明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



床に敷く緋毛氈が届いたので早速敷いた。平面的な表現をするなら、フォトショップで赤で塗りつぶせば良さそうな物だが、どんな手でも使ってやると日頃いっているわりに、そんな気にならず。どうやら私は、この日本画調に見える平坦な手法こそ、使う物は、代用品やそれらしく見えるように作った物でなく本物を使うべきで、またどんな小さな部分であろうと、すべてカメラで撮影して使おう、と思っているようである。鬼火、蠟燭の炎こそ筆で描いたが(それを撮影してデータにはしたが)本当の事などどうでも良いといっているわりに、切り張りとバランスを取るための色調処理以外、見た目ほどには加工していない。造形と撮影の段階でほぼ決まってしまうことが判った。だいたい今回は、構図は鏑木清方の円朝図に準じているので鬼火の配置以外頭を悩ます必要がない。 
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鏑木清方描く圓朝像に対するオマージュの準備を始める。圓朝の横に一本見える燭台の上の蠟燭の炎の表現について考える。虚実ない交ぜの作品になるわけだが、その炎の所属を虚と実どちらにしようか、ということである。 蠟燭の炎は一度撮影したことがある。フリーペーパーの特集『手塚治虫と新宿を歩く』であった。歩かせずに飛ばしてしまったが。昔の少年マンガ誌の表紙のイメージでやってみた。 手塚のジェット、ロケット噴射は蠟燭の炎の如しである。そこで本当の蠟燭の炎を撮影して使った。しかし、形もさることながら黄色い色がいかにも推力不足に見え、マンガのようにはいかず、噴射感を加えざるを得なかった。つまりこの時の炎も虚実の間でユラユラしていたことになる。



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先日ららぽーとに牡丹灯籠用の布を買いにいった時に、羽織の紐用の紐を買うのをすっかり忘れていた。最初のカットは紐は写らないと思っていたが入りそうである。そこで昔、窓のブラインドの紐をちょん切って作った泉鏡花の紐を拝借することにした。 先日作った鬼火が浮んだ圓朝用背景だが、掛け軸を意識した縦横比に、まったく立体感がない平面的背景で、ここに普通に印影のある立体を配するのは当然木に竹を継ぐ結果になるのは明らかである。そこで印影を消し、立体感を消すよなライテイングで撮影をした。この場合、印影によるごまかしは効かず、出来不出来が露になるだろうことは予想をしていたが、目で見た分には顔の塗りムラ艶のムラなど、むしろ人間っぽくリアルに見えているものが、目で見た以上に強調されてしまい、顔を洗ってこい、というような結果となった。塗り直しをすれば済むと思うが、方法は間違っていないことは判った。

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瞬き  


朝7時、T屋に朝定食を食べに行く。昨晩は母にそう提案していたので朝っぱらから出かける準備をゴソゴソしている。私はまだ寝たかったが、一度目が覚めるともう寝られない。母を先に行かせる。T屋のかみさんには『貝の穴に河童の居る事』で笛吹きの女房で踊りの師匠をやってもらったが、今回は『牡丹灯籠』のお米をやってもらうので、出来たばかりの灯籠を持って行った。しかし、このかみさんには被写体として難しいところがあって、瞬きが押さえられない。貝の穴ではもっと活躍してもらうはずだったが、一人だけで撮ると、まず、目を閉じているか半開きである。わざとやるにしてもこうはできないだろう。当然1、2の3で撮ったり、逆に予告無しでシャッターを切ったり、タイミングをずらしたり、あらゆる事を試したが、特殊な能力でもあるのかのようにつぶられてしまう。これには本当に参った。こうなるとお露と二人で撮るか、高速シャッターで撮るしかない。前回も特に低速シャッターで撮った訳ではなかったのだが。


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LEDの蠟燭の灯は展示用に作ったのだが光量も丁度良く、暗い幕末、明治の高座を再現した撮影にも使えそうである。岡本綺堂もいっているが当時の寄席は暗い。ただ清方や晴雨が描く寄席は客席にランプや大きい行灯が下がっているが、客席全体の明るさは日本画では判らない。ここは高座上の、両脇の蠟燭に照らされる圓朝の様子を見ながら全体の明るさを案配しながら撮影すればいいだろう。LEDの燭台は、撮影後蠟燭に灯を着けた実物の燭台に置き換えるのはいうまでもない。 撮影用に入手した照明器具も届いた。小さな人形を常に人間を撮るつもりで撮ってきたが、一方で、人間でない作り物を人間のように撮るというウソを付くなら、ウソならではの撮り方もあるのではないか、という漠然とした考えが常にあった。その一つの答えになるかもしれない。上手くいかなかったら、何事もなかったようにやり過ごすだけである。

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最初の1カットは圓朝の斜めからのバストアップ。目前にヒトダマが浮ぶ予定である。顔にどうやって光を当てどんな表情にするかはその場で案配することにする。圓朝は彫が深いとはいわないが比較的凹凸があるほうなので光の当て方で様々な表情を出せそうである。下からの照明をあからさまに使えるのは怪談の圓朝ならではだが、かなり怖い。1作目は高座上の姿だが、暗い座敷に座らせ、うつむき気味なので目の前の行灯の灯りを見つめる圓朝を正面から撮っても良さそうである。その周辺に飛び交うヒトダマ。なにしろヒトダマを飛ばそうというのだから遠慮はいらない。写真という言葉を蛇蝎の如く嫌い、真など写してたまるか、とフレームの中からできるだけ排除したい私としては格好の題材である。もっとも、何度もアップしたので止めておくが、フレームの中に、白く飛び交う物が写ったことあるけど。 筆で描く予定のヒトダマは、今の所あまり上手く描けないでいる。
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戸川安宣さんからご恵投いただいたので、母がショートステイに出かけていて晴れ々とした気分の中で読む。幼い頃からの本好きが高じ、ミステリの世界に。聞き書きの形のせいで戸川さんから直接伺っているような心持で読み進めた。江戸川乱歩に会いそびれた話や山伏修行の話など伺った記憶がある。私も少年少女世界名作文学にはまった経験があるので懐かしい気分になったりしながら読んだ。 戸川さんは私の最初の作家シリーズの個展に来ていただいたのが初対面であったが、様々な経験をさせていただいた。最初の撮影の仕事。『98本格ミステリ・ベストテン』この時は自信がないので駄目だったら他のカメラマンに、とお願いした記憶がある。この流れで99年では、まだご家族がお住まいだった乱歩邸で撮影ができた。紀田順一郎さんカバーのお話をいただいた時は、制作済みの人形を使って、ということであったが、単行本は永井荷風で決まっていたが、イラストレーターのように内容を解釈して画にする、ということをやってみたくて文庫本はオリジナルでやらせていただいた。これも初体験である。 これを見て思い出したが、『古本街の殺人』で、背景に古書店のお客役で戸川さんに入っていただいたのだが、本を開いて読んでいてください、とお願いしても、どうしても気になる本に手が伸びる。まあ、それも良いか、ということで。本好きに本の中でじっとしていてもらうのは難しい。

アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』


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最新作が一番良く見えるというのは結構なことだが、それは目が慣れていないせいもあろう。旧作から近作まで並べてみた深川江戸資料館の個展でそう思った。この中でどれが一番の作品か?と何度か訊かれたが、そういわれれば特にどれもこれもそれぞれ、という感じであった。 和服について、こんな状態はどうか、と思いついたは良いが、誰に訊いてもそんな着方はしないという。そりゃそうだろう、とは思った。しかしたまたま見た伊東深水の画集に1作品あった。深水がそう描いているなら有りであろう。本日テスト撮影。ところが考えるのと実際は違った。伊東深水に騙された。もっともここで諦める気にはならない。今度は台風が来ていない時に撮影しよう。

タウン誌深川 常連咳にて日が暮れる

アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』

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眠い中横浜へ。依頼されていたドライフラワーの撮影。主に自然光で撮る事になっているが、変わった作りの部屋で、外からの光に表情がある。時間により撮影場所を移動しながら撮る。これは私が常にやっていることで、合成の場合、背景と成る写真とできるだけ同じ質、同じ方向の光を主役の人形に当てなければならない。そのため、部屋のどの場所に持って行けば、どういう光が人形に当たるか把握している。後はデジタル処理といっても、切りとって背景に貼付けるだけである。 三脚を使ったのは何年ぶりであろうか?デジカメに転向してからほとんど使っていない。レフ版もウソをついているような気がしてめったなことでは使わない。そもそも主役の被写体が実物でなく、私の頭を通過したウソ八百なので、その撮り方は正直にそのまま撮りたいと思っている。ウソをつくには本当を混ぜるのがコツであるが、ウソが上手くつけた時ほど撮り方は単純素朴に行った方が良い。ウソにさらに嫌味が出てしまうのは避けなければならない。 初めて聞く駅の近くで打ち上げ。料理は美味かったが、こちらで話しているのに主人が向こうから割り込んで来る。こういう時、早く隅田川の向こう、江戸城の近くに帰りたくなるが、人身事故で最終電車にかろうじて。

石塚公昭HP

『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第5回



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拡大する作品を一つ思いついた。永井荷風が浅草のストリップ劇場通いしたのは有名である。人嫌いの荷風が踊り子に囲まれ笑顔を見せている。踊り子は荷風を知らず、たんに写真好きの老人だと思って接していたようだが、文化勲章受賞後は、扱いも違ってしまったのだろう、次第に脚が遠のいた。 そこで舞台の袖で踊り子を眺める荷風先生の図である。当時はパソコンなど蛇蝎の如き扱いであり、もちろん合成などしていない。私の撮影は、ファインダーの中さえイメージ通りであれば良い、というわけで、端から見ると奇妙な撮影風景であることが多かったが、この作品など最たるものであろう。HPには書いてあるのでいってしまうが、ストリップ嬢の足下30センチに荷風をただ置いているだけである。そこで脚上げをくり返してもらった。画面からすると荷風は小さいので拡大するのも良いだろう、ということもあるが、なんといっても踊り子の太ももが人の胴体くらいになるのが愉快である。 ところで、中学のときに観た『卒業』のこのカットの影響があるような気がするのだが。

深川の人形作家 石塚公昭の世界展

関連イベント

『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第4回 

 

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二時にMさんのマンションの和室のゲストルームにて撮影。『貝の穴に河童の居る事』(風涛社)の室内シーンはすべてこちらで撮影した。もっとも人物の撮影だけで、背景は旧高橋是清邸その他である。ついでに海岸のシーンや巨大なイシナギを担いだ漁師の若者は、こちらのマンションの駐車場で撮影した。皆さんを海辺へ連れて行って撮影する予算などないし、大事な着物のまま海に入ってもらうわけにはいかない。 本日は着流し姿のヤクザ者四人をMさん一人でやっていただく。顔は番傘で隠れるので懐のドスを握ってもらう(つもり)とか風呂敷を巻いた日本刀を持ってもらったり、それぞれポーズを工夫した。今回も奥さんが着付けをやっていただいたのでスムーズに進む。  健さんお馴染みの上半身をはだけた“死んで貰います”状態も撮影させていただいた。私の場合、記憶を引っ張り出しておおよそ作ってしまうが、裏返って垂れ下がった着物がどうなっているか私の辞書には載っていなかった。この作品、『深川江戸資料館』で展示できるのだろうか。 帰宅後さっそく作業にかかる。当初のイメージでは背中をのぞかせた三島を大きく中心に。その背景に着流し姿の四人組がGメンのように横一列に並び、その奥に白いコロナ。という画を考えていたのだが、とりあえず画像を切り抜いて四カット取り込んだら、たまたま傘の配置が面白く、四人を大きく、大小配することに変更。コロナはなし。

朗読ライブ

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私が広角レンズは形が極端に歪曲するレンズだと思い込んでいた頃。ある写真展で風景を広角で撮影し、引き伸ばされたプリントを見ていた。それがある距離に来たら、歪曲して見えていた画像が歪みのない、普通の風景に見えた。こういうポイントがあるのか。と面白かった。 被写体、被写体との関係や距離。プリントのサイズ。特別なポイントが在るのではないか。来年の深川江戸資料館での個展は、大きなプリントを考えている。用紙のサイズの都合、背景を含めての人物ということもあり、必ずしも人間大とはいかないかもしれないが、できるだけそうしてみたい。人形が人形であるかぎり、人間サイズを越えるべきではないという気がするが、写真は違う。あくまで人を撮っているつもりでいる。人間大にしてみる価値はあるだろう。 作家シリーズを始めた初期に、江戸川乱歩が帝都上空を気球に乗って、という作品を作った。作品自体に極端なパースを付け、さらに広角レンズで撮影した。背景の空を自分で描き、それを自然光で撮る、しかも人形を手持ちで、と今思うとややこしい、あまり頭が良いとはいえない撮影方であったが、それが私だとしかいいようがない。田村写真で最初にプリントを見た時、自分でそうするつもりでやっていたはずであったが、『私はこういうことをしようとしていたのか。』と意外な驚きがあった。もし今度あの感じを味わえるとしたら、人間大プリントではないか、と密かに期待しているのである。


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搬入  


『日影丈吉と雑誌宝石の作家たち』 日影丈吉を作ることになるとは思わなかったが、ようやく搬入である。昨日の初台に続き、町田も初めてである。出品は計3体。新作の日影以外は乱歩、横溝と、昨年世田谷文学館に展示した作品であるが。 会場は完成まで当分かかりそうな状態であった。日影のインタビューだかの録音が残っているそうである。「早くいってよ」といいたい。平面の写真から立体を作る場合、本人の肉声が聴けるにこしたことはない。八百屋がスイカを叩くのと同じようなものである。木場の魚屋の倅である。下町訛りが出ているのではないか。エッセイの中にも東京弁が出てきた気がする。今展のメインビジュアルは澁澤龍彦編『暗黒のメルヘン』のカバーに使われた村上芳正である。ポスターをもらう。 帰宅後、撮影している河本のデータのチェック。先日、飲酒の果てに、良い歳をした連中がヒートアップしてしまった。勿論河本でやったら即出禁であるから、二次会である。Hさんにいわせるとみんな十歳なのよ。という。確かに見た目は四十過ぎから来年定年だったり、と実に情けないが、十歳といわれれば、あんなものであろう。そこでふと思ったのは、連中を十歳にしてしまっているのは、実は皆で心配し、いたわっているつもりの80歳の女将さんなのではないだろうか。写った女将さんの周囲の屈託のない、無防備な顔を見ていてそう思った。連休明けなど、夏休みが終わり、早く先生や同級生の顔が見たい小学生の如しである。また別な撮影方がありそうである。

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仕上げを終え、とりあえず写るところだけ着彩し、図録用撮影。 まだ写真を始めていない頃、仕事で撮影をしてもらうと、どうしても上から撮られることが多く、制作時から見上げて作っていたので、物ではなく人のつもりで撮ってくれないかな、と思っていた。日影丈吉も見上げるように撮ってみたが、広い額が圧縮されたようになり、日影らしくない。結局正面からジッとレンズを見つめるようなカットを選んだ。 『タウン誌深川』の締め切り迫る。“常連席にて日が暮れる”休業中の店について書くのは読む方に申し訳ないような気もするが、今時こんな店もあるということで。第2回は出禁。つまり出入り禁止について書いている。「お金いらないから帰んな。もう来なくていいよ」。いやはや。これを聞くたび背筋が延びる。なにしろこの宣告を受けたら二度と入店はできない。忘れた頃だろう、と入って来ても無駄である。もっとも最近は女将さんの耳も遠くなり、助かっている酔っぱらいも多い。

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ここ何年も、シャッター切って現像して完成。という作品を作っていない。1カットのためにポーズを変えて人物像を作ってようやく1カット。面倒ではあるが、良いか悪いかはともかく、すくなくとも私の頭の中に浮かんだイメージは可視化できるようになった。外側にレンズを向けず、眉間にレンズを当てる“念写”が理想である私には、それが長らく念願であった。 しかしその反面、何か忘れている物が有りはしないか。それは昨年のグループ展で旧作のセミヌードに十年以上ぶりに再開し、ただそのまま撮った作品を見て、少々遠くまで来過ぎてしまったのではないか?そう思った。次回は自分の作品を被写体とせずヌードだけで個展を、と考えたのはそんな理由もあった。よって手を加えた作品をほんの一部とし、あとは撮影した、ほぼそのままの作品から選択していた。ところが面倒なことばかり手掛けていたので、少々手持ち無沙汰である。柔らかい物ばかり食べていて、何かゴリゴリと顎が疲れるような物が食べたくなって来る。そう思っていた矢先、作品を見てもらった関係者から、色々作り込んでいる作品の方が私らしい。という声が聞こえて来た。 ところで。あれは『あまちゃん』放映の一年前であったろう。夏に房総の魚港を歩いていたら、若い娘達の華やいだ声が聴こえた。近づいてみると若い海女の一団である。全裸の娘までいるではないか。ウエットスーツ姿の年配の海女は時折見かけるが。しかしこの連中。私が近くにいるというのに、まるで目に入らないかのようで知らん顔である。というわけで、久しぶりに心地よく顎が疲れた私であった。

オイルプリント制作法

インキング映像↓

http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

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