は一体何を考えているのでしょうか。

  これも、やはり正しい国家観も歴史観も教わることも無く育てられた結果なのでしょう。何とも情けない限りです。


★子供のころに教えてほしかった日の丸・君が代の話

2020年11月01日 | 文科省・教育改正

 週末恒例の中山恭子さんの【夢を紡いで】は、田村たかしさんです。今は県会議員として活躍されているようです。
  特に子供達への教育を寺子屋というやり方で取組んでいるようです。

  その中で、第7686回10月18日、の「★君が代を歌えなかった私が、政治を目指した理由」で、取り上げた小林ゆみさんと同じ教育を受けていたことに驚きました。
  どうやら反日売国左翼・在日日教組の自虐史観教育は全国を制覇していたようです。今も同じか、もっと酷くなっている恐れもありそうです。


  とは言え、ネットのお陰で多くの人達が目覚めてきているのもたしかでしょう。それが、小林さんや田村さんのような政治家を生み出しているのじゃないでしょうか。
  日本人の殆どが目覚める時は案外近いのかも。その時こそ、日本から反日売国左翼・在日共が消え時かも。
  一日も早くそんな日が来て貰いたい。


★倭寇(わこう)小説

2020年11月01日 | 韓国

 日本を貶めることに生甲斐を見出しているKoreanが又しても新語を開発したようです。何と、日本の小説を倭寇小説と呼び出したそうです。良く思いつくものです。ご苦労なことです。

  産経の黒田さんが書いてくれています。流石のKorea好きの黒田さんも呆れているようです。


  まさか、ニセ慰安婦程には広がる事は無いでしょうが、その無駄な努力に感心します。やはり、あの国とはどうあっても分かり合える事はないでしょう。

  奴等の日本攻撃を元から断つには一日も早い未来永劫の国交断絶しかないでしょう。


★三島由紀夫関連読書特集

2020年11月01日 | 日本再生

 三島由紀夫没後50年だそうです。そう言えば、就職した年だったことを思いだ私ました。あの時のどんよりとした空気は未だに覚えています。
  とは言え、三島作品を読んだ事もなく、その自決に何の意味があるのか良く分かりませんでした。
  ネットで、戦後日本の自虐史観による劣化を知り、やっと彼の凄さを理解出来るようになりました。

  その三島さんとの関わりがあった宮崎さんが、書評で関連本を2冊取り上げてくれています。
  やはり、三島さんに関わってきた宮崎さんの経験からの書評には興味深いものがあります。
  それにしても、同じ年代で天と地ほど違う人生の歩みを思うと、つくづく情けないが、これも人生でしょう。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より  令和2年(2020)10月23日(金曜日)弐 通巻第6678号   

  三島由紀夫没後五十年、「憂国忌」が近付きました

 <<三島由紀夫関連読書特集>>
井上隆史『暴流の人 三島由紀夫』(平凡社) 
佐藤秀明『三島由紀夫 ──悲劇への欲動』(岩波新書) 

  書評 

 男は何故、壮烈な死によってだけ美と関わるのであろうか?
  三島由紀夫の精神と、残された作品群の深奥に迫る前意味論的分析

  佐藤秀明『三島由紀夫 ──悲劇への欲動』(岩波新書)

 あれから五十年が閲したとは思えないほど、須?(しゅゆ)の時間だった。昨日の出来事のように、フト生前の三島、森田 両氏 と会話している。夢の中で。
 おしりも書店に行くと三島本が並びだした。
それもかなりの数である。「定番」の人々の回想録という周期はおわって、三島事件から後に生まれた世代が、それぞれのア ング ルから三島由紀夫の世界に挑んでいる。たまたま日本経済新聞にも「三島五十年」のシリーズが特集され、宮本亜門、宮台真司、 吉田大八、熊野純彦など新世代が、それなりの三島を語っていて、視野狭窄、ピント外れ、マニアック、哲学的ブンガク論 だった り、しかし、それぞれに光る一行がある。
 第一周期は三島と直接付き合った人たちの交友録的評伝の列だった。林房雄、石原慎太郎、佐伯彰一、奥野健男、坊城俊 民、三 谷信、渋沢龍彦、?岡孝夫らが続き、第二周期は客観的な評伝へと移る。猪瀬直樹、村松剛、スコット・ストークス、ジョン・ネ イサン、松本健一、そして編集担当だった川島勝、小島千加子。異色は堂本正樹、野坂昭如、福島次郎、岩下尚史氏らの作品 だっ た。加えて文学的見地からは田中美代子、松本徹ら夥しい人が三島を語ったのだ。
 最近では三島と直接付き合った自衛隊OBが退役後の感想をのべたものに加わって、杉山隆男、浜崎洋介氏らの出色の三島 論も でてきた。
ともかく半世紀も経つと、あの驚天動地の三島事件をかくも冷静に見直し、くわえて三島文学に対して、一般的な、通俗な評 伝を 越えた、ある種冷徹な評価ができるのか、と本書を読み終えて、全体を貫く客観性にまず感心した。
 著者の佐藤秀明氏は「前意味論的」と分析方法を断っているが、本書は相対的には意味論である。
 さすがに三島文学館館長を兼任する著者は、四谷の生家を探し当て、死後の評論のなかからも、珠玉を選ぶ一方で、間違い もた だしていく。たとえば、秋山駿は「死後も成長し続ける作家」と三島を評した名言を残したが、これはドストエフスキーの言葉が オリジナルだという。
 三島が少年時代から憧れ続けたのは「悲劇的なもの」だった。
 初期の作品群を一覧しても、美しき夭折への、名状しがたい憧憬に満ちている。衝動的な渇仰が『花ざかりの森』にも『軽 皇子 と衣織姫』にも、底辺に流れ、漂う。「前意味論的な欲動」と著者は言う。処女作と遺作には静謐が共通する。
 昭和四十三年の『太陽と鉄』の最終章には、「身を挺している」「悲劇的なもの」という語彙に加えて「栄光と死」を望ん でい ると書かれている。
 村松剛は「決意を彼が公にした最初の文章だった」と『三島由紀夫の世界』で見抜いた。
 しかし『悲劇的なもの』と『身を挺している』という言葉は『仮面の告白』で出てくるのだ。
 佐藤は「職業作家として出発した記念碑的な作品に書いた言葉を二十年後に死の予感を告白する文章に織り込んだのは意図 して のことであろう」と分析していて研究者としての慧眼が冴える。
 また『憂国』はまさに悲劇的イロニーに充ち満ちた短編だが、「作品の意匠は全く異なるが、『潮騒』の幸福感に通じてい る」 とする。なるほど、そういわれてみればそうかもしれない。
 気になった箇所は三島が机上の空論的に皇居突入計画を立てたという、これは生前も耳にした風説で、当時評者(宮崎)の 耳に も聞こえてきたが、佐藤氏はこの顛末を文献的に振り返り、関係者の著作も紐解いている。真相は薮の中、計画を打ち明けられた 自衛隊は冗談だろうと、その場では同調するフリをしたのだろうと評者は想像する。
 げんに富士学校へひとりで入隊時に対応した幹部は、三島のクーデター計画を聴いて「私らは役人ですから」と冷ややかに 言い 放ち、以後、明確に距離を置いた。
 現在の自衛隊にクーデターを望むこと自体が妄想である。それは体験入隊を通じて、三島はいやというほどに体得してい た。
 まして楯の会を始末に負えぬ存在と考えていた財界の桜田武や自民党は、冷笑したフシが濃厚。そこで三島は法螺吹きの田 中清 玄にも自衛隊への斡旋を頼んだとか、虚実こもごもだが、三島が「愛国者」となのる軍人OBや自衛隊幹部、財界の有力者に課し た「リトマス試験紙」だったのではないのか、というのが評者の見立てである。というのも、この皇居突入計画を聴いて以 後、距 離を置き始めた人が多かったからだ。
 ついで三島が吹聴していたのは治安出動を契機とするクーデター計画で、仄聞していた限り、だれも本気とはとっておら ず、文 豪ミシマの独特のアフォリズム、いや何かの芝居なのかと誤認した。
 じつは評者、このあたりの経緯を村松剛氏や編集者、そして楯の会の会員ながらも三島とは距離を置いた学生達から聴いて お り、その本気度と計画の杜撰さとの整合性を不安に思ったものだった。
 そのあとに森田必勝が学生長になって本格的に計画立案に加わり実現性のたかい、綿密な行動計画へ移っていくのである。
 佐藤氏はこう言う。
 「(戯曲『わが友ヒトラー』にでてくる)レームと突撃隊は、明らかに三島と楯の会を表している。楯の会など政治の権謀 術数 から見れば、子供騙しの集団でしかないことを作者(三島)は知っている。しかし同時に三島は、レームの単純な盲信が『神々の 特質』であることも知り、この戯曲であっさりと粛正される『三度の飯よりも兵隊ごっこが好き』なレームを、戯画化したう えで 憧れている」(182p)。
 冷徹な、あまりに冷徹なほどの客観性で本書は一貫している。


  書評 

 半世紀を経ても三島の磁力はなぜかくも強烈なのか?
  暴流(ぼる)が意味する内面の暴力性と精神を蝕むニヒリズム

 井上隆史『暴流の人 三島由紀夫』(平凡社)

 連続して三島関係の本格的研究の集大成が並ぶ。
 今度は井上隆史氏。ミシマ国際シンポジウムの主催者、組織者としても知られるが、三島研究一本に打ち込んてきた。三島 文学 館の第一資料を読みこなし、佐藤秀明氏とともに新発見を続ける。
 本書は、その研究成果の集大成といえる所為か、ともかく分厚いのだ。
 五十年という時間が流れても、これほど精密に、奥行きがあって、しかも没後の時間的な余裕のなかで初めて公開されたメ モ、 生原稿から創作ノート、初稿と初版本の相違点などを研究しているのだから、凄い磁力を三島がいまも持ち続けているという証左 でもある。
しかも事件のときに井上氏は七歳だったから、原体験がないだけに、当時の空気、熱情から離れて、あたかも精神科医のカル テの ように第三者としての分析が可能になるわけだ。
 題名の暴流(ぼる)は古典から選択した。
 「深浦正文の『輪廻転生の正体』を三島は書庫に持っていたが、これこそが「三島が『豊饒の海』の構想を考えるうえで決 定的 な役割を果たした」(366p)
 当該本は阿頼耶識を論じた中で「恒転如暴流」と仏教用語に触れているのだ。
 井上氏はこれが「決定的」だったとして、本の題名に選んだ。
 少年時代の詩を詠むと、そこには「抑えがたい暴力衝動が現われ出ている」とする井上教授は、三島が中等科四年のときに 「花 山院」の小説化をはやくも試みているとする。この作品はのちに安倍晴明という陰陽師を主人公に花山天皇との別れを描く短編に 結実していて評者の好きな作品のひとつだ(新潮文庫『ラディゲの死』所載の『花山院』)。
 さて、時代は飛んで「からっ風野郎」に主演した翌月に「サロメ」を三島自身の演出で上演すると、これが「強い刺激と なっ て、切腹というテーマを何らかの形で表現したいという思いを三島は募らせていた」(326p)。
 それが「榊山保」の筆名で書いた「愛の処刑」というポルノまがいの小説に繋がるとされる。
 評者(宮崎)の持論でもあるが、「作家は処女作に戻る」ものであり、三島は十四歳のときに詠んだ「詩を書く小年」に、 そし てあの頃の古典に題材する習作時代の心に回帰してゆくのだ。
 井上氏は浜松中納言日記をヒントにした『豊饒の海』について大津皇子に注目する。
 ここで評者、膝を打った。
 『群像』の昭和四十五年六月、「懐風藻と古今和歌集」について論じていた三島は、「父天武天皇が崩御した後、叛図を抱 いた 疑いで捕らえられ二十四歳で自害した大津皇子の漢詩」に触れつつ、蓮田善明の評論になる「此の詩人は今日死ぬことが自分の文 化であると知っているかの如くである」という有名な一節を結ぶ。
 大津皇子は天武天皇の長男(異説あり)でありながらも、母親や天武天皇皇后(のちの持統天皇)ではなく、その姉だっ た。し かるに持統天皇が草薙皇子に肩入れし、大津皇子を疎んじれば、悲運は決まっていた。
 そのうえで井上氏は続ける。
 「三島の死も森田の死も、大津皇子の死と同じ意味を持つであろう。それは速須佐之男命、倭建命から為朝、そして二二六 事件 の青年将校へと続く系譜に、三島、森田が連なる」
 それを示唆する三島の文章箇所を以下のくだりと井上氏は指摘する。
 「ひとたび叛心を抱いた者の胸を吹き抜ける風のものさびしさは、千三百年後の今日の我々の胸にも直ちに通うのだ。この 凄涼 たる風がひとたび胸中に起った以上、人は最終的実行を以ってしか、つひにこれを癒す術を知らぬ」(「日本文学小史」)。
 そして『天人五衰』の有名な最終場面は月修寺の美しくも端正な庭の寂寞だった。
 芭蕉は立石寺を訪れて、「岸をめぐり岩を這うて、仏閣を拝し、佳景寂寞としてこころ澄み往くのみ覚ゆ」と『おくのほそ 道』 に記して、「静かさや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだ。
 『豊饒の海』のラストは
 「数珠を手繰るような蝉の声がここを領している。そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めている」。
 全544ページの浩瀚はここで終わる。力作で読了に二日を要した。

  それにしても三島由紀夫の人生も凄いですね。50年前には分からなかった彼の行動は、自虐史観によって劣化した日本人の目を覚まさせる為に必要だったのじゃないでしょうか。
  ネットの時代が私のような平和ボケにでもそれを分からせてくれたようなものです。

  もし、彼の自決というものがなかったら日本人の殆どは未だに自虐史観に犯されたまま平和ボケで惰眠を貪っていたのでしょう。
  と言うか、多くの人達はまだ目覚めていないようですが、その空気が変わるのも近いのじゃないでしょうか。

そうあって欲しい!