団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★中国が月面探査機を発射 土壌採取し帰還目指す

2020年11月29日 | 中国

 台湾が潜水艦ならChinaは月面から土壌採取だそうです。Chinaは宇宙も良いですが、足元を固めた方が良いのじゃないでしょうか。
  というか、もうそんな余裕もないはずですが本当にしぶといですね。と言うか、そういうことに金を注ぎ込めば注ぎ込むほど金が無くなって崩壊が早まることになるでしょう。

  それにしても、アメリカは民間企業の宇宙船を利用しだした時に月の土壌採取とは、目指す方向が全く違うという皮肉は何か意味があるのでしょうか。


★トランプがもし負けた場合を考える

2020年11月29日 | アメリカ

 トランプさんが万一の時を考えて次から次へと手を打っていますが、渡邊哲也さんがもっとやれと発言してくれています。

  やはり台湾訪問が止めのようです。国家承認までと言われてますが、大統領の一存で出来るのでしょうか。そうであれば面白い。
  序でに、政府も自民党も腰が引けた日本もアメリカの一州にしてもらったらどうでしょう。
  今の政府・自民党では独立なんて気概は無さそうですから思い切ってアメリカに売っ払いましょう。それ程までに情け無い日本。  

  さて、トランプさんの勝利を聞けるのは何時でしょうか。 


★台湾、高性能潜水艦の建造に着手、進水は2025年

2020年11月29日 | 台湾

 台湾が高性能潜水艦の建造を始めたようです。どうやらアメリカのシステムを導入するようです。
  本来なら日本が協力して貰いたいところですが、日本政府にその度胸は無いでしょう。全ての揉め事を避ける体質はどうにもならないようです。  

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より  令和2年(2020)11月25日(水曜日) 通巻第6712号   

 台湾、高性能潜水艦の建造に着手、進水は2025年
  米国システムを導入し、2024年第三四半期に完成予定

 2020年11月24日、台湾の蔡英文総統出席のもと、潜水艦着工式が行われた。
中国の軍事的脅威から台湾の主権を守るために新しい潜水艦を導入することは決まっていたが、とりわけ米国式の戦闘方式、その システムに対応するために技術的な詰めが行われてきた。

 公式発表では触れていないが、米国の魚雷を搭載するための設計、装備の研究に時間がかかったとされる。この新型魚雷はトラン プ政権が供与をきめたもので、一発で敵の駆逐艦を撃沈できるという。

 台湾海軍の潜水艦は旧式のため、軍事力のアップが急がれていた。
 2019年の香港大乱を目撃し、台湾でも中国に対する警戒感は高まり、世論は激変し、軍事的な対抗力を保有強化する必然性 が世論に受け入れられるようになった。中国が公然と支援した国民党の総統候補、韓国諭が惨敗した。そればかりか、韓国諭は高 雄市長の座も住民のリコールによってやり直し選挙となり、空前の惨敗となった。

 台湾の親中派は勢いを失い、台湾企業も一斉に中国からの引き上げを開始し、ハイテクでは次世代半島体製造メーカーなどが、 米国への移転を決めた。流れは変わった。

 この政治の激変ぶりと、トランプ政権の大々的な台湾支援、F16戦闘機、ミサイル供与などが背景にあり、これまでためらっ てきた国産潜水艦の建造に踏み切るまでになったのだ。進水は2025年になる。

  産経も取り上げています。

  これで、トランプさんが訪問すれば益々面白くなりそうです。その時は当然安倍さんも訪問すべきでしょう。近いうちに実現するかも。


★茂木のせいで日本は世界中の笑い者

2020年11月29日 | 政治の崩壊

 やはり菅(スガ)政権はとんでもない方向に進んでいるようです。茂木外相のChinaの外相への対応を見て日本国民はがっかりしたことでしょう。
  なんで、あんな場面で笑っていられるのでしょうか。日本の立場が全く分かっていないようです。
  まさに、「こりゃ駄目だ」です。日本の為に働く気概なんて全く持ち合わせていないようです。


  何と、外国人に地方参政権を与える考えの持ち主だそうです。良く、こんなのを外相にしたものです。

  日本はやはり二階が牛耳っているのでしょう。何とも情け無い。 


★ローマ教皇「ウイグル族迫害」と懸念 中国は反発

2020年11月29日 | 神道

 ローマ教皇が、流石に世界の非難に気が付いたのか、急にウィグル族迫害に懸念を表したようです。
  もう遅かったのじゃないでしょうか。キリスト教の胡散臭さは多くの人達が気が付いて来たのじゃ無いでしょうか。日本は秀吉の時代から気が付いていたようですが。

  一神教はすべからく神道の下に入るべき時代が来るのじゃないでしょうか。その時こそ世界から宗教戦争が無くなる時かも。


★勤労感謝の日と新嘗祭

2020年11月29日 | 誇れる日本

 アメリカの大統領選挙の騒動を見ていると、選挙をあそこまでやっても勝とうとするその奴等の徹底的な悪がしこさに驚かされます。
  正に、世界は腹黒いの世界です。その腹黒さを徹底的に行使したのが、GHQだったのじゃないでしょうか。
  何と言っても、日本の文化を忘れさせようとしたのですから。文化を忘れることが国を滅ぼすことを良く知っていたということでもあるようです。
  この発想はシラス国でお上を信頼して生きて来た恵まれた日本人には到底思いつかない考えなのじゃないでしょうか。

  そのお陰で、祝祭日の本当の意味も知りませんでした。やはり、世界と国内は全く違うという考えを持って付き合う必要があります。その典型的な相手が特亜3国でしょう。

  そんな忘れさせられた素晴らしい日本の文化をねずさんが教えてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より    2020/11/22

  勤労感謝の日 と新嘗祭

 よく「祝祭日」という言葉が使われますが、戦後の法律には「祝日」はあっても「祭日」はありません。
祭日は戦前戦中まで、明治41年皇室令第1号の「皇室祭祀令」によって定められた日のことで、この名称が簡略化されて「祭日」と一般に呼ばれていたものです。
戦後はGHQによって「皇室祭祀令」が昭和22年に廃止され、同年付で「国民の祝日に関する法律」が施行されました。
ですから法的な呼称としては、現代には「祭日」は存在しません。

 たとえばお正月の1月1日の元旦は、戦前の法律なら「四方節」、戦後は単に「元日」とされています。
同様に戦前までの「新嘗祭(にいなめさい)」は、戦後の法によって「勤労感謝の日」とされているわけです。

 明日の11月23日は、その「勤労感謝の日」ですが、もともと「新嘗祭(にいなめさい)」の日です。
ところが、どうしてこの日が「勤労感謝の日」と呼ばれるようになったのかというと、その理由が「新嘗祭だから」です。

 新嘗祭というのは、今年の新穀を天皇が新米を神々に捧げて饗応するという皇室催事です。
歴史的には仁徳天皇が新嘗祭を執り行なったことがはじまりで、すでに1600年以上の伝統があります。
そんじょそこいらの国の成立よりも、はるかに古い歴史があるのです。

 明日の11月23日は、その「勤労感謝の日」ですが、もともと「新嘗祭(にいなめさい)」の日です。
ところが、どうしてこの日が「勤労感謝の日」と呼ばれるようになったのかというと、その理由が「新嘗祭だから」です。

 新嘗祭というのは、今年の新穀を天皇が新米を神々に捧げて饗応するという皇室催事です。
歴史的には仁徳天皇が新嘗祭を執り行なったことがはじまりで、すでに1600年以上の伝統があります。
そんじょそこいらの国の成立よりも、はるかに古い歴史があるのです。

 新嘗祭は、これに先立って10月17日に「神嘗祭(かんなめさい)」が、まず行われます。
こちらは伊勢神宮で行われるもので、その年に収穫された新穀を天照大御神に捧げます。
これを受けて、次いで今度は皇居で行われるのが、11月23日の「新嘗祭(にいなめさい)」です。

 「新嘗祭」では、天皇陛下が皇居内にある神嘉殿(しんかでん)という特別な御殿の中に篭もられ、そこに天照大御神をはじめ、天神地祇(てんじんちぎ)のすべての神々をそこにお招きされ、初穂お供えして、神々とともにこれをお召し上がりになられます。
天神地祇とは、天つ神、国つ神のことです。

 すごいのは、この新嘗祭の慣例です。
なんと、ご飯が柏(かしわ)の葉の上に盛られ、陛下は古代箸(こだいばし)でそのご飯をお召し上がりになられるのです。・・・以下略



  さて、日本人はどちらを選ぶのでしょうか。
 


★メリーランド州知事「韓国製新型コロナ診断キット50万個全て不良品 だった」

2020年11月29日 | 韓国

 Korea製品の素晴らしさを証明する事件が起きていたようです。何と、メリーランド州知事が奥さんの祖国から輸入したコロナ診断キット50万個全てが不良品だったのだそうです。
  人命に関わる商品でこれは許せ無いですね。もしかしたらアメリカの感染の多さにも関係しているのかも。


  Koreaの女性は政治家が好きなのでしょうか。あのドイツのルーピーの奥さんもそうでした。やはり、特亜3国の得意技なのでしょうか。
  いずれにしても、Koreaと関わると碌なことは無いようです。


★今村均・森田必勝・宮崎正弘の秘話

2020年11月29日 | 誇れる日本

 今村均大将と言えば、2018年5月28日 、第1059回の「 ★日本人はどこまで劣化した のか」等で取り上げたように、日本でも最も尊敬されるに値する方でしょう。
  何と、その今村さんが、22日、第7721回の「★三島由紀夫と死んだ男  森田必勝の生涯」と縁があり、その縁の裏に宮崎さんの交渉があったのだそうです。

  何とも、凄い縁ですね。それを宮崎さんの読者の声に村田春樹さんが投稿してくれています。
  今村さんが天寿を全うされていたのも初めて知りました。それにしても、尊敬すべき方々は皆さん自分の生活より部下のことを考えられていることにその凄さを思わずにはいられません。
  あの乃木さんを思い出します。日本にはこうした人達がおられたということこそが腹黒い世界とは違うことを世界に広報したいものです。
  これこそがシラス国の証拠でしょう。

  それにしても、宮崎さんの活躍は凄い。この話題は本当に驚きでした。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より  令和2年(2020)11月21日(土曜日) 通巻第6707号 

  (読者の声3)

 帝国陸軍の今村均大将をご存じの方は多いと思う。陸軍大学首席(恩賜の軍刀)。大東亜戦争開戦時は軍 司令官して蘭印作戦を指揮。その猛攻撃にオランダ軍は敗退。インドネシアを占領し、軍政を敷いた。
オランダ軍に拘禁されていたスカルノとハッタを解放しインドネシア独立義勇軍(PETA)を組織した。今村大将の善政は インドンネシアの親日感情としていまだに残っている。

 戦後、自決に失敗して東京に移送され(時に59歳)戦犯裁判。巣鴨で禁固10年。ところが今村大将は部下とともにマヌス 島で服役することを申し出たのだ。今村大将の申し出について、マッカーサーが「私は今村将軍が旧部下戦犯と共に服役する 為、マヌス島行きを希望していると聞き、日本に来て以来初めて真の武士道に触れた思いだった。私はすぐに許可するよう命 じた」と言ったとする説もある。

 昭和25年3月から28年8月までマヌス島豪軍刑務所に服役したが、刑務所の廃止に伴い、他の日本人受刑者とともに巣鴨 に移管され、29年1月に刑期満了で出所。入獄中から執筆を開始し、出獄4年後に『今村均回顧録』を完成させている。
一方で、出所後は、東京の自宅の一隅に建てた謹慎小屋に自らを幽閉し、戦争の責任を反省し、軍人恩給だけの質素な生活を 続ける傍ら回顧録を出版。その印税は全て戦死者や戦犯刑死者の遺族の為に用いて、元部下に対して今村は出来る限りの援助 を施した。それは戦時中、死地に赴かせる命令を部下に発せざるを得なかったことに対する贖罪の意識からの行動であり、そ の行動につけこんで元部下を騙って無心をする者もいたが、それに対しても今村は騙されていると承知しても敢えて拒みはし なかったとする。
戦後生き残った将星の中でまさに亀鑑ともいうべき人であり、私は心から尊敬している。
余談だがパレンバン攻略の空の神兵奥本實中尉は戦後、戦死した部下の慰霊に後半生を捧げたそうである。今村大将と奥本中 尉、相通じるものがある。接点があったのだろうか。

 昭和43年6月15日、東京市谷の私学会館ホールで「全日本学生国防会議結成大会」が開催された。参加者500人、激励 電報24通、予想だにしない大盛況だった。同時刻に左翼が日比谷野音で集会を開催しており、マスメディアは両方に取材攻 勢をかけた。カメラのフラッシュと満場の拍手の中、議長として壇上で獅子吼したのは早大国防部の森田必勝さんその人だっ た。

 そして来賓として祝辞を述べたのは、今村均大将と三島由紀夫先生だった。今村均大将と、森田必勝さんがあいまみえていた とは!

 11月に出版された「三島由紀夫と死んだ男─森田必勝の生涯」(犬塚潔著。秀明大学出版会)でこの事実を知り、何とも言 えぬ感慨に襲われた。82歳の老将軍と23歳の青年はなにを語ったのだろうか。
今村大将はこの3か月後に鬼籍に入る。この大会が大将の愛国の熱情の、最後の発露の場所だった。私は当時高校三年生。 「あとせめて二年早く生まれて早大生としてこの大会に参加したかった」としみじみ思う。

 三島先生も森田さんも2年5か月後に鬼籍に入る。意外に早く後を追ってきたお二人に、泉下の大将はさぞ驚いたことだろ う。そして3人は何を語ったのだろうか。今から50年前の今日、東京はときならぬ台風(野分)に襲われた。新宿十二社の アパートの窓ガラスを激しい雨がたたいた。
それを凝視する森田さんの心境はどのようなものだったのだろうか。
 「今日にかけてかねて誓ひしわが胸の思ひを知るは野分のみかは」(森田必勝命辞世)。 (村田春樹)

 (宮崎正弘のコメント)三島さんは森田に「お前が議長なら。。」と言って全日本学生国防会議の結成大火に駆けつけ、万歳 三唱の音頭をとりました。それからソ連大使館までのデモ行進に途中までタクシーで着いてこられ、森田議長ほかに手を振っ ていた光景を思い出します。あれあら52年、そして三島事件から半世紀です。
 今村閣下は小生が直接交渉に豪徳寺にあった御自宅へ伺いました。その後も二回ほど挨拶に行って、当時の防衛庁との橋渡 しもお願いしたことがあります。

  宮崎さんに今村さんの印象などを教えて貰いたいものです。既に何処かに書かれているのかも。
  それにしても、こんな奇遇ってあるんですね。

宮崎さん偉い!