団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★90%の日本人が中国にネガティブな印象

2020年11月28日 | 中国

 

流石の平和ボケ日本人も目を覚ましてきたようです。何と、90%の日本人がChinaにネガティブな印象だそうです。
  この期に及んでも日本をChinaに売ろうとしている二階・公明党・経済界などの罪は余りにも大きい。

  宮崎さんがそんな状況を詳しく書いてくれています。このままでは、菅(スガ)さんの総理も長くないようです。さて、安倍さんの登板は何時になるのでしょうか。
  トランプさんから声が掛かるのじゃないでしょうか。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より  令和2年(2020)11月24日(火曜日)弐 通巻第6711号   

 90%の日本人が中国にネガティブな印象
  「武漢コロナ責任を取らない」「「香港の自由学生らを不当に逮捕」などが背景

 非営利法人の「言論NPO」が実施した世論調査結果が11月17日に発表され、じつに90%の日本人が中国にネガティブな 印象を抱き、「好ましくない」と回答したことが分かった。同じ設問の中国人の調査結果は52・9%だった。

 この中国を「好ましくない」とする世論調査は過去二十年近く高止まりしたままで、2005年の反日暴動以降、ほとんど変化 がない。
 あのときは尖閣諸島の国有化を鮮明にしたことが中国の反発を招き、日本大使館襲撃、日本企業への放火など、やりたい放題。 而も「愛国無罪」とかで、暴力の犯人は逮捕されなかった(公安の演出だったからだが。。。)

 直近の日本人の心情的な傾向は「武漢コロナの元凶なのに責任を取らないばかりか、ウィルスは米軍が持ち込んだ」などとする 強引なすり替えにあきれ果てたこと。又「香港の自由民主をもとめる学生らを不当に逮捕して裁判にかけるなど、その暗黒政治、 その暴政」。さらに日本人がもっと好きな国である台湾をイジメ、恐喝しているのが中国という軍国主義国家であることなどが、 世論調査に直截に反映されている。

 ところが日本の政財官界はあげて中国との友好関係を維持し、これからも発展させるこが重要だとしており、与党と公明党の連 立政権は、独裁者=習近平を国賓で来日させようと画策し、また財界の多くは中国は日本の貿易相手のナンバーワンであり、過去 四十年に亘って構築してきた日中間の良好なビジネスコネクションを破壊するような、米国の中国敵視政策とは基軸を一緒にする な」との意見が支配的である。
 米国シンクタンクCSISは「親中派のボスは二階・今井ラインだ」と名指ししたが、その二階某は与党幹事長に居座ったま ま、親中路線を突っ走って音頭を取っている。

 中国人芸術家でパリに亡命した 未未(アイメイメイ)はフランスの左派系の新聞「ルモンド」のインタビューに次のように答えている(同紙8月28日付け。加藤晴久東大名誉教授の翻訳)。

 「中国はすべての人間を犠牲にしてしまっているのです。国家資本主義は民主主義的資本主義よりも有効です。(中略)しか し、文化的にもイデオロギー的にもこの二つのシステムは水と油です。国を統治しているのは、じつは、反一政党であるどころ か、一人の人間なのです。我々が問われているのは、我々は如何なる社会を望むのか、ということです。ヨーロッパは考え込み、 アメリカは闘っています」。
 しかし、日本は?

  それにしても、金に目の眩んだ政・官・財・マスメディアはどうにもならないようです。
  このままでは、トランプさんのしっぺ返しでChinaと一緒に崩壊かも。それを防ぐためにも、トランプ・安倍コンビの復活が急がれます。


★日中ビジネス往来、11月中に再開 外相会談で合意

2020年11月28日 | 政治の崩壊

 やはり菅(スガ)政権はアメリカよりChinaを選んだのでしょう。何と、ビジネス往来を11月中に再開だそうです。
  もしかしたら、菅(スガ)さんはトランプさんの再選は無いと読んでいるのでしょうか。間違い無く大怪我になるでしょう。

  トランプさんが再選を決めた瞬間に安倍さん復活の声が挙がるのじゃないでしょうか。


  一方、チベット・ウィグル・香港などへの対応の鈍いこと。


  安倍さんの辞任が、菅(スガ)・二階・公明党・経済界を葬り去る為の企みだったなんてことになれば最高ですが、流石にそれは期待仕過ぎかも。
  それでも、そんな夢でも見るしかない。 


★パウエル弁護士「国民の為に訴訟を起こす」

2020年11月28日 | アメリカ

 パウエルさんの解任はフェイクだと藤井厳喜さんが断言してくれています。ご本人も国民の為に訴訟を起こすと力強く宣言してくれています。これで一安心。後は活躍を期待するのみ。 

  それにしても、バイデン派はどんどん追い詰められているので必死の反撃をしているようですが、国民が付いて来ないでしょう。




  バノンさんは即刻二期目の行動を始めるべきとお願いしています。

  これで、バイデンが勝つようなことがあればトランプ派も黙ってはいないでしょう。

  バイデン派は当然のごとく内乱を起こすでしょう。どちらにしてもアメリカは内乱です。いよいよ行き過ぎたリベラルの終わりかも。


★政府は国民を守る気なし

2020年11月28日 | 政治の崩壊

 China肺炎が外国人受け入れで、流石に危なくなってきているようです。政府は今度も何とか国民を騙して Chineseを入れるのを止める気はないようです。
  それ程にChinaの金が欲しいのでしょうか。

  この期に及んでも二階・公明党・経済界に阿る菅(スガ)さんもやはり国を守る気は無いようです。   

  門田隆将さんも怒りをぶつけています。

  それにしても、外国人の感染者数を止めているのは誰でしょう。厚労省にその度胸があるとは思えませんが、日本の官僚の堕落は酷すぎるだけに有り得るかも。


★香港民主派の周庭氏、黄之鋒氏ら即日収監

2020年11月28日 | 中国

 アメリカが大統領選挙で混乱しているのをチャンスと見てか、習皇帝がとうとう香港の民主派に手を出したようです。
  完全に世界に喧嘩を打って来たようです。これを見過ごすようでは世界も終わりでしょう。
  一番危ないのがこんなときにChinaの外相を迎えて何も言わない日本でしょう。正に、世界の恥です。 

  福島香織さんがその衝撃を語ってくれています。


  バイデンじゃどうにもならないでしょう。やはりトランプさんの決断力が必要。


★★インパールの戦いから我々が学ぶべきこと

2020年11月28日 | 誇れる日本

 ねずさんの話には涙なしには読め無いものが多い。その中でも一番と思えるのがあの白骨街道のインパール作戦です。
  敗退する兵隊さん達が餓死しようとも現地の人達を襲ったり食料を奪うことなく死んで行ったという事実を知り、現代の劣化した日本人にこの真似は絶対に出来ないだろうと思い知らされすことほど辛いことは無い。

  そんな方達が祀られる靖国を未だに参拝しないことが悔しくてなりません。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/11/21

  インパールの 戦いから我々が学ぶべきこと

  ・・・略

 諸外国のなかには「歴史認識」という虚構を通じてみなければ、恥ずかしくて生きていくことさえ難しくなってしまうような歴史を持った国や民族もあります。

 けれども日本の歴史はまったく逆です。
標準化された「歴史認識」ではボロカスに言われていることでも、複眼的思考をもって歴史を振り返ると、そこにはまるで、トレジャーハンターが宝物を見つけたときのような衝撃と感動と日本人としての誇りをみることができます。・・・中略

 昭和十八年九月の御前会議で、絶対国防圏として千島、小笠原、マリアナ、西部ニューギニア、スンダ、ビルマを含む圏域を定め、この外郭線において敵の侵攻を食い止めようという戦略が決定されました。
 インパール作戦は、その基本戦略に反しています。
なぜなら、国防圏の外側にあるインドに、撃って出ようというのです。
どうしてこの時期にこういう作戦を立てたのでしょうか。

 しかも、はじめは反対していた大本営も、当時日本に滞在していたインドの独立運動家、チャンドラ・ボースの強い要請を受けて、作戦の実施を認めたといいます。
もしかしたらインドの独立に火をつけることで、退勢が濃くなってきた大東亜戦争の戦争目的を改めて世界に訴える意味が重視されたのかもしれません。・・・中略

 ▼世界最高の軍紀を誇った日本軍

 日本軍の軍紀は称賛に値すべきものでした。
餓鬼や幽鬼のような姿で山中を引き揚げる日本の将兵たちのだれ一人、退却途中の村を襲っていないのです。
すでに何日も食べていない。
負傷もしている。
病気にも罹っている。

 そんな状態にもかかわらず、退路に点在していたビルマ人の村や民家を襲うどころか、物を盗んだという話さえ、ただの一件も伝えられていないのです。
これは普通では考えられないことです。
銃を持った敗残兵が民家を襲い、食糧を略奪するなどの乱暴をはたらくのは、実は世界史をみれば常識です。

 戦場になったビルマですが、現地の人たちは戦中も戦後も、日本軍に極めて好意的です。
そは日本の軍人が、そういう不祥事を起こさなかったからです。

 戦後、実際にインパール作戦に従軍された方々によって、たくさんのインパール戦記が刊行されたけれども、驚くことは、民家を襲わなかったことを誇る記述を、誰一人として残しておられないということです。
戦争に関係のない民家を襲わないなんて「あたりまえ」のことだったからです。
むしろ、退却途中でビルマの人に助けてもらった、民家の人に食事を恵まれたと感謝を書いている例が多い。
それが日本人です。そういう生き方が我々の祖父や父の若き日であったのです。・・・中略

 実際、インパールで日本軍と戦ったあと、インド各地で起きた独立運動に対するイギリス駐留軍の対応は、当時の帝国主義国家の植民地対応と比べると、あまりにも手ぬるいものとなっています。
やる気がまるで感じられないのです。

 ガンジーたちの非暴力の行進に対して、ほとんど発砲もしないで通しています。
以前のイギリス軍なら、デモ集団の真ん中に大砲を撃ち込むくらいのことは平気でした。
そして、戦後の東京裁判でイギリスは、インドがパール判事を送り、パールが日本擁護の判決付帯書を書くことについて口を出していません。
そこに私はインパール作戦が世界史に及ぼした大きな、真に大きな意義を感じるのです。・・・以下略



  牟田口さんはこのねずさんの考察を読まれたら、やっと分かってくれたかと号泣されるのじゃないでしょうか。そうさせてあげたかった。

  それにしても、先人は凄かった。イギリスの態度も騎士道を思い出させてくれます。


★植村の敗訴確定 最高裁、慰安婦記事巡り

2020年11月28日 | ニセ慰安婦(売春婦)・就職詐欺被害者問題

 これぞ行き過ぎた民主主義の弊害と言える長い裁判がやっと終わったようです。あの売国奴植村が櫻井さん達を訴えていたものです。
  何故こんな分かりきった裁判がここまで長く続けられるのか。あのオームの裁判や原発訴訟など、兎に角おかしな裁判が多すぎます。これも腐り切った司法の証でしょう。

  産経ニュースよ り     2020.11.19

  元 朝日新聞記者の敗訴確定 最高裁、慰安婦記事巡り

 元朝日新聞記者の植村隆氏(62)が「従軍慰安婦」について書いた記事を「捏造(ねつぞう)」とされ名誉を傷つけられたと して、ジャーナリストの櫻井よしこ氏(75)と出版社3社に謝罪広告の掲載と損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第2小法廷(菅 野博之裁判長)は植村氏の上告を退ける決定をした。18日付。請求を棄却した1、2審判決が確定した。

 1、2審判決によると、桜井氏は、韓国の元慰安婦の証言を取り上げた平成3年の朝日新聞の記事について「捏造」「意図的な 虚偽報道」などとする論文を執筆し、週刊誌などに掲載された。植村氏は「事実に基づかない中傷で激しいバッシングを受け、家 族も含め危険にさらされた」と平成27年に提訴した。

 1審札幌地裁は30年の判決で「櫻井氏が、記事の公正さに疑問を持ち、植村氏があえて事実と異なる記事を執筆したと信じた のには相当な理由がある」として請求を棄却。今年2月の2審札幌高裁判決も支持した。

  Chinaの裁判の恐ろしさに比べたらこれこそが民主主義と反日売国左翼・在日マスメディア達が囃し立てるのでしょうが、やはり納得が行かないものがあります。
  反日売国左翼・在日共に利用される行き過ぎた民主主義を考えなおすべき時が来ているのじゃないでしょうか。

★謎だった杉原千畝の哈爾浜時代のことが明らかに

2020年11月28日 | 誇れる日本

 シンドラー人気で、にわかに脚光を浴びた杉原千畝ですが、これも日本を貶める為に杉原が国に逆らってやったという美談にされた裏があるようです。
  その杉原のハルピン時代も明らかにした本が出たようです。何時もの宮崎さんが書評で取り上げてくれています。
  ロシア女性と結婚していたが国内への異動で離婚されたそうです。その奥さんのその後はどうだったのでしょうか。何だかこちらの方が興味を引かれます。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より 令和2年(2020)11月20日(金曜日) 通巻第6706号

  書評  

 謎だった杉原千畝の哈爾浜時代のことが明らかに
  ロシア人妻(日本名ユリ子)との出会いと別れ。そして「人道主義のイコン」に。

 古江孝治 『杉原千畝の実像』(ミルトス)

 「六千人の命のヴィザ」で知られる杉原千畝の哈爾浜、満州里、カムチアツカ、リトアニア、チェコ、ケヒニスブルグ(当時は 東プロイセン、現在はロシアの飛び地カリニングラード)、そしてブカレスト時代と外交官としての前半、そして杉原が帰国して からの、「その後」の人生の実像に迫るドキュメント。基本は人道主義にあり、ヒューマニズムのタッチで描かれている。

 いわゆる「杉原本」という評伝もの、外交論、歴史評価などは二十数冊もでているが、本書はそのなかで、特異な趣がある。四 男の杉原伸生氏が協力している点である。
 杉原が発給したヴィザはユダヤ人に限らず、自由を求めてカウナス(当時リトアニアの臨時首都はカウナスだった)の日本領事 館前に列をつくった多くの人々に発給した。殆どがポーランドにいたユダヤ人だった。チェコ人もいた。

 未亡人の回想や、その他の作家も挑んだ杉原評伝には、触れていない部分がある。
 つまり満州時代を経てリトアニア赴任となり最期のルーマニアで終戦となって家族と一緒に収容所に入れられ、翌年に日本に引 き揚げたのち、杉原はいかなる人生を歩み、86歳まで生きたのか。この人生の影の部分を息子の杉原伸生氏が補い、貴重な資料 や写真も提供した。世間に流布しているカウナス時代の杉原の写真は、じつはブカレスト時代のもとだったことも本書で判明し た。

 筆者の古江氏は福井県敦賀市役所に勤務し、ポーランド孤児やユダヤ避難民の敦賀上陸を展示する「人道の港 敦賀ムズウム (ニュージアム)」の初代館長。
 杉原は1900年1月1日に岐阜県美濃市でうまれた、とされる。当時の戸籍は申告制だから多くの人は正月元旦生まれで戸籍 登録をした。ちなみに評者(宮崎)が小学生のとき、同級生55名のなかの15名が1月1日生まれで、聞くと「親が縁起が良い のでそうした」と答えた。双子の場合は、一人を一年後に申請した。病院の新生児証明は不要だったからだ。

 杉原は早稲田大学に学び、英語が得意だった。外務省留学生試験に合格したが、選択語学はシナ語、ロシア語、シャム語、オラ ンダ、スペイン、ポルトガル、ブラジル、トルコ語しか席がなく、英語専攻だった杉原は、仕方なくロシア語を選んだ。
 そして別の人生が拓けたのは哈爾浜に赴任してからだ。

 努力の結果、ロシア語に堪能となって。彼の地でロシア人女性クラヴディア・セマノヴナと結婚した。杉原24歳、クラヴディ アは20歳だった。彼女は「入籍と同時に日本国籍を取得し、日本名で『ユリ子』と呼ばれるようになった」(30p)。このロ シア人妻との結婚生活は十二年つづいた。

 三年ほどでロシア語をマスターし満州里に赴任したときはロシア語をおしえたほど、また一年間の兵役も済ませていた。
 哈爾浜はエキゾティックな町で、ロシア人が多く、情報が取りやすかったが、逆にロシア人妻を通じて、情報がロシア側に流れ る危険性もあり、周囲は杉原の動静を監視するようになったという。当時の哈爾浜は諜報合戦の本場だった。そして離婚が待って いた。
 戦後、一度外務省に復帰するがGHQの外交縮小命令によって辞職を余儀なくされ、あちこちの職を渡り歩いた。外務省で尊敬 していた広田弘毅が東京裁判で死刑になったときは号泣したという。

 満州時代に一度ソ連勤務の辞令が交付されたが、ソ連は杉原をペルソンノングラータとして入国が拒否されたことがある。この ソ連への赴任は戦後十五年後のことだった。
 1960年に川上貿易の商社員としてモスクワへ赴任し、同社が蝶理と合併後、1971年に国際交易のモスクワ所長(取締 役)となった。合計18年をソ連で過ごし、78歳で退職、帰国した。
 帰国後、八年間は静かな人生を送り、1986年に杉原は死去した。墓は鎌倉霊園にある。インタビューに応じることが嫌いで 例外は1977年にフジテレビの取材に応じただけ。寡黙を通した。

 杉原のヴィザ発給によって生き残り、米国で成功したユダヤ人によって、『杉原捜し』が始まった。
人道主義、博愛のイコンとして、杉原千畝は現代日本に甦った。

  何と、分かれた奥さんが豪州に住まわれていたとのだそうです。落合道夫さんが読者の声で書いてくれています。きっと波乱万丈の人生だったのでしょうね。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より  令和2年(2020)11月21日(土曜日) 通巻第6707号  

   読者の声 

 (読者の声1)

 新型コロナがはやっています。大事にお過ごしください。以下ご参考まで。
日本の戦前のユダヤ人救出事業について
 これは杉原のビザで有名だが、この話は史実、虚偽、知られていない史実があり、美談を装って反日、反日本軍プロパガンダに使われているので要注意だ。拙著「黒幕はスターリンだった」ハート出版に要約してある。

 史実としては、救出事業は2回あった。第一回は1938から1939年で、ユダヤ系ドイツ人がベルリンなどの日本領事館でビザをとり、満洲、日本経由で上海に移住した。この時樋口中将、安江大佐が満州国通過を支援したので、二人は1941.4にユダヤ人の恩人名鑑(ゴールデンブック)に記録された。上海では日本海軍の犬塚機関がユダヤ人を支援した。しかしこの事業は資金の限界からユダヤ人側の要請で中止された。

 第二回は1940年の杉原が関係した事件だ。発端は上海のユダヤ人協会が1940年7月に、犬塚大佐に、再度のビザ給付を懇願し、外務省が許可したもので、杉原は外務省の許可を得てビザを給付した。ビザは上陸地で番号を照合する仕組みだから勝手に発行することはできない。

 日本政府のユダヤ人支援の動機は、対米関係の改善だった。ルーズベルト政権は、主要幹部にかなりのユダヤ人がいた。
ハル国務長官の母はユダヤ系で夫人もユダヤ系だった。財務長官のモルゲンソー、労働長官もユダヤ系だった。しかし米国内では反ユダヤ運動が盛んであったから、彼等は保身の為に反ユダヤ政策を行った。欧州から逃げてきたユダヤ人を米政府が追い返したセントルイス号事件は有名だ。
この時、モルゲンソーがハルに抗議したという話もある。日本のユダヤ人による米国政府の対日敵視政策の緩和は成功しなかったが、日本政府は敗戦まで上海でユダヤ人を保護した。これは人道的であったと言えるだろう。

 杉原千畝は満州国外務部勤務から本省に移る際、結婚していたソ連人の娘クラウディアを離婚し日本で日本人女性と再婚した。戦後の外務省退職はGHQ指令による700人もの退職者の一人であり正規の退職金と年金が支給されているから処罰されたわけではない。

 戦後杉原はソ連に長期滞在したが、秘密警察KGBの管理下にあったわけで、日本人モスクワ滞在者によると普通の待遇ではないという。
杉原の事績はイスラエルの研究者がよく調査し、濠州にいた最晩年のクラウディアを訪ねている。日本では菅総理大臣までがリトアニア訪問時に杉原の勤務していた領事館を見に行っているので、イスラエルに協力してもらい、この謎に満ちた事績の正確な調査が必要である。(落合道夫)

  日本としては、やはり樋口季一郎さんを世界に広めるべきでしょう。杉原さんも素直に評価したものであって欲しいものです。

  折角、こんな素晴らしし先人を持ちながら世界に信実を発信しようとしない政府・外務省などには怒りを覚えます。
  やはり、信実を世界に発信すべき。発信すべき素晴らしい先人を持つ日本が自虐史観に騙されることはもう止めましょう。

それにしても、先人の素晴らしさよ!