明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



印象派絵画の影響を大きく受けたであろうピクトリアリズムは、ソフトフォーカスレンズも長く使用された。私も数本所有しているが、肝心のオイルプリントにしよう、となると敬遠してしまう。今回も選んだデータの中にはソフトフォーカスな作品は1カットしかない。オイルプリントのような曖昧な技法には、せめてネガは曖昧ではなく、くっきりしていて欲しい、というところであろうか。 そういえばピクトリアリズムで印象派、さらにヌードなどというと私がルノワールを好きだと思う人もいるが、最も好きな裸体画はクラナッハであり、大嫌いなのが、血色の良い水死体のようなルノワールなのである。 子供の頃、近所で揉め事があると、その輪の中に前掛けしたまま必ず混ざっている乾物屋がいた。どうやって揉め事を嗅ぎ付けて来るのか、その鮫のような嗅覚が子供の私には謎であった。近所といっても揉め事が聴こえる程ではなく、角が邪魔して店から見える場所ではない。揉め事の主は過剰な正義感の持ち主の某オヤジと決まっていて、乾物屋はその横で重要な会議に出席している調子で、オヤジの参謀のような顔して加勢していた「あんたそりゃ道理が通らないぜ」。道理ということばを始めて聞いた。 その乾物屋の店の奥にぶら下がっていたのがルノワールのカレンダーであった。乾物屋としては乾物でくすんだ店内を少しでも華やかにしようと思ったのであろうが、子供の私にはルノワールのせいでよけいくすんで見えた。

オイルプリント制作法

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http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

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人形を撮影するだけなら大判カメラ、レンズはもう必要ないのですべて処分しよう、と先日まで考えていた。しかし、久しぶりに8×10インチのフィルムを見ていたら、人形を撮影した物は気に入らないが、被写体に大きなカメラで威圧感を与え、じっとしていることを強いる撮影は、独特な写りである。特に私の場合、素人のモデル相手に大型カメラの操作にああだこうだとドタバタし、しまいには茶筒の蓋や手のひらがシャッター代わり。これも被写体に対する一種の駆け引きと考えていた。ミラーレスのカメラが出て、フランジバックの短いライカのレンズが使えるようになり、早々に処分してしまって悔やんでいる人がいるが、大判カメラもいずれ新たな使い道が現れるかどうか。人物撮影用レンズには、プラズマート、エミール・ブッシュのラピッドアプラナートの焦点距離違いで3本、2群2枚のU・ネーリング3本もあれば充分である。これはたいしたレンズではないが、たいしたレンズと撮りたくなるレンズは違う。 珍しいのでライツの大判用ズマール210ミリ、190ミリも残しておいても良い。ヌードを撮影したとき輪郭線のような物が現れ、そういう描写をするレンズもある、と聞いたが、その女性の35ミリのネガをチェックしていたら、単に濃い産毛がそう見えただけだったことが判り笑った。それにしても最近人形作っていないし、来年は人物で写真展を、といっているし、どうも私の動きが怪しい。表層の脳でないところで何か企んでいないだろうか。

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大判カメラや大判用のレンズは、感度が低く引き延ばしができないために、作品大のネガが必用なオイルプリントのために入手した。その後、印刷用のフィルムを使用することによりその問題は解決したが、それを作る街の施設もなくなり、現在はインクジェットでネガが作れるようになり大判カメラの出番はなくなった。 肝心の人形の撮影も、人形として撮るならまだしも、人間として撮るには不向きと思われ、一度として満足する撮影はでlきなかった。人形を人間として撮るには人形に対して大判カメラは巨大に過ぎることがあろう。さらに動かない人形を前に、三脚に大きなカメラを乗せて、ピントを合わせたり準備をしているうちに、どんどんシャッターチャンスが逃げて行く気がするのである。 自作のジャズマンの像を一眼レフで撮り始めた頃、自分で作った背景の前に人物を立たせ、三脚を使って自然光で撮影した。なかなか面白かったので、明日もう一度撮ろうとそのままにし、翌日同じ時刻、同じ光の元に撮ろうとしたが、どうも面白くない。理由が判らず考え込んでしまったが、結局、人形はピクリとも動かず現場は昨日と同じだとしたら、昨日と変わったのは私自身であろう。つまりシャッターチャンスは自分の中にこそある。以来、カメラを持った私がいきなり被写体と出会った、という気分で撮るようになり、三脚は使わなくなったしレフ板も使わない。また、動かない人形を撮るためには、撮影者は多少オッチョコチョイなくらいの設定のほうが良いようである。

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今まで撮影して来たネガ、ポジをスキャニングしていると、懐かしいカットに遭遇する。裸で奇妙なポーズのこの人。いったい何しているんだろ?と良く見ると、それは江戸川乱歩の『盲獣』用に、バラバラに切断される死体を演じてもらった場面であった。こちらがお願いしておいて何してる?とは失礼な話である。 『盲獣』は余りなグロテスクさに、乱歩自身が辟易とし、一部書き直したような作品であるが、私はとっくに亡くなっている作者であろうと、本人に見せてウケたいという妄想のもと制作している。よって乱歩に盲目の殺人鬼役を演じてもらっても、人ごとの様な顔をしているだけであるし、切断死体も、切り口はリアルにはせず、それこそハムを切ったようである。その分、死体役の女性には、奇妙なポーズをお願いすることになった。そういえば、雪の中から発見される足は不可欠であったが、そのころ東京にはすで雪がなく、雪を求め電車で某温泉地までいってしまった。足役の女性に道路沿いに残る雪に足を突っ込んでもらい撮影した。二人で温泉に浸かるなどという色っぽい場面もなくとっとと帰ったが、様々な場面が作れたのも、自分の切断されたパーツが浅草寺の上空を風船に結ばれて飛んでいたり、ショーウインドウに飾られたり、湯船に浮かんでいたりを面白がってくれる女性連のおかげであった。そして私は“だって乱歩がそう書いているから”仕方がない、とばかりに、すべて乱歩のせいにしている訳である。

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刺青  


T千穂にて鍋をつつきながら女刺青師の彫◯ことKさんと打ち合わせ。Kさんは若くして住み込みで修行した人で、浮世絵由来の古典的な墨を得意とする。彼女にはヌードの撮影をお願いしているのだが、きっかけは修業時代、最初は手の届くところに自分に墨を入れ、次に弟子同士で。背中には師匠の作品も入っていると聞いた。その玉石混交状態は刺青のプロならであろう、と想像したからである。しかし部分の画像を見せてもらう限り、アップでこそ現在の技術とくらべれば“習作”らしくはあるが、期待したような玉石混交的な画にはなりそうにない。自分の肌に墨を入れるのであるから、修業時代とはいえ、相当な覚悟を要したに違いない。 そうこうして、Kさんから手彫りしているところを撮って欲しいといわれた。刺青には機械彫りと手彫りがある。彼女は手彫りが好きだそうだが、時間で料金が決まる都合上、時間がかかる手彫りの機会は少ないらしい。墨を入れているところ、といえば、墨を入れられている人が必用なわけで、おかげで被写体が一人増えることになった。背中全面に、見事に彼女の作品が入った女性である。 ところでオイルプリントは、4色分解して、プレス機により転写すればカラー化が可能である。一度試みたが実に手間がかかる。また完成作に水彩絵の具で色を差したこともある。だったら刺青用顔料を直接使ったらどうだろう、と思ったが、手彫り用の顔料は公開してはならないことになっているそうである。聞いてみるものである。 彼女は蛇を2匹飼っている。連中も撮影に参加させたい、と提案すると大変喜ばれた。

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昔のフィルムをチェックしていて、色々な事を思い出して来た。発売直後に、ミノルタα7000をいただいたのだが、それまではリコーオートハーフを持っていた程度で、写真に興味は持っていなかった。自分が乱視だと気付いておらず、ピントが合わないのでオートフォーカスを、というわけである。これで個展のDMくらい自分で撮ろうと考え、友人のカメラマンに現像の基礎を教わり、増感現像等やったものである。 当時は露出と絞りの意味の違いも判らず、ポジフィルムはプロ用、ネガフィルムはアマチュア用と思い込んでいた。その頃のフィルムをガサゴソやっていたら、二冊のアルバムが出て来た。自分で現像、プリントしたモノクロームのヌードであり、乗りとしては永井荷風先生の秘蔵アルバムの如きもので、現在の私に鉄拳制裁をくわえられても致し方ないような、このカットのどこが良くてプリントした?と理解に苦しむ物もあったが、何か見つけよう、と本気でジタバタしていることだけは伝わってくる。作品の出来不出来は大事であるが、本気で取り組むかどうかはさらに大事である。 私の好きなブルースマンに、ハウンドドッグ・テイラーという人がいる。彼は生前いった。『おれが死んだら、みんなは、「たいしたプレイはできなかったけど、確かにあのサウンドは良かったなあ」って言うだろうな。』私はこの辺りを狙いたいのだが、さらに私の代わりは誰にもさせない。というのを付け足してみたい。

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都内某所。地下鉄構内の地図でおおよその場所を確認。けっこうな雨の中方向音痴は行く。例によって迷う。道路沿いの地図を見るが、駅で見た地図と上下逆さま。私の場合、左右逆なポートレイトを見ながら人物の顔を作れさえするのに、地図はどっしりかまえて微動だにしない。それが45度傾いている程度なら、頭でもかくフリして首をかしげれればすむが、180度ではどうしようもない。方向だけ確かめ、結局交番で尋ね、びしょ濡れで到着。 紅茶をご馳走になり、一休みの後さっそく撮影開始。まずは自然光。かなり暗いがデジカメのため問題なし。最初は使用レンズ、撮り方など、探りながらの撮影となる。なにしろたった今、始めてみた裸であるから、事前に考えてもあてにならない。まずは一通り。 ハスノハナで久しぶりに見た2000年頃制作のオイルプリントを見て、色々なことを思い出した。ある一点はカラーポジで撮影したものから制作したが、はっきりいってたいした作品ではなかったが、オイルプリントにしたらかえって良くなってしまった。会場でどういうことが起きていたのか観察しておいた。判ったような判らないような。そんなことも頭の中にありつつ撮影を続ける。夜になりライトによる撮影をして一日目終了。

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人物  


頭に浮かんだ程度のことは、なんとか画になるようになった。そうなるには思っていた以上に時間がかかったが。 しかし自分が制作した物でないものを画面に入れる場合、予期せぬことに対処しなくてはならなくなる。近い例でいえば、『大鴉』の場合、室内光と外光という色温度の異なる光が混ざっており、しかたないので床に反射した外光を利用し、暖炉の光にした。本来目の下に影のある、トップライトのポートレイトが有名なポーには下から光を当てたくなかったのだが仕方がない。そういった不確実な要素を画面に入れ、対処する面白さもある。そういう意味でいえば、動物。特に人間であろう。人形と共演させる画面の一要素ではなく、人物その物にも再びトライしてみるつもりである。当然オイルブリントで。

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NUDE  


今回、かつて制作した半裸のヌードのオイルプリントが、搬入当日に画廊に届き感慨深かった。野島康三を知り、この技法で本当にあの濃厚な味が出るものか、と繰り返していた当時を思い出す。野島の濃厚さは、技法や印象的なモデルの選択を含め、野島独自の物であった。よって2、3の作家を別にすれば、ピクトリアリズムや古典技法だからといって心惹かれることはあまりない。暗部から明部にわたるインクによる階調。オイルによるヌードは独特である。  私が撮影したことのあるヌードは一人デッサンのモデルをやっていた人を除けば素人である。自らの美しさを見つけていないところが良い。知り合いに女性の刺青師がいる。以前から撮らせてもらいたいと思っていた。訊くところによると修行時代、まず手の届くところに自分で墨を入れ、次に弟子同士で。背中には師匠の八重垣姫が入っている。という。この玉石混交なところはプロの刺青師ならではないか。そう思い、最初期の、自ら入れた墨の画像を送ってもらった。私が陶芸家を目指していた頃、面相筆で線描の練習をしたのを思い出した。しかし考えてみれば当然であるが、皿や茶碗に描くのとは違う。自らに墨を入れるのであるから、アップでみれば現在の力量とは比較にならないものの、遠めに見れば稚拙感は薄い。携帯でやりとりしていて、発想は別なものの、お互い同じ事を考えた。彼女は機械ではなく、手彫りしているところを撮って欲しいという。つまりこれは二体のヌードによる構成になることを意味している。 ところでこんなことを書いていたら、なんだか鼻の奥でキナ臭い匂いがし始めた。我が家には、かつて転写によるオイルのカラー化実験のために入手した(内田洋行製)版画用プレス機がある。色分解ではなく、多色刷り木版のように、墨の各色を転写したらどうか。さらに手彫りと機械彫りでは使用する顔料は違うそうだが、実際に使用する刺青用顔料を使用したりして。当然退色には強い。またまた御冗談を?私。

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『モダン藝術写真展』9月15日(月)~10月7日(火)

http://t.co/lc05lwVaiM

※世田谷文学館にて展示中10月5日まで

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ドアの上に乗る女神パラス(アテナ)の胸像。その上に止まる鴉。撮影現場の室内光と外光が混じり合う話にならない光線状態を、赤々と暖炉の火が照らす室内に変えた。ほとんど腕力にものいわせたような作業である。先日の撮影後、Sと一緒に焼き肉ランチを食べながら、あんなメチャクチャな条件の撮影で、何故平気で焼き肉を食べているのだ。と不思議がってしまったくらいである。これはひとえに4年続いた『中央公論アダージョ』のおかげである。都営地下鉄の駅周辺を背景に、という条件であったが、特集人物にちなんだ画になる名所でもあれば良いが、ほとんどそんな条件はなく、頓知で切り抜ける他はない場合さえあった。以来、悪条件でもめげることはなくなった。頓知が必要ない分、今回は楽である。 暖炉の火ということで光りの向きが決まり、パラス像にも同じ向きの光を当てた。明日にでも画面に参加予定のエドガー・ポーにも、当てる光が決まったことになる。ポーは手前に、つまり最も暖炉に近い設定なので、光の強さ、角度などそれなりに変えることになる。 私の場合、数字は聴いているそばから忘れてしまうが、おかげで空いたスペースにどうでも良い事が記憶されている。例えば高校の友人の家に遊びに行き、2階の窓を開けた友人の背後に見える天井の様子など。実にどうでも良い。しかしこんな記憶が役に立っている。これが観察してやろう、と入って来る記憶はどういうわけだか使い道がない。つまり私は常にボンヤリしていないとならないのである。 自分で書いていて、怠け者のいい訳にしか感じられない本日のブログであった。

※世田谷文学館にて展示中

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かみさんと電話で,話しているのを見ると“電話の向こうにいるのはパットン将軍か?”と思うSと1時に某駅で待ち合わせて撮影に向かう。手伝ってもらうことはないが、ヒマだというし、一年は会ってないので撮影後旧交を暖めようという算段である。『大鴉』の背景の撮影。これは嵐の夜の出来事である。いくらかでもマシだろうと曇天日を待っていたのだが、現場は赤味を帯びた室内光に、全開のドアや窓から入る青みを帯びた曇天の外光が、想像以上の混ざり具合である。撮らないことには始まらない。しかしそんな状態ではあるし、シチュエーションは決まっている。数打って当たる物でもなし、20数カットで終了。時間にして3、40分だろうか。 この時間で開いてる店を探すが焼き肉屋しかない。例によってパットン将軍とSとの“二等兵物語”をひとしきり訊く。かみさんにパットン将軍って誰?と訊かれたというので、いつかナイチンゲールと並び称された人物。と書いておいたのだが。どうやらSがいいつけただけで、ブログは見ていないようである。元々マゾ体質のSであるから、まずまずの家庭生活といったところであろう。Sと別れて画材屋で絵の具を買い、地元に帰って二カ所程顔を出し、背景の制作。前日ほとんど寝てないのだから、一度寝りゃいいものを、あんなめちゃくちゃな光をどうすれば良いか。ハードルが高過ぎて頭が冴え々。 『大鴉』はポーの出世作といっていい詩である。ポーの謎の最期を描いたフィクション『ポー最期の5日間』では、酒場でツケをため揉め事を起こすポーに酒場は酒を出そうとしない。そこでポーはこの詩の続きを言えた者に酒を奢ると客に向かって叫ぶ。結果一人いたわけだが、つまりエドガー・ポーにとって『大鴉』とはそんな作品というわけである。 画像を見ると上からの室内光に、床に当たった外光が上に向かって反射している。そこで外光の成分を強調し、色調を変え、下から室内を照らす、赤々とした暖炉の光に変えた。やればできるものである。気がついたら今日も夜になっていた。

※世田谷文学館にて展示中

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今週中に3体完成するだろう。それを撮影し、ネガを作り、数年振りにオイルプリントの新作となる予定である。オイルプリントは、そのままであればモノクロームである。大正15年の資料に、オイルプリントによるカラーは前例がない、とあったので、この時点で無かったということは、オイルはブロムオイルに取って代わられ廃れて行ったので、その後もないだろう、ならば私が、と版画用プレス機を入手し、4色の分解ネガを使って転写し、天然色オイルプリントを試みたが、これをまともにやろうとしたら大変なことになる。ここまでやる必用は今の時点ではないだろう、と一先ず封印した。 数年振りになるオイルプリントは、私としては久しぶりのモノクローム作品になる。人形の撮影は、初期の頃はモノクロ専門であった。質感もさることながら塗装した色、というのはリアル感を損ねるので、モノクロの方がリアルに見える。また見る側の想像力を喚起する、というモノクロームならではの利点がある。 写真の名作とされている作品にはむしろモノクロームが多いだろう。しかし、それはあらかじめ色の着いた既存の世界を撮っているからモノクロで撮ろう、というわけで、仮に世界を自分で着彩していたとしたら。つまり被写体の山や花や人物に、自分で色を塗っていたなら、できればカラーで撮りたい、というのが人情であろう。私がカラーで撮るのは単にそういった理由による。

 《天然色オイルプリントの習作》

※世田谷文学館にて展示中

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三体同時に仕上げに入る。一体は上半身だけだが、他の2体も足下までは写らないので靴は後回しにする。 三体目のマント姿のエドガー・ポーは、まだどういう画にするか決まっていない。全身作ってあるので、いっそのこと外へ持って行って手持ち撮影してみようか、と考えないでもない。撮影候補地も2、3浮かんでいる。 片手に人形を国定忠次の刀のように捧げ持ち、片手にカメラの“名月赤城山撮法”。かつて金沢まで出かけて泉鏡花を撮影したように、慣れているはずの方法も、デジカメに転向してから一度も実行したことがない。 私がイメージしていたのは、ある作家が向こうから歩いて来て、たまたまカメラを持っていた人物が出会い頭にシャッターを切った。そんな感じである。被写体はピクリとも動かない。その分、三脚立てて待っていた、となってはならず、多少のピンボケ、ブレなどはかまわない。ただし意図的にやってはならない。使うのはマニュアルレンズであり、片手が塞がっているのでピントは固定、シャッタースピードは15分の一秒。その範囲で頑張って撮る。この心がけがリアルさを呼ぶ。 撮影はリズム良く進めなければならず、一カ所の背景に固執して、シャッターを切り続けるのも良い結果はでない。というより街中で人形とカメラを両手で持っての撮影は非常に恥ずかしく、はやくここから立ち去りたい。と常に葛藤している。これがまた、決して新聞社のカメラマンや、かつての名カメラマンが作家の了解の元に撮影したのではなく、たまたまカメラを持っていた文芸ファンが突然作家に遭遇した感、が出るのではないか。つまり部屋に閉じこもって作っているうちは良いが、街中にまで持ち出してしまってすいません。という人間が撮ると、結果こうなる訳である。

※世田谷文学館にて展示中

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動物園といえば子供の頃から上野である。江戸川乱歩の『目羅博士』では猿が人を真似るというエピソードの為、猿を撮影し、『貝の穴に河童の居る事』ではカラスや蛇を撮影した。鎮守の杜の女顔のミミズクのため撮影に行ったら金網越しで、表情もいまひとつ。どうしようかと思っていたら、近所に猛禽類専門のカフェができて事なきを得た。しかし今度はオランウータンである。さすがにいくら待っても類人猿カフェはできない。初めて多摩動物園に行ってみた。 エドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人』は世界初の推理小説ということであるが、発表から200年ほど経って小学生の時に読み、犯人がオランウータンというのに唖然としたのを覚えている。 行ってみると随分すいている。目的はオランウータンである。ゆるやかな坂の一番奥にいるということで、園内を巡回するバスに乗り、いきなりオランウータンへ。すると小型バズーカ砲のような望遠ズーム付きカメラを持った、中年から老年男女の集団が連射している。最近生まれたオランウータンの子供が母親にしがみ付いている様子を撮っている。 オランウータンはオスメスはっきり違う。兵隊の位でいえば間違いなく私より貫禄はあちらが上、というオスだけを撮影した。何しろ老人である。落ち着き払っていて、原作通り、血に酔って狂乱、というわけにはいかなかったが、剃刀を振りかざして、女を切り刻むオランウータンはいけそうである。あ、また書きながらウットリしてしまった。

※世田谷文学館にて展示中。

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 河童や神経を病んだアル中の作家を撮影するために集めたレンズは、ねじ込み式のM42マウントで、コントラストが低い癖玉ばかりである。強い光源をフレームの中に入れず、曇った日中に使えばホームランを放つ可能性はあるが、ほとんどの打席で凡打か空振りばかり、というレンズである。これも被写体と条件によるところが面白い。 昨日届いた2本のレンズのうち1本は、以前から目星を付けていたメーカー製で、もう一本は、中身は同じメーカーだが、OEMでB級メーカーに供給されていた物で、鏡胴がプラスチック。これ以上安物はないだろうという軽々しいレンズでがっかり。どうせなら諦めがつくくらいがっかりしてやれ、と買い物ついでに試写してみると、意外なことに使いやすく、これで良いではないか、という写りであった。結果が良ければ何だって良いわけであるが、いい加減な私がいい加減なレンズをぶら下げているようにしか見えず、その見栄えでぶら下げている当人をフォローする効果は望めないのであった。

10月5日まで展示している世田谷文学館は、“期間が長すぎてかえって忘れる”ことがないようメールのついでに友人知人に思い出させてあげている。

※世田谷文学館のページを作りました。

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